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中学 歴史

「なぜ起きた/だれが得して/だれが弱くなったか」を時代順に追う教科。年号より先に、社会の動き方がわかれば、用語は自然に体に入る。

目次

歴史の勉強の鉄則 — 「点」ではなく「流れ」で覚える

時代の順番をまず覚える(縄文→弥生→…令和)。漫画を1巻→5巻→3巻の順で読んでも話が分からないのと同じ。
② 各事件は「誰が・いつ・どこで・なぜ・何をして・結果どうなったか」の6点セットで押さえる。
③ 「だれが得して、だれが損したか」を考えると、制度の意味が見える。
④ 詰まったら 📜 完全年表 で位置を確認。

このテキストの使い方 — 記憶の科学にもとづく5つの仕掛け

人の脳は「読んだだけ」のことはすぐ忘れ、「思い出そうと頑張った」ことは長く覚えます。このテキストは、心理学の実験で効果が確かめられた5つの仕掛けを各単元に埋め込んでいます。仕掛けの意味を知っておくと、効果が何倍にもなります。

1

思い出してから答えを見る

🔮予想クイズ・🪜想起ラダーが出てきたら、答えを開く前に必ず1回、頭の中か紙で答えを作る。思い出せなくてOK。「思い出そうとした」だけで記憶は強くなる。

=検索練習・テスト効果

2

習う前に当てにいく

各単元の最初に🔮予想クイズがある。まだ習っていなくて当然。外しても、そのあと本文を読むと記憶への残り方が変わる。脳が「答えが知りたい」モードになるから。

=プレテスト効果

3

「なぜ?」を自分の言葉で

🗣ファインマン・チェックが出たら、その出来事を友だちに説明するつもりで声に出す。スラスラ言えたら本物。詰まった所が「まだ穴」。

=自己説明・精緻化

4

言葉をイメージに変える

🎬記憶フックは、年号や用語を映像・物語に変える装置。語呂は声に出し、頭の中で絵を思い浮かべる。バラバラの言葉より、絵のほうがずっと残る。

=二重符号化

5

3回、会いに来る

1回で覚えようとしない。各単元の最後に🟣戻り設計がある。「忘れかけたころ」にもう一度やるのが一番きく。⭕❌❓の記録は、そのための地図。

=間隔反復・望ましい困難

歴史を貫く「4本の縦糸」— これを追えば暗記が理解に変わる

歴史は「時代(横糸)」をバラバラに覚えると忘れます。でも、時代をまたいで動き続ける4つのテーマ(縦糸)を追うと、出来事が1本につながって忘れにくくなります。各単元に🧵「いまここ」の印を置くので、この4本が今どこにいるかを確かめながら進みましょう。

A. 土地制度 — 「だれが土地を持ち、だれが税を取るか」

班田収授(国が土地を配る)→ 荘園(貴族・寺の私有地)→ 御恩と奉公(武士が土地で結ばれる)→ 太閤検地(秀吉が全国を測る)→ 年貢(江戸の村)→ 地租改正(明治・お金で納税)

B. 武士の成長 — 「武士がどうやって国の支配者になったか」

地方の武装集団源平合戦鎌倉幕府守護・地頭守護大名戦国大名江戸幕府(武士の頂点)→ そして明治で武士は消える

C. 権力構造 — 「名目上のトップ」と「実際の権力者」は別人

天皇・貴族(古代)→ 院政(上皇)→ 幕府が実権・天皇は形式(中世)→ 将軍権威の動揺(室町)→ 幕府の専制(江戸)→ 天皇を中心にした近代国家(明治)→ 国民主権(戦後)

D. 対外関係 — 「外からの力」が国内を大きく変える

遣隋使・遣唐使白村江の敗北元寇南蛮貿易鎖国黒船(開国)日清・日露太平洋戦争戦後のアメリカとの関係

Unit 0 — 歴史の学び方

時代区分・年号の読み方・元号と西暦・史料の種類を覚える。ここを押さえると、以降の全単元が一気に楽になる。

① 時代区分の大枠(まず順番を体に入れる)

大区分時代年(西暦)政治の主役(縦糸C)
古代旧石器〜BC14000頃—(小さな群れ)
縄文BC14000〜BC4世紀頃—(むらの長)
弥生BC4世紀頃〜AD3世紀クニの王(卑弥呼ら)
古墳3〜7世紀大和政権(大王と豪族連合)
飛鳥592〜710天皇+豪族(蘇我・聖徳太子)
奈良・平安710〜1185貴族(藤原氏)
中世鎌倉・室町・戦国1185〜1573武士(将軍と御家人・大名)
近世安土桃山・江戸1573〜1868武士(幕府と大名)
近代明治・大正・昭和戦前1868〜1945天皇+政府(藩閥→政党→軍部)
現代昭和戦後・平成・令和1945〜国民(民主主義)

② 西暦と元号(明治以降)

元号元年(西暦)覚え方主な出来事
明治1868「いやろうや明治」明治維新・日清日露
大正1912「行く人に大正」第一次大戦・大正デモクラシー
昭和1926「行くにむ昭和」戦争・戦後復興・高度経済成長
平成1989「行く百苦平成」バブル崩壊・震災・IT化
令和2019「ふ〜いく令和」コロナ・国際情勢の流動化

元号→西暦の早算

明治+1867/大正+1911/昭和+1925/平成+1988/令和+2018 = 西暦。
例:昭和20年 = 20+1925 = 1945年(終戦)。平成元年 = 1+1988 = 1989年

③ 世紀の数え方

百の位 + 1 = 世紀

西暦の百の位+1が世紀。1192年→11+1=12世紀。1603年→16+1=17世紀
境目に注意:2000年は20世紀、21世紀は2001年から。

④ 史料の種類

一次史料(当時の人の記録)

  • 古文書(手紙・命令書)
  • 当時の歴史書(古事記・日本書紀)
  • 当時の物(土器・遺物・建物・絵巻)

→ 信頼度が高い。

二次史料(後世のまとめ)

  • 後の時代に書かれた歴史書
  • 研究者の論文・教科書

→ 読みやすいが解釈が入る。

入試の鉄板パターン3つ

  1. 並び替え問題 — 年号より「流れ(因果)」で解く。
  2. 史料読み取り問題 — 史料の一部から「いつ・だれが・何を」を当てる。
  3. 因果問題 — 「なぜ」「結果どうなった」を選ぶ。背景と影響を覚えていれば解ける。

練習問題 — Unit 0

  1. hist-0-q1 明治元年は西暦何年?
    1868年
  2. hist-0-q2 1192年は何世紀?
    12世紀(11+1)
  3. hist-0-q3 令和元年は西暦何年?
    2019年
  4. hist-0-q4 紀元前後の境はキリスト教の何が基準?
    イエス・キリストの生誕とされる年
  5. hist-0-q5 平成は何年から何年まで?
    1989年〜2019年
  6. hist-0-q6 鎌倉時代は5区分でどこ?
    中世
  7. hist-0-q7 江戸時代は5区分で何?
    近世
  8. hist-0-q8 入試頻出当時の人が書いた史料を何という?
    一次史料
  9. hist-0-q9 昭和20年は西暦何年?
    1945年(終戦)
  10. hist-0-q10 2000年は何世紀?
    20世紀(21世紀は2001年から)
  11. hist-0-q11 古事記・日本書紀は何史料?
    一次史料
  12. hist-0-q12 時代を古い順に5つ:縄文・鎌倉・弥生・江戸・平安を並べよ。
    縄文 → 弥生 → 平安 → 鎌倉 → 江戸
  13. hist-0-q13 明治・大正・昭和・平成・令和を古い順に。
    明治 → 大正 → 昭和 → 平成 → 令和
  14. hist-0-q14 飛鳥時代はおよそ何世紀?
    6世紀末〜8世紀初め
  15. hist-0-q15 入試頻出並び替え問題で、年号のほかに頼りになるのは?
    流れ(因果関係)。「Aが起きたからBが起きた」をたどると順序が出る
Unit 0 の進捗 📊 苦手マップへ

Unit 1 — 旧石器・縄文

日本に人が住みはじめた時代。「とって食べる暮らし(採集・狩り)」がどんな社会だったかをつかむ。まだ米も金属も文字もない。

時代の見取り図

支配者は?いない(みんなほぼ平等)。むらをまとめる長がいる程度。
経済の基盤狩り・漁・採集。とった分だけ食べる。蓄えは少ない。
対外関係旧石器は大陸と陸続き。縄文で海に囲まれ、ほぼ独自に発展。
前からの変化氷河期が終わり温暖化→定住が始まり、土器が生まれた。
A 土地まだ「土地を持つ」発想がない。共同で利用。
B 武士存在しない(戦いも少ない平等社会)。
C 権力強い支配者なし。身分の差がないのがこの時代の特徴。
D 対外旧石器は大陸と陸続き。人や動物が歩いて渡ってきた。

読む前に — 予想クイズ(まだ習ってなくてOK)

当てるのが目的ではありません。一度予想してから読むと、ふしぎと頭に残ります。

  1. 縄文時代の人々は、なぜ「土器」を作ったのだと思う?
    考えるヒントと答え
    食べ物を煮る・蓄えるため。土器で煮ると、生では食べにくい木の実や貝も食べられるようになり、食料が増えた。定住生活と土器はセット。
  2. 縄文時代は「身分の差がほとんどなかった」と言われる。なぜだと思う?
    考えるヒントと答え
    食料を大量に蓄えられなかったから。とった分をその場で分け合う暮らしでは、富が一人に集まらず、「強い人・偉い人」が生まれにくい。差が広がるのは、米を蓄えられる弥生時代から。
  3. 旧石器時代の人々は、どうやって日本にやって来たと思う?
    考えるヒントと答え
    氷河期で海面が低く、日本は大陸と陸続きだった。ナウマンゾウなどの大型動物を追って、人も歩いて渡ってきたと考えられている。
氷河期(大陸と陸続き) 旧石器(移動・打製石器) 温暖化・海面上昇 縄文(定住・土器・弓矢)
なぜ「移動の旧石器」から「定住の縄文」へ変わったか
背景約1万年前に氷河期が終わり温暖化。大型動物(ナウマンゾウ等)が減り、森にドングリなどの木の実、海に貝や魚が増えた。
動機移動して大型動物を追うより、一か所にとどまって森と海の幸を取るほうが効率的になった。
結果竪穴住居に定住。煮炊き・保存のための縄文土器、小動物をしとめる弓矢、よく切れる磨製石器が登場。
影響食生活が安定し人口が増えた。ただし米のように大量に蓄える手段はなく、貧富・身分の差はまだ小さい平等な社会だった。

重要な道具・遺跡

数万年前旧石器時代(打製石器)大陸と陸続き
約1万
年前
氷河期終了→縄文開始温暖化・海面上昇
1946岩宿遺跡 発見(相沢忠洋)日本に旧石器があった証拠

「打製→磨製」「旧石器→縄文」を映像で区別する

旧石器 = 打(う)って割っただけ/縄文 = 磨(みが)いてツルツル

映像にしよう👉 旧石器人は石を石で「ガツン」と打ち欠いてとがらせる(=打製石器)。縄文人は石を砂でゴシゴシ磨いてなめらかな刃にする(=磨製石器)。
👉「打って割る=古い(旧石器)」「磨いてツルツル=新しい(縄文)」。漢字の通りに手を動かすイメージを作れば、もう混ざらない。

重要人物・関連語

相沢忠洋1926-1989行商をしながら独学で研究。1946年岩宿遺跡(群馬)で打製石器を発見し、日本に旧石器時代があったことを証明。

なぜ「三内丸山遺跡」は青森にある?

縄文時代の暮らしは森(木の実)と海(魚・貝)の幸で成り立つ。青森は両方に恵まれ、大きなムラ(三内丸山遺跡)が長く続いた。「縄文=寒い東北は不利」と思いがちだが、逆に豊かな森と海があった。

旧石器時代

  • 道具:打製石器(打ち欠く)
  • 暮らし:移動生活(テント・洞穴)
  • 食:大型動物の狩り(ナウマンゾウ)
  • 土器:なし
  • 遺跡:岩宿(群馬)

縄文時代

  • 道具:磨製石器・弓矢・骨角器
  • 暮らし:定住(竪穴住居)
  • 食:木の実・魚・貝(貝塚に痕跡)
  • 土器:縄文土器(厚手・低温・縄目)
  • 遺跡:三内丸山(青森)

この時代の文化(縄文)

道具・住まい
  • 縄文土器(縄目模様・厚手・黒褐色・低温焼き)
  • 竪穴住居(地面を掘って柱を立てる)
  • 磨製石器・弓矢・つり針(骨角器)
祈り・くらしの跡
  • 土偶(女性をかたどる。安産・豊かさの祈り)
  • 貝塚(食べ残しの貝殻のゴミ捨て場=当時の食生活がわかる史料)
  • アニミズム(自然のものすべてに精霊が宿るという信仰)
  • 抜歯(成人の儀式)の風習
代表的な遺跡
  • 三内丸山遺跡(青森・大規模な集落・クリの栽培の跡)
  • 大森貝塚(東京・モースが発見)

同時期の世界

日本が縄文だったころ、世界の暖かい大河の流域では農耕・牧畜が始まり、文明が芽生えていた。メソポタミア・エジプト・インダス・中国(黄河・長江)の四大文明。日本はまだ狩り・採集だったが、それでも1万年以上も大きな戦争のない安定した社会が続いた点で世界的にも珍しい。

BC9000頃西アジアで農耕・牧畜開始
BC3000頃エジプト・メソポタミア文明
BC2500頃インダス文明
BC1600頃中国 殷王朝(甲骨文字)

📖 史料の代わりに「遺物が語る」 — 文字のない時代の調べ方

縄文時代には文字がない。だから手紙や記録は残っていない。 かわりに、地面の下から出てくる土器・石器・骨・貝塚・住居の跡が「史料」になる。 たとえば貝塚を掘ると、当時の人が何を食べ、どんな道具を使い、どんな病気だったかまで分かる。
=考古学(遺物・遺跡から過去を復元する学問)
  1. hist-1-s1 文字のない時代を調べる手がかり(史料)になるものは?
    土器・石器・骨・貝塚・住居の跡などの遺物・遺跡
  2. hist-1-s2 貝塚から分かることを1つ挙げよ。
    当時の食生活(何を食べていたか)。ほかに道具・気候・健康状態なども

よくある間違い

  • 「縄文時代に稲作をしていた」→ ✗。稲作が本格化するのは弥生時代(次のUnit)。
  • 「打製石器=縄文、磨製石器=旧石器」→ ✗ 逆。打製=旧石器、磨製=縄文
  • 「土偶は王様の像」→ ✗。多くは女性をかたどり、安産や豊かさを祈るためのもの。
想起トレーニング:「縄文時代はどんな時代?」をヒントなしで説明してみよう
ヒント① 食べ方・住まいから
狩り・漁・採集で食料を得て、竪穴住居に定住した。煮炊き用の縄文土器を使った。…次は「社会の特徴」を考えて。
ヒント② 社会の特徴は?
米を大量に蓄える手段がないので、貧富・身分の差が小さい平等な社会だった。祈りの道具に土偶がある。
答え(自分の説明と照らす)
約1万年前から、温暖化した日本で、狩り・漁・採集をしながら竪穴住居に定住した時代。縄文土器・磨製石器・弓矢を使い、土偶で祈った。米を蓄えられないため身分の差が小さい平等な社会だった。 ※詰まった所が「まだ穴」。そこだけ本文に戻ればOK。

練習問題 — Unit 1

  1. hist-1-q1 縄文時代の代表的な土器は?
    縄文土器(縄目模様・厚手・低温焼き)
  2. hist-1-q2 旧石器時代に使われた、打ち欠いて作る石器は?
    打製石器
  3. hist-1-q3 縄文時代に使われた、磨いて作る石器は?
    磨製石器
  4. hist-1-q4 1946年に岩宿遺跡で打製石器を発見した人物は?
    相沢忠洋
  5. hist-1-q5 岩宿遺跡の発見が証明したことは?
    日本にも旧石器時代があったこと
  6. hist-1-q6 縄文時代の人々が住んだ、地面を掘って作る住居は?
    竪穴住居
  7. hist-1-q7 縄文人が食べ残した貝殻などが積もった遺跡は?
    貝塚
  8. hist-1-q8 東京で貝塚を発見したアメリカ人学者は?
    モース(大森貝塚)
  9. hist-1-q9 青森県の大規模な縄文集落の遺跡は?
    三内丸山遺跡
  10. hist-1-q10 縄文時代の、女性をかたどった土製の人形は?
    土偶(どぐう)
  11. hist-1-q11 自然のあらゆるものに精霊が宿るという縄文人の信仰を何という?
    アニミズム
  12. hist-1-q12 旧石器時代の人々の暮らし方は、移動と定住どっち?
    移動(大型動物を追って)
  13. hist-1-q13 旧石器時代に狩られた大型動物を1つ。
    ナウマンゾウ(ほかオオツノジカ)
  14. hist-1-q14 縄文時代が始まったきっかけとなった気候の変化は?
    氷河期が終わって温暖化した(海面上昇で日本列島が大陸から分離)
  15. hist-1-q15 縄文時代に小型ですばやい動物をしとめるために使われた道具は?
    弓矢
  16. hist-1-q16 入試頻出縄文時代に身分の差が小さかったのはなぜか?
    食料を大量に蓄える手段がなかったから。富が一部に集中せず、貧富・身分の差が生まれにくかった
  17. hist-1-q17 旧石器時代に人や動物が日本に来られた理由は?
    氷河期で海面が低く、日本が大陸と陸続きだったから
  18. hist-1-q18 入試頻出縄文土器と弥生土器、厚手で縄目模様なのはどっち?
    縄文土器(弥生土器は薄手で赤褐色・高温焼き)

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 1)

3つを、教科書を見ずに声に出して説明しよう。詰まった所が「まだ穴」。

  • 旧石器時代と縄文時代は、道具・暮らしがどう違う?
  • 縄文時代に身分の差が小さかったのはなぜ?
  • 文字のない縄文時代を、どうやって調べる?
① 旧石器は打製石器で移動生活、大型動物を狩った。縄文は磨製石器・弓矢・縄文土器で定住、木の実や魚・貝を食べた。
② 米のように食料を大量に蓄える手段がなく、富が集中しなかったから。差が広がるのは蓄えのできる弥生時代から。
③ 文字がないので、土器・石器・骨・貝塚・住居跡などの遺物・遺跡を発掘して調べる(考古学)。
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

1回で完璧にしなくて大丈夫。「忘れかけたころにもう一度」がいちばん定着します。日にちは気にせず自分のペースで3回。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 1 の進捗 📜 完全年表 縄文へ

Unit 2 — 弥生(稲作とクニの誕生)

稲作が日本を変えた時代。米は蓄えられる→貧富の差→身分→ムラがクニへ。日本史で初めて「強い者・支配する者」が生まれる。この変化が以降ずっと続く。

時代の見取り図

支配者は?クニの王が登場(卑弥呼ら)。身分の差が生まれる。
経済の基盤稲作(米)。米は蓄えられる→富の差が生まれる。
対外関係中国(漢・魏)に朝貢。金印・称号をもらい権威づけ。
前からの変化平等な縄文 → 貧富・身分の差のある社会へ。戦争も始まる。
A 土地土地と米をめぐる差が誕生。蓄えた人が強くなる(土地制度史のスタート地点)。
B 武士まだ武士はいないが、ムラ同士の戦いが始まる(環濠集落・武器)。
C 権力「王」が初登場。卑弥呼のように、祭りと政治を握る支配者が生まれる。
D 対外中国に使いを送り、金印や「親魏倭王」の称号で自分の権威を高める。

読む前に — 予想クイズ

一度予想してから読むと記憶に残ります。

  1. 稲作が広まると、なぜ「むら同士の戦い」が増えたと思う?
    考えるヒントと答え
    米や、米を作る良い土地・水を奪い合うようになったから。蓄えた米は富であり、それを守る/奪うために戦いが起きた。だから弥生のムラは濠(ほり)で囲まれた(環濠集落)。
  2. 卑弥呼はなぜ、わざわざ遠い中国(魏)に使いを送ったと思う?
    考えるヒントと答え
    中国の皇帝に「あなたが倭の王だ」と認めてもらう(親魏倭王の称号・金印)と、国内のほかの王より権威が高くなるから。外国の後ろ盾は、国内での支配を強める道具だった(縦糸D)。
  3. 銅鐸・銅剣などの青銅器は、武器や農具として使われた?
    考えるヒントと答え
    ほとんど使われていない。青銅器は祭り(まつりごと)の道具。実用の道具(農具・武器)には、もっと硬い鉄器が使われた。「青銅=祭り、鉄=実用」と区別する。
稲作伝来 米を蓄える 貧富・身分の差 むらの争い→クニ 王(卑弥呼)が中国へ
6Wでみる「稲作が社会を変えた」
誰が・いつ紀元前4世紀ごろ、大陸・朝鮮半島から渡来した人々が、北九州に稲作を伝えた。
なぜ・何を米は長く保存できる。だから多く取れた人・蓄えた人が「富む者」になり、人を従えるようになった。
結果むらに貧富・身分の差が生まれ、良い土地と水・米をめぐってむら同士が戦争。勝ったむらが周りを従え「クニ」になった。
影響「支配する者/される者」という関係が誕生。これが大和政権→天皇→武士…と、以降ずっと続く日本の権力の出発点になる。
稲作で「誰が強くなり、誰が弱くなったか」
強くなった
  • 多く米を取り蓄えた有力者(→クニの王)
  • 渡来人(進んだ技術を持つ)
  • 良い土地・水を支配したむら
vs
弱くなった
  • 蓄えの少ない人々(従う側に)
  • 戦いに負けたむら
  • 「平等」という縄文の価値観そのもの

重要事件と年号

BC4世紀
稲作伝来(弥生開始)大陸から北九州へ
57倭の奴国王が後漢から金印「漢委奴国王」志賀島
107倭国王 帥升が後漢に使い
239卑弥呼が魏に使いふみ(239)送る卑弥呼

「青銅は祭り・鉄は実用」を映像で

青銅(銅鐸・銅剣・銅矛)= ピカピカの「お宝」= 祭り/ 鉄 = 黒くて硬い「働く道具」= 実用

映像にしよう👉 ムラの祭りで、人々が金色に光る銅鐸を鳴らして豊作を祈る。一方、田んぼでは黒くて硬い鉄の農具が泥にまみれて働いている。
👉「光って飾る=青銅・祭り」「黒くて働く=鉄・実用」。青銅は柔らかくて実用に向かない、と理由まで結びつけると忘れない。

重要人物

卑弥呼3世紀邪馬台国の女王。30ほどのクニを従える。まじない(呪術)で政治を行った。239年に魏へ使いを送り「親魏倭王」の称号と金印を得る。
奴国の王1世紀57年、後漢の光武帝から「漢委奴国王」の金印を授かる。金印は江戸時代に福岡県志賀島で発見。

なぜ稲作も、クニも「北九州」から始まった?

稲作は大陸・朝鮮半島から海を渡って伝わった。だから大陸にいちばん近い北九州(福岡・佐賀)が玄関口になった。金印が出た志賀島も、環濠集落の吉野ヶ里も北九州。「進んだ文化は大陸に近い西から東へ広がる」——これは弥生も、のちの仏教も鉄砲も同じパターン。

この時代の文化・道具(弥生)

農業の道具
  • 石包丁(稲穂を摘み取る)/木製のくわ・すき
  • 高床倉庫(米を保存。湿気・ねずみを防ぐ「ねずみ返し」付き)
土器・金属器
  • 弥生土器(薄手・赤褐色・高温焼き・かざりが少なく実用的)
  • 青銅器(銅鐸・銅剣・銅矛・銅鏡)= 主に祭りの道具
  • 鉄器 = 農具・工具・武器など実用の道具
むら・遺跡
  • 環濠集落(まわりを濠で囲んだ防御のむら)・物見やぐら
  • 吉野ヶ里遺跡(佐賀・大規模な環濠集落)/登呂遺跡(静岡・水田跡)

同時期の世界

弥生時代は、中国で秦が統一→漢の大帝国、地中海でローマ帝国が栄えた時代。日本の小さなクニの王たちは、その巨大な中国(漢・魏)に使いを送り、金印や称号をもらって自分の権威を高めた。世界の大帝国と、日本の「クニ」がつながり始める。

BC221秦の中国統一(始皇帝)
BC202漢(前漢)の成立
BC27ローマ帝国 成立
紀元前後キリスト教 誕生
25後漢の成立(→57金印)

📖 史料 — 「魏志」倭人伝(邪馬台国と卑弥呼)

倭人は帯方の東南大海の中に在り、…旧百余国。… 其の国、本亦男子を以て王と為す。…乃ち共に一女子を立てて王と為す。名づけて卑弥呼と曰ふ。鬼道を事とし、能く衆を惑はす。… 景初二年、…倭の女王、…遣使し、…天子に詣りて朝献せんことを求む。…親魏倭王と為し、金印紫綬を仮し…
出典:『三国志』魏書 東夷伝 倭人条(魏志倭人伝)
  1. hist-2-s1 この女王の名と、治めた国の名は?
    卑弥呼/邪馬台国
  2. hist-2-s2 「鬼道を事とし」とは、卑弥呼がどんな方法で人々を従えたことを表すか?
    まじない・呪術(宗教的な力)で人々をまとめた
  3. hist-2-s3 魏の皇帝が卑弥呼に与えた称号は?それをもらう利点は?
    称号は「親魏倭王」。中国の権威を後ろ盾にして、国内のほかの王より優位に立てた

よくある間違い

  • 「卑弥呼が日本を統一した」→ ✗。邪馬台国は約30のクニを従えた連合の王で、日本全体ではない
  • 「金印『漢委奴国王』=卑弥呼がもらった」→ ✗。金印は57年・奴国の王。卑弥呼は239年・魏で別物。
  • 「弥生土器は縄文土器より厚くて派手」→ ✗。弥生土器は薄手・赤褐色・かざりが少ない
想起トレーニング:「なぜ稲作が日本の社会を大きく変えたのか」を説明してみよう
ヒント① 米の「ある性質」から
米は長く保存(蓄え)できる。これが縄文の食べ物との決定的な違い。…次は「蓄えられると何が起きる?」
ヒント② 蓄えられると…
多く蓄えた人=富む人・強い人が生まれ、身分の差ができる。土地・水・米を奪い合う戦争も始まる。
答え
米は保存できるので、多く蓄えた人が富み、身分の差が生まれた。良い土地・水・米をめぐってむら同士が争い、勝ったむらが周りを従えて「クニ」になり、王が誕生した。これが「支配する者/される者」という日本の権力の出発点になった。

練習問題 — Unit 2

  1. hist-2-q1 稲作が本格的に始まった時代は?
    弥生時代(紀元前4世紀ごろ〜)
  2. hist-2-q2 稲作はどこから日本に伝わった?
    大陸・朝鮮半島から北九州へ
  3. hist-2-q3 弥生時代に稲穂を摘み取るのに使った道具は?
    石包丁
  4. hist-2-q4 収穫した米を保存した、湿気・ねずみを防ぐ建物は?
    高床倉庫
  5. hist-2-q5 弥生時代の土器の特徴は?(縄文土器との違い)
    薄手・赤褐色・高温焼き・かざりが少ない
  6. hist-2-q6 主に祭りに使われた金属器を3つ挙げよ。
    銅鐸・銅剣・銅矛(青銅器)
  7. hist-2-q7 農具や武器など実用に使われた金属器は?
    鉄器
  8. hist-2-q8 まわりを濠で囲んだ防御的なむらを何という?
    環濠集落
  9. hist-2-q9 佐賀県にある大規模な環濠集落の遺跡は?
    吉野ヶ里遺跡
  10. hist-2-q10 静岡県にある水田跡で有名な弥生の遺跡は?
    登呂遺跡
  11. hist-2-q11 57年に後漢から金印を授かったクニは?
    奴国(なこく)
  12. hist-2-q12 その金印に刻まれた文字は?
    漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)
  13. hist-2-q13 金印が発見された場所は?
    志賀島(福岡県)
  14. hist-2-q14 3世紀ごろ約30のクニを従えた女王は?
    卑弥呼
  15. hist-2-q15 卑弥呼が治めた国の名は?
    邪馬台国
  16. hist-2-q16 239年、卑弥呼が使いを送った中国の国は?
    (ぎ)
  17. hist-2-q17 卑弥呼が魏から授かった称号は?
    親魏倭王
  18. hist-2-q18 邪馬台国のことが書かれた中国の歴史書は?
    魏志倭人伝(『三国志』の一部)
  19. hist-2-q19 入試頻出稲作の広まりが社会にもたらした最大の変化は?
    米を蓄えられるようになり、貧富・身分の差が生まれた(→むらの争い→クニ→王の誕生)
  20. hist-2-q20 入試頻出クニの王が中国に使いを送ったのはなぜか?
    中国の皇帝に王として認めてもらい(金印・称号)、国内での権威・支配力を高めるため

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 2)

3つを声に出して説明しよう。

  • 稲作が広まると、社会はどう変わった?(米の性質→差→クニ)
  • 青銅器と鉄器は、それぞれ何に使われた?
  • 卑弥呼はなぜ中国に使いを送った?
① 米は保存できるので、多く蓄えた人が富み身分の差が生まれた。土地・水・米を奪い合う戦争が起き、勝ったむらが「クニ」になり王が生まれた。
青銅器(銅鐸・銅剣・銅矛)=祭りの道具鉄器=農具・武器など実用の道具
③ 中国の皇帝に「親魏倭王」と認めてもらい(金印・称号)、国内での権威を高めるため
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

弥生は縦糸(土地・権力・対外)すべての出発点。忘れかけたころに戻ると、後の時代の理解が深まります。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 2 の進捗 📜 完全年表 弥生へ

Unit 3 — 古墳・大和政権

バラバラだったクニが、近畿の大王(おおきみ)を中心に1つにまとまっていく時代。巨大な古墳は「王の力」の証。日本という国の原型が生まれる。

時代の見取り図

支配者は?大王(のちの天皇)を中心とした豪族の連合=大和政権。
経済の基盤米と渡来人の進んだ技術(鉄・機織り・須恵器)。
対外関係中国の南朝・朝鮮と交流。倭の五王が中国に使い。
前からの変化小さなクニの乱立 → 近畿中心に統一へ。巨大古墳が出現。
A 土地大王・豪族が土地と民(部民)を支配。私有がさらに進む
B 武士まだ武士はいない。豪族が軍事も担う。
C 権力大王が豪族連合のトップに。氏姓制度で豪族を序列化。のちの天皇へ。
D 対外渡来人が大量の技術・文化を伝える(鉄・漢字・須恵器・のちに仏教)。中国南朝へ朝貢。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. なぜ大王たちは、あんなに巨大な古墳(大山古墳は全長486m)を作ったのだと思う?
    考えるヒントと答え
    自分の権力の大きさを見せつけるため。大きな墓を作れる=多くの人を動かせる=強い王、という分かりやすいアピール。古墳の大きさは王の力に比例した。
  2. 大和政権が力をつけられた理由の1つに「渡来人」がいる。渡来人は何をもたらした?
    考えるヒントと答え
    大陸の進んだ技術と知識。鉄器作り・須恵器(硬い土器)・機織り・漢字・暦、のちに仏教。これらを取り入れた大和政権は他の豪族より強くなれた。
  3. 倭の五王はなぜ中国(南朝)に使いを送った?
    考えるヒントと答え
    弥生の卑弥呼と同じ理由=中国に王として認めてもらい権威を高めるため。さらに、朝鮮半島(特に任那・百済)での立場を有利にする狙いもあった(縦糸D)。
クニの乱立 大和政権が統合 巨大古墳・氏姓制度 渡来人の技術・倭の五王
6Wでみる「大和政権の成立」
誰が・どこで3〜4世紀、近畿(奈良盆地)の有力な豪族たちが、大王を中心にまとまって連合をつくった=大和政権
なぜ・何を強い王のもとに結束したほうが、土地・鉄・労働力を確保しやすい。大王は豪族に氏(うじ)と姓(かばね)を与えて序列をつけ支配した(氏姓制度)。
結果大和政権の勢力は5世紀に九州〜関東へ広がる(埼玉・熊本の鉄剣に「ワカタケル大王」の名)。前方後円墳が各地に広がったのは、その支配が及んだ証。
影響大王はやがて「天皇」へ。日本という統一国家の原型ができた。渡来人の技術と仏教が、次の飛鳥文化の土台になる。

重要事項と年号

3世紀
後半
大和政権の成立前方後円墳が広がる
5世紀倭の五王が中国南朝に朝貢讃・珍・済・興・武
5世紀ワカタケル大王(雄略天皇)稲荷山・江田船山鉄剣
538仏教の公式伝来(百済から)ご参拝(538)仏教

「前方後円墳」を映像で覚える

前方後円墳 = 鍵穴(かぎあな)の形/ 上から見ると「四角+丸」

映像にしよう👉 空から見ると、四角(前方)と丸(後円)がくっついた巨大な鍵穴。丸い方に王が眠り、まわりに埴輪が兵隊のように並ぶ。日本最大は大阪の大山(大仙)古墳=仁徳天皇陵とされ、全長486m(エジプトのピラミッドより底面積は大きい)。
👉「鍵穴=前方後円墳」「大阪のバカでかい鍵穴=大山古墳=仁徳天皇陵」をセットで。

重要人物・関連語

大王(おおきみ)3-7世紀大和政権の最高権力者。のちの天皇。豪族連合のトップ。
ワカタケル大王5世紀雄略天皇とされる。埼玉(稲荷山)と熊本(江田船山)の鉄剣に名が刻まれ、関東〜九州まで支配が及んだ証拠に。
渡来人4-6世紀朝鮮半島などから移住。漢字・須恵器・機織り・鉄・暦・仏教を伝え、政権の記録や財政も担った。
倭の五王5世紀讃・珍・済・興・。中国の南朝(宋)に使いを送り称号を求めた(『宋書』倭国伝)。

なぜ大和政権は「奈良(近畿)」で生まれた?

奈良盆地は稲作に向いた平地で、瀬戸内海を通って大陸の文物が入りやすい場所。各地のクニを束ねるのに地の利があった。だから日本の最初の中心は近畿(奈良→のちの飛鳥・平城京・平安京もすべて近畿)。「なぜ都が長く近畿だったか」は地理を見ると腑に落ちる。

この時代の文化(古墳文化)

古墳と副葬品
  • 前方後円墳(鍵穴型)— 最大は大山(大仙)古墳(大阪・仁徳天皇陵とされる)
  • 埴輪(人・馬・家・武具の形の素焼き。古墳の上や周りに並べる)
  • 副葬品:鏡・玉・剣(前期)→ 馬具・武具(後期=武人的)
渡来人が伝えたもの
  • 須恵器(高温で焼いた硬い土器)/機織り鉄器の製法
  • 漢字(記録・外交に使う)/儒教/のちに仏教(538)

同時期の世界

古墳時代の世界は大変動期。ヨーロッパではゲルマン人の移動で西ローマ帝国が滅亡(476)。中国は南北に分裂(南北朝時代)。朝鮮半島は高句麗・百済・新羅の三国が争い、日本(大和政権)も百済と結んでこれに関わった。世界中で「大きな国の再編」が進んでいた。

313ローマ キリスト教公認
375ゲルマン人の大移動
439中国 南北朝時代へ
476西ローマ帝国 滅亡
4-6c朝鮮:高句麗・百済・新羅

📖 史料 — 鉄剣の銘文(稲荷山古墳・埼玉)

辛亥年七月中記す。…其の児、名はヲワケの臣。… 世々、杖刀人の首と為り、奉事し来り今に至る。ワカタケル大王の寺、斯鬼宮に在る時、吾、天下を左治し、此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也。
出典:稲荷山古墳出土 鉄剣銘(埼玉県・5世紀)/熊本・江田船山古墳の鉄刀にも同じ大王名
  1. hist-3-s1 鉄剣に刻まれた大王の名は?
    ワカタケル大王(雄略天皇とされる)
  2. hist-3-s2 同じ大王の名が、埼玉と熊本の両方の古墳で見つかったことは、何を示すか?
    大和政権の支配が、5世紀には関東から九州まで広い範囲に及んでいたこと

よくある間違い

  • 「古墳時代に天皇がいた」→ ✗。当時は「大王」。「天皇」の称号は飛鳥時代以降
  • 「埴輪は古墳に埋める副葬品」→ ✗。埴輪は古墳の上や周りに並べる(埋めるのは鏡・剣などの副葬品)。
  • 「仏教伝来は大化の改新と同じころ」→ ✗。仏教の公式伝来は538年(古墳時代)、大化の改新は645年。
想起トレーニング:「大和政権はどんな政権で、なぜ強くなれたか」を説明してみよう
ヒント① どこの・誰の連合か
近畿(奈良)の豪族たちが大王を中心にまとまった連合。氏姓制度で豪族を序列化した。…次は「強さの源」。
ヒント② 強さの源は?
渡来人の進んだ技術(鉄・須恵器・漢字)と、中国南朝・朝鮮との外交。鉄剣の銘文から支配が関東〜九州に及んだとわかる。
答え
近畿の豪族が大王を中心にまとまった連合政権で、氏姓制度で豪族を序列化した。渡来人の進んだ技術(鉄・漢字・須恵器)を取り入れて他より強くなり、5世紀には関東〜九州まで支配を広げた。大王はやがて天皇になる。

練習問題 — Unit 3

  1. hist-3-q1 近畿の豪族が大王を中心にまとまった連合政権は?
    大和政権(ヤマト王権)
  2. hist-3-q2 大和政権の最高権力者の呼び名は?
    大王(おおきみ)
  3. hist-3-q3 鍵穴の形をした巨大な古墳を何という?
    前方後円墳
  4. hist-3-q4 日本最大の前方後円墳は?
    大山(大仙)古墳(仁徳天皇陵とされる・大阪)
  5. hist-3-q5 古墳の上や周りに並べられた素焼きの像は?
    埴輪
  6. hist-3-q6 大王が豪族に氏と姓を与えて序列化したしくみは?
    氏姓制度
  7. hist-3-q7 朝鮮半島などから移住し、進んだ技術を伝えた人々は?
    渡来人
  8. hist-3-q8 渡来人が伝えた、高温で焼いた硬い土器は?
    須恵器
  9. hist-3-q9 渡来人が伝えた、記録や外交に使う文字は?
    漢字
  10. hist-3-q10 5世紀に中国南朝へ使いを送った5人の王をまとめて何という?
    倭の五王(讃・珍・済・興・武)
  11. hist-3-q11 埼玉・熊本の鉄剣に名が刻まれた大王は?
    ワカタケル大王(雄略天皇とされる)
  12. hist-3-q12 鉄剣の名が関東と九州の両方で見つかったことは何を示すか?
    大和政権の支配が関東〜九州まで広がっていたこと
  13. hist-3-q13 仏教が百済から公式に伝わったのは何年?
    538年(一説に552年)
  14. hist-3-q14 大王は後に何という称号になったか?
    天皇
  15. hist-3-q15 入試頻出大王たちが巨大な古墳を作った理由は?
    多くの人を動員できる自分の権力の大きさを示すため。古墳の大きさは王の力を表した
  16. hist-3-q16 入試頻出大和政権が他の豪族より強くなれた理由を、渡来人と関連づけて。
    渡来人がもたらした鉄・漢字・須恵器などの進んだ技術を取り入れたから。それで軍事・生産・記録の力が高まった

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 3)

3つを声に出して。

  • 大和政権とはどんな政権?(どこ・だれ・どうまとまった)
  • 渡来人は何を伝え、政権をどう変えた?
  • 巨大古墳は何を物語っている?
近畿の豪族が大王を中心にまとまった連合政権。氏姓制度で豪族を序列化し、5世紀には関東〜九州まで支配を広げた。
鉄・漢字・須恵器・機織り、のちに仏教を伝え、政権の技術・記録・生産力を高めた。
③ 大きさが王の力(動員できる人の数)を表す。前方後円墳が各地に広がったのは、大和政権の支配が及んだ証。
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

「大王→天皇」「渡来人→仏教→飛鳥文化」という次への橋。忘れかけたころに戻ると飛鳥がスッと入ります。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

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Unit 3 の進捗 📜 完全年表 古墳へ

Unit 4 — 飛鳥(聖徳太子〜大化の改新)

「豪族の力を抑えて、天皇を中心とした国を作る」動きが本格化する時代。聖徳太子の改革 → 蘇我氏打倒(大化の改新)→ 律令国家へ。中国(隋・唐)をお手本にした。

時代の見取り図

支配者は?天皇と、それを支える有力豪族(蘇我氏→のち藤原氏)。
経済の基盤大化の改新で公地公民へ。土地と民を国(天皇)のものに。
対外関係遣隋使・遣唐使で中国に学ぶ。白村江で唐・新羅に敗北。
前からの変化豪族連合 → 天皇中心の中央集権へ動き出す。仏教文化が花開く。
A 土地公地公民=土地と民を豪族の私有から国(天皇)のものへ(大化の改新)。土地制度史の大転換。
B 武士まだ登場しない。
C 権力豪族から天皇へ権力を集める動き。聖徳太子→大化の改新→律令国家。藤原氏(鎌足の子孫)が台頭。
D 対外遣隋使・遣唐使で先進国に学ぶ。白村江の敗北で「唐に攻められるかも」と国防意識が高まる。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 聖徳太子はなぜ「家柄ではなく能力で役人を選ぶ」しくみを作ったと思う?
    考えるヒントと答え
    有力豪族(特に蘇我氏)が力を持ちすぎていたから。天皇が自分で優秀な役人を選べるようにして、豪族の力を抑え、天皇中心の国を作りたかった(縦糸C)。
  2. 645年の大化の改新で、いちばん大きく変わったのは何だと思う?
    考えるヒントと答え
    豪族が私有していた土地と人民を、すべて国(天皇)のものにした(公地公民)。これで税が朝廷に直接入り、国家としてまとまる第一歩になった(縦糸A)。
  3. 白村江の戦いで負けたあと、日本は何を心配して何をしたと思う?
    考えるヒントと答え
    勝った唐・新羅が攻めてくるかも」と心配した。だから九州に防人や水城を置いて守りを固め、国を強くするため律令制度の整備を急いだ(縦糸D→国内改革へ)。
蘇我氏の台頭 聖徳太子の改革 大化の改新(蘇我打倒) 白村江敗北→国防 壬申の乱→律令国家へ
6Wでみる「聖徳太子の改革」(593〜622)
誰が・いつ593年、聖徳太子が推古天皇の摂政として、蘇我馬子と協力して政治を行った。
なぜ・何を天皇中心の国を作り豪族を抑えるため、❶冠位十二階(603・能力で役人を選ぶ) ❷十七条の憲法(604・役人の心構え) ❸遣隋使(607 小野妹子・隋に対等外交+文化輸入)。
結果天皇+官僚という形の原型ができ、飛鳥文化(法隆寺)が花開いた。
影響だが太子の死後、蘇我氏(入鹿)が再び専横。これが大化の改新につながる。
6Wでみる「大化の改新」(645)
誰が・いつ・どこ645年、中大兄皇子と中臣鎌足が、飛鳥の宮殿で蘇我入鹿を倒した。
なぜ・何を蘇我入鹿が天皇をしのぐ権力を握り国を私物化していた。これを倒し、公地公民(土地と民は天皇のもの)へ転換するため。
結果改新の詔」を出し、公地公民・班田収授・国郡制度へ進む。日本初の元号「大化」。
影響蘇我氏が没落、天皇+藤原氏(鎌足の子孫)の時代へ。中国の律令を真似た中央集権国家づくりが本格化する。
大化の改新 — 誰が得して誰が損したか
得をした人
  • 天皇家(権威回復)
  • 中臣鎌足→藤原氏(朝廷の中枢へ)
  • 能力ある中下級豪族
vs
損をした人
  • 蘇我氏(滅亡)
  • 土地を私有していた豪族(公地公民で取り上げ)
  • 農民(租庸調の負担)

重要事件と年号

587蘇我氏が物部氏を倒す仏教推進派の勝利
593聖徳太子 摂政にご苦み(593)聖徳
603冠位十二階むれさ(603)冠位
604十七条の憲法むれよ(604)役人
607遣隋使(小野妹子)/法隆寺群れな(607)隋へ
630遣唐使はじまる
645大化の改新蒸し米(645)で改新
663白村江の戦い(唐・新羅に敗北)むろさん(663)敗北
672壬申の乱→天武天皇むなしい(672)争い
694藤原京(最初の本格的都)

「ムシ殺し(645)の大化の改新」を映像で

645 = 「蒸し米(むしごめ)」/「虫(6・4・5)退治」

映像にしよう👉 飛鳥の宮殿で、中大兄皇子と中臣鎌足が「蘇我入鹿という大きな虫を退治」する。退治のあと、ホカホカの蒸し米(6・4・5)でみんなが新しい国の始まりを祝う——。
👉 これで「645・大化の改新・蘇我氏を倒す・公地公民」が1枚の絵でつながる。バラバラの単語より、1つの場面で覚えるほうが何倍も忘れにくい。

重要人物

推古天皇554-628日本初の女性天皇。聖徳太子を摂政に任命。
聖徳太子574-622冠位十二階・十七条の憲法・遣隋使・仏教普及・法隆寺建立。
蘇我馬子?-626仏教推進派。物部氏を倒し政権を握る。聖徳太子と協力。
小野妹子7世紀遣隋使として隋の皇帝煬帝に派遣。国書「日出づる処の天子…」。
中大兄皇子626-672大化の改新を主導→のちの天智天皇
中臣鎌足614-669大化の改新の立役者。藤原氏の祖。
天武天皇?-686壬申の乱で勝利。律令制度の整備を本格化。

なぜ防衛拠点が「九州(大宰府)」に?

白村江(663)で唐・新羅に敗れたあと、「次は本土に攻め込まれる」と恐れた。だから大陸にいちばん近い北九州に防人を置き、水城(みずき)・大野城を築いて守りを固めた。九州が「日本の防衛の最前線」になるのは、地理的に大陸に近いから。元寇でも幕末でも、九州が外圧の最前線になる。

この時代の文化(飛鳥文化)— 日本最初の仏教文化

建築
  • 法隆寺(聖徳太子建立・現存する世界最古の木造建築)
仏像・工芸
  • 釈迦三尊像(法隆寺・鞍作鳥=止利仏師の作)
  • 玉虫厨子(法隆寺)/広隆寺・中宮寺の半跏思惟像
特徴
  • 中国(北魏)や朝鮮半島(百済・高句麗)からの仏教文化の影響が強い
  • 仏教を中心とした、最初の本格的な国際文化

同時期の世界

飛鳥時代の世界では、中国で隋(589統一)→唐(618)という大帝国が生まれ、東アジアの中心になった。日本の遣隋使・遣唐使は、この世界最先端の国に学びに行ったということ。中東ではイスラム教(610頃)が成立し、急速に勢力を広げ始めた。

589隋 中国統一
610頃ムハンマド イスラム教創始
618唐 建国(世界帝国)
622ヒジュラ(イスラム暦元年)
7c朝鮮:新羅が半島統一へ

📖 史料 — 十七条の憲法(604)

一に曰く、和を以て貴しとなし、忤(さから)うこと無きを宗とせよ。 二に曰く、篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり。 三に曰く、詔を承りては必ず謹め。君をば則ち天とす、臣をば則ち地とす。
出典:日本書紀(憲法十七条・抜粋)
  1. hist-4-s1 この憲法を定めた人物は?
    聖徳太子(604年)
  2. hist-4-s2 第二条の「三宝」とは?
    仏・法・僧(仏教を国として尊重する宣言)
  3. hist-4-s3 この憲法の目的は?
    役人(豪族)の心構えを示すこと。「天皇=天、臣下=地」という上下関係を示し、豪族の独走を抑える

📖 史料 — 改新の詔(646)

其の一に曰く、昔在の天皇等の立てたまへる子代の民、屯倉、…臣・連…の所有る部曲の民・田荘を罷めよ。 其の二に曰く、初めて京師を修め、…国司・郡司・…防人・駅馬を置き…
出典:日本書紀(大化2年正月詔)
  1. hist-4-s4 この詔の最大の改革は、土地と人民を誰のものにしたか?
    天皇(国)のもの=公地公民。豪族の私有(屯倉・田荘・部曲)を廃止
  2. hist-4-s5 この改革を主導した2人は?
    中大兄皇子・中臣鎌足

よくある間違い

  • 「聖徳太子が天皇になった」→ ✗。摂政として推古天皇を補佐した。
  • 「大化の改新で律令が完成」→ ✗。完成は701年の大宝律令(次のUnit 5)。大化の改新は「始まり」。
  • 「遣隋使=遣唐使」→ ✗。隋へは607年(小野妹子)、唐へは630年から。隋が滅び唐になったので切り替わった。
想起トレーニング:「大化の改新ってどんな出来事?」をヒントなしで説明してみよう
ヒント① いつ・だれが
645年中大兄皇子中臣鎌足が起こした。…次は「だれを倒し、何を変えたか」。
ヒント② だれを倒し、何を変えた
権力を握っていた豪族蘇我氏(入鹿)を倒し、土地と人民の所有を…?(4文字の制度)
答え
645年、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を倒し、豪族が私有していた土地と人民を国(天皇)のものとする「公地公民」へ転換した政治改革。これが天皇中心の中央集権国家への第一歩になった。

練習問題 — Unit 4

  1. hist-4-q1 聖徳太子が摂政として支えた天皇は?
    推古天皇(日本初の女性天皇)
  2. hist-4-q2 家柄ではなく能力で官位を決める制度(603年)は?
    冠位十二階
  3. hist-4-q3 役人の心構えを示した法(604年)は?
    十七条の憲法
  4. hist-4-q4 607年に隋へ派遣された人物は?
    小野妹子
  5. hist-4-q5 入試頻出遣隋使が持参した国書の有名な書き出しは?
    日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」(隋と対等を主張)
  6. hist-4-q6 聖徳太子が建てた世界最古の木造建築は?
    法隆寺
  7. hist-4-q7 法隆寺の本尊(鞍作鳥作)は?
    釈迦三尊像
  8. hist-4-q8 587年に蘇我氏が倒した、仏教に反対した豪族は?
    物部氏
  9. hist-4-q9 645年に大化の改新を起こした2人は?
    中大兄皇子・中臣鎌足
  10. hist-4-q10 大化の改新で倒された豪族は?
    蘇我氏(特に入鹿が暗殺された)
  11. hist-4-q11 「土地と人民はすべて天皇のもの」とする原則は?
    公地公民
  12. hist-4-q12 日本で初めて定められた元号は?
    大化
  13. hist-4-q13 中大兄皇子はのちに何天皇となったか?
    天智天皇
  14. hist-4-q14 中臣鎌足の子孫が名乗ることになる氏は?
    藤原氏
  15. hist-4-q15 663年、日本が唐・新羅連合に敗れた海戦は?
    白村江の戦い
  16. hist-4-q16 白村江の敗北後、九州沿岸の防衛に置かれた兵は?
    防人(さきもり)。水城・大野城も築いた
  17. hist-4-q17 672年、天智天皇の死後の皇位継承戦争は?
    壬申の乱(大海人皇子が勝利→天武天皇)
  18. hist-4-q18 飛鳥文化の特徴を一言で。
    日本最初の仏教文化(中国・朝鮮の影響が強い)
  19. hist-4-q19 入試頻出聖徳太子が冠位十二階・十七条の憲法を定めた狙いは?
    豪族の力を抑え、天皇を中心とする国家をつくるため
  20. hist-4-q20 入試頻出大化の改新が「中央集権国家への第一歩」と言われる理由は?
    豪族が私有していた土地と民を国(天皇)に集めた(公地公民)から。税が朝廷に直接入り、国家として動ける土台ができた

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 4)

3つを声に出して。

  • 聖徳太子は何のために何をした?(3つの政策と狙い)
  • 大化の改新で、だれが強くなり、だれが弱くなった?
  • 白村江の敗北は、国内をどう変えた?
天皇中心の国を作り豪族を抑えるため、❶冠位十二階(能力で役人)❷十七条の憲法(役人の心構え)❸遣隋使(対等外交+文化輸入)を行った。
② 強くなった=天皇家・中臣鎌足(藤原氏)。弱くなった=蘇我氏(滅亡)・私有地を持つ豪族(公地公民で取り上げ)。
③ 「唐に攻められる」という危機感から、九州の防衛(防人・水城)を固め、国を強くするため律令制度の整備を急いだ。
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

「公地公民」は土地制度史(縦糸A)の超重要ポイント。次の奈良(律令完成)の理解に直結します。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 4 の進捗 📜 完全年表 飛鳥へ

Unit 5 — 奈良(律令国家と天平文化)

飛鳥で始まった「中国を真似た国づくり」が完成する時代(大宝律令)。だが農民の負担は重く、公地公民は早くも崩れ始める(墾田永年私財法→荘園)。仏教で国を守ろうとした聖武天皇の大仏。

時代の見取り図

支配者は?天皇+律令官僚(二官八省)。仏教の力も借りる。
経済の基盤班田収授と租庸調(米・布・特産物・労役)。やがて荘園が広がる。
対外関係遣唐使で唐の制度・文化を吸収。鑑真が来日。
前からの変化律令国家が完成。だが公地公民が早くも崩れ始める。
A 土地班田収授(国が口分田を配る)が始まるが、743年墾田永年私財法で私有を認め、荘園が誕生=公地公民の崩れ。
B 武士まだ登場しない。地方は国司・郡司が支配。
C 権力天皇+律令官僚が頂点。聖武天皇は仏教(大仏)の力で国をまとめようとした。
D 対外遣唐使で唐から律令・文化・仏教を吸収。鑑真が戒律を伝える。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 聖徳太子や天智天皇が始めた「公地公民」は、奈良時代に早くも崩れ始める。なぜだと思う?
    考えるヒントと答え
    人口が増えて配る口分田が足りなくなった。そこで政府は「開墾した土地は自分のものにしてよい」(743 墾田永年私財法)と認めた。すると貴族や寺が私有地(荘園)を広げ、「土地は全部国のもの」という公地公民が崩れた(縦糸A)。
  2. 聖武天皇はなぜ、巨大な大仏を作ったのだと思う?
    考えるヒントと答え
    疫病・反乱・ききんが続き世が乱れたから。仏教の力で国を守ろう(鎮護国家)として、東大寺に大仏を作らせた(縦糸C=宗教を政治に利用)。
  3. 「防人」はどんな人で、どこを守った?想像してみよう。
    考えるヒントと答え
    主に東国(関東)の農民が、はるばる北九州の防衛に送られた。家族と別れて遠くへ行く過酷な負担で、万葉集に防人の悲しい歌が残る(縦糸D=白村江後の国防の続き)。
大宝律令(701) 平城京(710) 班田収授・租庸調 口分田不足→墾田永年私財法(743) 荘園の発生
6Wでみる「律令国家の完成」(701)
誰が・いつ701年、藤原不比等らが大宝律令を完成させた。「律」=刑法、「令」=行政法。
なぜ白村江(663)で唐に敗れ「攻め込まれるかも」と恐れた。唐の進んだ法律で国を強くしないと滅ぶ、と考えた。
結果中央に二官八省、地方に国・郡・里。6歳以上に口分田を配る班田収授、税は租庸調。710年には唐の長安を真似た平城京へ遷都。
影響「天皇+官僚=国家」の形が完成。だが農民には重い負担で、逃げ出す者が続出。やがて公地公民は崩れる。

律令のしくみ — 農民の負担

班田収授の法

  • 6歳以上の男女に口分田を配る
  • 死ねば国に返す(永久所有ではない)
  • 6年ごとに作り直す戸籍に基づく
  • → 人口増で土地不足 → 743年墾田永年私財法で私有容認 → 荘園

税と負担(租庸調と兵役)

  • :稲(収穫の約3%)— 地方へ
  • :労役のかわりの布 — 中央へ
  • 調:地方の特産物 — 中央へ
  • 雑徭:年60日以内の労役
  • 兵役・防人:北九州の防衛(特に過酷)

重要事件と年号

701大宝律令完成なお一(701)律令
708和同開珎の鋳造
710平城京遷都なんと(710)立派な平城京
712古事記
720日本書紀
743墾田永年私財法・大仏造立の詔なじみ(743)の私有地
752東大寺大仏の開眼供養なごに(752)大仏
754鑑真が来日(唐招提寺)

「なんと(710)立派な平城京」を映像で

710 =「なんと立派な平城京」/ 743 墾田永年私財法 =「なじみ(743)の土地は自分のもの」

映像にしよう👉 唐の都・長安そっくりの碁盤の目の大通り(朱雀大路)を、「なんと(710)立派な!」と都人が見上げる。だが30年後、口分田が足りなくなり、政府が「開墾した"なじみ(743)"の土地は自分のものにしてよい」と折れる——ここから貴族と寺の荘園が広がっていく。
👉「710 立派な都の完成」と「743 公地公民の崩れ始め」を、明と暗の2枚の絵でセットに。

重要人物

藤原不比等659-720鎌足の子。大宝律令の編纂。娘を天皇家に入れ藤原氏繁栄の基礎を築く。
元明天皇661-721平城京遷都・和同開珎・古事記を進める。
聖武天皇701-756仏教で国を守る(鎮護国家)。国分寺・東大寺大仏。遺品は正倉院に。
行基668-749民間で布教し人々を組織。橋や池も作る。大仏造立に協力。
鑑真688-763唐の高僧。何度も遭難し失明しても来日、正しい戒律を伝える。唐招提寺

なぜ平城京は「奈良」に? なぜ碁盤の目?

都を唐の長安にならって、東西南北の道が碁盤の目に走る計画都市にした(中央に朱雀大路)。場所が奈良なのは、大和政権以来の中心地で、瀬戸内海を通じて大陸の文物が届きやすかったから。「進んだ国(唐)を全力で真似る」のが奈良時代の精神。

この時代の文化(天平文化)— 国際色ゆたかな仏教文化

仏教・建築
  • 東大寺大仏(752・聖武天皇)/全国に国分寺・国分尼寺
  • 唐招提寺(鑑真)/東大寺正倉院(校倉造)
  • 正倉院の宝物 — シルクロード経由の品(白瑠璃碗・螺鈿の琵琶)
歴史書・和歌
  • 古事記(712 太安万侶)/日本書紀(720 舎人親王)=国の成り立ちの記録
  • 風土記(地方の地理・伝説)
  • 万葉集(天皇〜農民・防人まで約4500首。大伴家持が編纂に関与)
  • 万葉仮名(漢字の音を借りて日本語を書く)

同時期の世界

奈良時代は、中国のが世界帝国として全盛の時代。都・長安は国際都市で、日本の遣唐使も学びに通った。中東ではイスラム帝国(アッバース朝)がアジア〜アフリカ〜スペインを支配。シルクロードを通じて、ペルシャやインドの品が正倉院にまで届いた。

712唐 玄宗即位(全盛期)
750アッバース朝(イスラム帝国)
751タラス河畔の戦い(製紙法が西へ)
800カール大帝の戴冠(西欧)

📖 史料 — 万葉集「防人歌」

韓衣(からころむ)裾に取りつき泣く子らを 置きてそ来ぬや 母なしにして (防人として旅立つとき、母を亡くした幼い子が着物の裾にすがって泣くのを、置いて来てしまった) 〔作者:防人 他田舎人大島〕
出典:『万葉集』巻20・防人歌
  1. hist-5-s1 防人とはどんな人で、どこを守ったか?
    主に東国(関東)の農民。北九州沿岸(大宰府の防衛)に派遣された
  2. hist-5-s2 この歌から読み取れる、律令の重い負担は?
    兵役(防人)。家族と別れ遠隔地に長期間送られる過酷な負担だった

📖 史料 — 墾田永年私財法(743)

今より以後、任に私財と為し、三世一身を論ずること無く、咸悉くに永年取る莫れ。 (今後は開墾した土地を自分の財産とし、三世一身に関係なく、永久に取り上げない)
出典:『続日本紀』天平15年
  1. hist-5-s3 この法が認めたことは?
    開墾した土地の永久私有
  2. hist-5-s4 入試頻出この法が、土地制度(縦糸A)にもたらした大きな結果は?
    貴族や寺が私有地(荘園)を広げ、「土地は全部国のもの」という公地公民が崩れた

よくある間違い

  • 「平城京を作ったのは桓武天皇」→ ✗。平城京(710)は元明天皇。桓武天皇は平安京(794)(次のUnit)。
  • 「大仏を作ったのは桓武天皇」→ ✗。大仏は聖武天皇
  • 「墾田永年私財法で農民が豊かになった」→ ✗。実際に開墾の力があったのは貴族・寺社。彼らが荘園を広げ、公地公民が崩れた。
想起トレーニング:「公地公民は、なぜ奈良時代に崩れ始めたのか」を説明してみよう
ヒント① まず何が足りなくなった?
人口が増えて、班田収授で配る口分田が足りなくなった。…政府はどうした?
ヒント② 政府の対応は?
743年墾田永年私財法で「開墾した土地は自分のものにしてよい」と認めた。…誰が得をした?
答え
人口増で口分田が不足し、743年の墾田永年私財法で土地の永久私有を認めた。すると開墾の力をもつ貴族や寺が私有地(荘園)を広げ、「土地は全部国のもの」という公地公民が崩れていった。

練習問題 — Unit 5

  1. hist-5-q1 701年に完成した日本初の本格的法典は?
    大宝律令
  2. hist-5-q2 律令の「律」と「令」はそれぞれ何の法か?
    律=刑法、令=行政法
  3. hist-5-q3 710年に遷都した奈良の都は?
    平城京
  4. hist-5-q4 平城京は何を手本に作られたか?
    唐の都長安(碁盤の目の計画都市)
  5. hist-5-q5 6歳以上に口分田を配る制度は?
    班田収授の法
  6. hist-5-q6 律令で農民が負担した主な税3つは?
    租・庸・調
  7. hist-5-q7 北九州の防衛にあたった兵を何という?
    防人
  8. hist-5-q8 743年に出された、開墾地の永久私有を認めた法は?
    墾田永年私財法
  9. hist-5-q9 入試頻出墾田永年私財法の結果、増えた私有地を何という?
    荘園(→公地公民が崩れる)
  10. hist-5-q10 東大寺に大仏を作らせた天皇は?
    聖武天皇
  11. hist-5-q11 聖武天皇が大仏を作った目的は?
    仏教の力で国を守るため(鎮護国家)。疫病・反乱・ききんが続いたため
  12. hist-5-q12 大仏造立に協力した、民間布教の僧は?
    行基
  13. hist-5-q13 唐から来日し戒律を伝え、唐招提寺を建てた僧は?
    鑑真
  14. hist-5-q14 聖武天皇の遺品を納めた、東大寺の倉は?
    正倉院(校倉造)
  15. hist-5-q15 712年・720年に完成した歴史書を2つ。
    古事記(712)・日本書紀(720)
  16. hist-5-q16 天皇から農民まで約4500首を収めた和歌集は?
    万葉集
  17. hist-5-q17 奈良時代の国際色ゆたかな仏教文化を何という?
    天平文化
  18. hist-5-q18 708年に作られた貨幣は?
    和同開珎
  19. hist-5-q19 大宝律令の中央の役所のしくみを何というか(2つの官と8つの省)?
    二官八省
  20. hist-5-q20 入試頻出奈良時代に律令国家が「完成」したと言える理由を一言で。
    大宝律令で、中央(二官八省)・地方(国郡里)・土地(班田収授)・税(租庸調)のしくみが体系的に整ったから

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 5)

3つを声に出して。

  • 律令国家とはどんなしくみ?(中央・地方・土地・税)
  • 公地公民はなぜ崩れ始めた?(口分田→墾田永年私財法→荘園)
  • 聖武天皇はなぜ大仏を作った?
① 大宝律令で、中央に二官八省、地方に国・郡・里を置き、6歳以上に口分田を配る班田収授、税は租庸調というしくみ。
② 人口増で口分田が不足→743年墾田永年私財法で私有を認める→貴族・寺が荘園を広げ、公地公民が崩れた。
③ 疫病・反乱・ききんが続き、仏教の力で国を守る(鎮護国家)ため。
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この単元には「3回」会いに来よう

「班田収授→墾田永年私財法→荘園」は土地制度史の超頻出。次の平安(摂関政治・荘園拡大)に直結します。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 5 の進捗 📜 完全年表 奈良へ

Unit 6 — 平安① 平安京と摂関政治

桓武天皇が都を平安京へ移し、律令を立て直そうとする。だが実権はやがて藤原氏へ。娘を天皇のきさきにして外祖父として権力を握る「摂関政治」のしくみをつかむ。

時代の見取り図

支配者は?名目は天皇、実権は藤原氏(摂政・関白)。
経済の基盤荘園がさらに拡大。藤原氏や寺社が広大な私有地を持つ。
対外関係894年に遣唐使を停止。中国直輸入から日本独自へ。
前からの変化奈良の仏教政治を離れ、貴族(藤原氏)中心の政治へ。
A 土地荘園が拡大。藤原氏・大寺院が税のかからない私有地を広げ、国の収入が減る。
B 武士地方で武士団が育ち始める(次のUnit 7で本格登場)。
C 権力天皇 → 藤原氏の摂関政治へ。娘を入内させ外祖父として実権。道長で全盛。
D 対外894年 遣唐使停止(菅原道真)。中国に頼らず、日本独自の文化へ向かう転機。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 桓武天皇はなぜ、奈良(平城京)から都を移したのだと思う?
    考えるヒントと答え
    奈良では仏教の寺の力が強くなりすぎた(道鏡が天皇になろうとした事件も)。寺の影響から離れて天皇主導の政治をするため、平安京へ移した(縦糸C)。
  2. 藤原氏はどうやって、天皇を倒さずに権力を握ったと思う?
    考えるヒントと答え
    娘を天皇のきさきにして、生まれた子(孫)を次の天皇にする。自分は天皇の外祖父(母方の祖父)として、幼い天皇は摂政、成人後は関白として政治を代行した。これが摂関政治(縦糸C)。
  3. 894年に遣唐使を止めたことは、文化にどんな影響を与えたと思う?
    考えるヒントと答え
    中国文化の直輸入が止まり、日本独自の文化(国風文化)が育った。かな文字・源氏物語など(次のUnit 7)。「お手本がなくなって、自分の言葉で表現し始めた」(縦糸D)。
平安京遷都(794) 遣唐使停止(894) 藤原氏が台頭 摂関政治(道長・頼通)
6Wでみる「摂関政治」
背景天皇は幼くして即位することが多く、後見役が必要だった。
なぜ・何を藤原氏は娘を天皇のきさきにし、生まれた子を次の天皇に。自分は外祖父として、幼少時は摂政、成人後は関白として実権を握った。
結果11世紀前半、藤原道長が娘4人を天皇家に入れて全盛期。「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の…」。子の頼通が平等院鳳凰堂を建立。
影響朝廷の人事・財源を藤原氏が独占。一方で律令は形だけになり、地方は乱れ、武士が育っていく。

重要事件と年号

794平安京遷都(桓武天皇)鳴くよ(794)うぐいす平安京
797坂上田村麻呂 征夷大将軍
894遣唐使の停止(菅原道真)白紙(894)に戻す遣唐使
935平将門の乱(〜940)
939藤原純友の乱(〜941)
1016藤原道長が摂政に入れ色(1016)に染める道長
1053平等院鳳凰堂(藤原頼通)

「鳴くよ(794)うぐいす平安京」と、摂関政治の絵

794 =「鳴くよ(7・9・4)うぐいす平安京」

摂関政治のしくみを1枚の絵に👉 藤原道長が4人の娘を次々に天皇のきさきとして送り込む。生まれた孫が天皇になると、道長は「おじいちゃん(外祖父)」として宮中を取り仕切る。天皇は孫だから逆らえない。
👉「娘を入れる→孫が天皇→自分が祖父として支配」。この"婚姻で権力を握る"絵を覚えれば、摂政・関白・外祖父がつながる。

重要人物

桓武天皇737-806平安京遷都(794)。蝦夷征討。律令の立て直しを図る。
坂上田村麻呂758-811征夷大将軍として東北の蝦夷を制圧。指導者アテルイを降伏させる。
最澄767-822唐から帰国→天台宗。比叡山延暦寺
空海774-835唐から帰国→真言宗。高野山金剛峯寺
菅原道真845-903894年に遣唐使停止を提案。藤原氏の陰謀で大宰府へ左遷。のち「学問の神」に。
藤原道長966-1027摂関政治の最盛期。4人の娘を天皇家に。「望月の歌」。
藤原頼通992-1074道長の子。平等院鳳凰堂を建立。

なぜ都は「京都(平安京)」へ? 以後1000年の都に

桓武天皇は、奈良の仏教勢力から離れるため、794年に都を京都の平安京に移した。京都は三方を山に囲まれ守りやすく、川(鴨川)で水も豊富。以後、明治に東京へ移るまで約1000年間も都であり続けた。だから京都には今も歴史的建造物が集中している。

この時代の文化(弘仁・貞観文化=平安初期)

新しい仏教(密教)
  • 天台宗(最澄・比叡山延暦寺)/真言宗(空海・高野山金剛峯寺)
  • 山奥で修行する密教。加持祈祷で現世利益を願う
その他
  • 密教美術(曼荼羅・神秘的な仏像)
  • 漢詩文の流行(貴族の教養)
  • ※華やかな国風文化は次のUnit 7(平安中期)で

同時期の世界

平安初期、中国では唐が衰え(907滅亡)、混乱を経てが再統一。日本が遣唐使を止めたのは、この唐の衰えも理由。ヨーロッパではカール大帝がフランク王国を広げ西欧キリスト教世界の基礎を築き、その後フランス・ドイツ・イタリアの原型に分裂した。

800カール大帝の戴冠
907唐 滅亡
918高麗(朝鮮統一)
960宋(中国再統一)
962神聖ローマ帝国

📖 史料 — 藤原道長「望月の歌」(1018)

この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば (この世はまるで自分のためにあるようだ。満月が欠けることがないように、私の望みはすべてかなっている)
出典:藤原実資の日記『小右記』。3人目の娘・威子が天皇のきさきになった祝宴で詠まれた
  1. hist-6-s1 この歌を詠んだ人物は?
    藤原道長
  2. hist-6-s2 この歌は、何が頂点に達したことを表しているか?
    摂関政治(藤原氏の権力)の全盛。娘を次々に天皇のきさきにして権力を独占したことへの満足

よくある間違い

  • 「最澄=真言宗、空海=天台宗」→ ✗ 逆。最澄=天台宗(比叡山)、空海=真言宗(高野山)
  • 「藤原氏は天皇を倒して権力を握った」→ ✗。倒さず、娘を入内させ外祖父として実権を握った。
  • 「遣唐使停止を決めたのは藤原道長」→ ✗。菅原道真(894年)。
想起トレーニング:「藤原氏はどうやって権力を握ったか(摂関政治)」を説明してみよう
ヒント① 何を使った?
武力ではなく結婚(婚姻)を使った。…誰を誰に嫁がせた?
ヒント② 具体的には
娘を天皇のきさきにし、生まれた子を次の天皇に。自分は天皇の母方の祖父=外祖父になる。…その立場で何をした?
答え
藤原氏は娘を天皇のきさきにし、生まれた子(孫)を次の天皇にした。そして外祖父として、天皇が幼いときは摂政、成人後は関白として実権を握った。道長のとき全盛を迎えた。

練習問題 — Unit 6

  1. hist-6-q1 794年に平安京へ都を移した天皇は?
    桓武天皇
  2. hist-6-q2 桓武天皇が遷都した理由は?
    奈良の仏教勢力を政治から切り離すため
  3. hist-6-q3 平安京は現在のどこ?
    京都
  4. hist-6-q4 桓武天皇に任命され東北の蝦夷を制圧した征夷大将軍は?
    坂上田村麻呂
  5. hist-6-q5 坂上田村麻呂が降伏させた蝦夷の指導者は?
    アテルイ(阿弖流為)
  6. hist-6-q6 天台宗を開き比叡山延暦寺を建てた僧は?
    最澄
  7. hist-6-q7 真言宗を開き高野山金剛峯寺を建てた僧は?
    空海
  8. hist-6-q8 894年に遣唐使の停止を提案した人物は?
    菅原道真
  9. hist-6-q9 菅原道真はのちに何の神としてまつられたか?
    学問の神(天神・北野天満宮・太宰府天満宮)
  10. hist-6-q10 藤原氏が天皇の幼少時に就いた役職は?
    摂政
  11. hist-6-q11 天皇の成人後に藤原氏が就いた役職は?
    関白
  12. hist-6-q12 摂政・関白が中心となる政治を何という?
    摂関政治
  13. hist-6-q13 摂関政治の最盛期を築いた人物は?
    藤原道長
  14. hist-6-q14 藤原道長の子で、平等院鳳凰堂を建てたのは?
    藤原頼通
  15. hist-6-q15 935年・939年に地方で起きた、武士の力を示した反乱は?
    平将門の乱・藤原純友の乱
  16. hist-6-q16 入試頻出摂関政治とは、藤原氏がどうやって権力を握る政治か?
    娘を天皇のきさきにし、生まれた子を天皇にして、外祖父として摂政・関白の地位から実権を握る政治
  17. hist-6-q17 入試頻出遣唐使の停止が、その後の文化に与えた影響は?
    中国文化の直輸入が止まり、日本独自の国風文化が育った

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 6)

3つを声に出して。

  • 桓武天皇はなぜ平安京に都を移した?
  • 摂関政治とは、どんなしくみで権力を握る政治?
  • 遣唐使の停止は、その後に何をもたらした?
奈良の仏教勢力を政治から切り離すため。寺の影響圏外で天皇主導の政治をしたかった。
② 藤原氏が娘を天皇のきさきにし、生まれた子を天皇に。外祖父として摂政・関白の地位から実権を握った。道長で全盛。
③ 中国文化の直輸入が止まり、日本独自の国風文化(かな・源氏物語など)が育つ転機になった。
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

摂関政治(縦糸C)は、次の院政・武士の登場と対比すると一気に分かります。忘れかけたころに戻りましょう。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 6 の進捗 📜 完全年表 平安へ

Unit 7 — 平安② 国風文化・院政・武士の登場

遣唐使停止で生まれた日本らしい文化(国風文化)と、藤原氏の衰え→院政→そして武士の登場。平清盛が武士で初めて頂点に立つ。次の鎌倉時代=武士の世への入口。

時代の見取り図

支配者は?藤原氏 → 上皇(院政)武士(平清盛)へと移っていく。
経済の基盤荘園。平氏は日宋貿易でも富を得た。
対外関係平清盛が日宋貿易(大輪田泊を整備)で利益。
前からの変化貴族の世から、武士の世へ大きく動き出す。
A 土地荘園が拡大しきり、その荘園を守る武士が力をつける(土地と武士が結びつく)。
B 武士武士がついに中央政治へ! 保元・平治の乱で実力を示し、平清盛が太政大臣に。武士史の本格スタート。
C 権力摂関政治 → 院政(上皇)武士(平氏)へ。名目(天皇)と実権の主が次々入れ替わる。
D 対外平清盛が日宋貿易を推進。宋の銅銭が流入し日本の経済を活発化。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. なぜ平安時代の女性たちが、世界的な文学(源氏物語など)を生み出せたと思う?
    考えるヒントと答え
    遣唐使停止でかな文字が発達し、漢字(公式・男性中心)より自由に気持ちを書けるようになったから。宮中に仕えた女性たち(紫式部・清少納言)が、かなで物語や随筆を書いた(縦糸D→文化)。
  2. 白河上皇はなぜ、天皇をやめて「上皇」として政治をしたのだと思う?
    考えるヒントと答え
    天皇のままだと藤原氏(摂関)に口出しされる。そこで自分の子に位を譲り、上皇として自由に政治(院政)をした。藤原氏の干渉を避ける作戦(縦糸C)。
  3. なぜ「武士」が、貴族をしのいで政治の表舞台に出てこられたと思う?
    考えるヒントと答え
    貴族の争い(保元・平治の乱)を武士の武力で決着させたから。「もめ事は武士に頼むしかない」と皆が気づき、武士の地位が上がった。勝った平清盛がついに太政大臣に(縦糸B)。
国風文化 院政(1086) 保元・平治の乱 平清盛の政権 源平の対立へ
6Wでみる「院政」(1086〜)
背景藤原氏が摂関で天皇を支配。天皇の自由が利かない。
なぜ・何を白河天皇は、自分の子に位を譲り、自分は上皇として「院」で自由に政治をすることを思いつく(1086〜)。
結果藤原氏の力は衰え、上皇が貴族や武士を直接動かす。上皇に仕える武士(源氏・平氏)が力をつける。
影響武士が中央政治に進出するきっかけに。保元・平治の乱を経て、ついに平清盛が武士で初の太政大臣(1167)になる。
平安後期 — 権力の主が次々入れ替わる
順に強くなった
  • 上皇(院政で藤原氏を抑える)
  • 武士(源氏・平氏)
  • 平清盛(武士で初の太政大臣)
  • 大寺院(僧兵で圧力)
弱くなった
  • 藤原氏(摂関の力が衰える)
  • 天皇(上皇に実権を奪われる)
  • 律令の地方支配(荘園で空洞化)

重要事件と年号

1086白河上皇の院政開始入れ早う(1086)院政
1156保元の乱いい頃(1156)保元
1159平治の乱(平清盛が勝利)
1167平清盛 太政大臣にいいむな(1167)平清盛
1180源頼朝ら挙兵(源平合戦へ)

国風文化を「セット」で覚える

紫式部=源氏物語/ 清少納言=枕草子(むらさき源氏・せい枕)

混ざりやすい2人を映像で👉 式部は源氏物語=長編の「物語」(紫の長い巻物)。少納言は草子=「枕」もとで書く随筆(清らかな枕)。
👉「むらさき・源氏」「せい・枕」と頭文字でセット化。どちらも、遣唐使停止で発達したかな文字のおかげで生まれた。

重要人物

紫式部10c末-11c初『源氏物語』。藤原道長の娘・彰子に仕える。
清少納言10c末『枕草子』(随筆)。皇后定子に仕える。
紀貫之?-945頃『古今和歌集』を編纂。かなで書いた『土佐日記』。
白河上皇1053-11291086年に天皇を退いて院政を始める。藤原氏の力を抑える。
平清盛1118-1181保元・平治の乱で勝利→武士で初の太政大臣(1167)。日宋貿易。娘を天皇のきさきに。
後白河上皇1127-1192院政で平清盛・源頼朝と渡り合う。

この時代の文化(国風文化=平安中期)

文字・文学
  • かな文字(平仮名・片仮名)の発達
  • 物語:源氏物語(紫式部)・竹取物語・伊勢物語
  • 随筆:枕草子(清少納言)
  • 和歌集:古今和歌集(紀貫之ら・最初の勅撰和歌集 905)
  • 日記:土佐日記(紀貫之)
美術・建築・信仰
  • 建築:寝殿造(貴族の住まい)
  • 絵画:大和絵・絵巻物(源氏物語絵巻)
  • 浄土信仰(念仏で極楽往生を願う)→ 平等院鳳凰堂(藤原頼通)・阿弥陀如来像(定朝)

同時期の世界

平安後期、ヨーロッパでは十字軍が始まり(1096〜)、聖地エルサレムをめぐってキリスト教世界とイスラム世界が衝突した。中国はの時代で、火薬・羅針盤・印刷術が発達。平清盛の日宋貿易は、この進んだ宋とつながるものだった。

1054キリスト教 東西分裂
1066ノルマン征服(英)
1096第1回十字軍
11-12c宋:火薬・羅針盤・印刷術

📖 史料 — 『枕草子』冒頭(清少納言)

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。 夏は夜。…秋は夕暮れ。…冬はつとめて。
出典:清少納言『枕草子』第一段
  1. hist-7-s1 この随筆の作者と作品名は?
    清少納言『枕草子』
  2. hist-7-s2 この作品が、漢字でなく「かな」で書かれたことの意義は?
    かな文字によって、日本語の繊細な感覚を自由に表現できるようになった(国風文化の象徴)

よくある間違い

  • 「紫式部=枕草子、清少納言=源氏物語」→ ✗ 逆。紫式部=源氏物語、清少納言=枕草子
  • 「院政は天皇が行う政治」→ ✗。天皇を退いた上皇が「院」で行う政治。
  • 「平清盛が幕府を開いた」→ ✗。清盛は太政大臣として朝廷の中で権力を握った。武士初の幕府は源頼朝の鎌倉幕府(次のUnit 8)。
想起トレーニング:「なぜ武士が政治の表舞台に出てこられたか」を説明してみよう
ヒント① きっかけの争いは?
天皇家・貴族の内部争い(保元の乱・平治の乱)が起きた。…それをどう決着させた?
ヒント② 決着のさせ方
貴族たちは武士の武力を頼って争った。勝った武士が力をつけた。…誰が頂点に?
答え
保元・平治の乱という貴族の争いが武士の武力で決着したため、「もめ事は武士に頼むしかない」と武士の地位が上がった。勝利した平清盛が武士で初めて太政大臣(1167)となり、政治の頂点に立った。

練習問題 — Unit 7

  1. hist-7-q1 遣唐使停止後に育った、日本独自の文化を何という?
    国風文化
  2. hist-7-q2 国風文化を支えた文字は?
    かな文字(平仮名・片仮名)
  3. hist-7-q3 紫式部が書いた長編物語は?
    源氏物語
  4. hist-7-q4 清少納言が書いた随筆は?
    枕草子
  5. hist-7-q5 紀貫之らが編纂した最初の勅撰和歌集は?
    古今和歌集
  6. hist-7-q6 平安貴族の住まいの建築様式は?
    寝殿造
  7. hist-7-q7 念仏で極楽往生を願う信仰を何という?
    浄土信仰
  8. hist-7-q8 藤原頼通が建てた、浄土信仰を代表する阿弥陀堂は?
    平等院鳳凰堂
  9. hist-7-q9 1086年に院政を始めた上皇は?
    白河上皇
  10. hist-7-q10 退位した天皇(上皇)が院で行う政治を何という?
    院政
  11. hist-7-q11 1156年・1159年に起きた、武士が活躍した2つの乱は?
    保元の乱・平治の乱
  12. hist-7-q12 平治の乱で勝利し権力を握った武士は?
    平清盛
  13. hist-7-q13 1167年、平清盛が就いた朝廷の最高位は?
    太政大臣(武士で初)
  14. hist-7-q14 平清盛が利益を得た、中国との貿易は?
    日宋貿易(大輪田泊を整備)
  15. hist-7-q15 平清盛が権力を強めた、藤原氏と同じ方法は?
    娘を天皇のきさきにした(外戚政策)
  16. hist-7-q16 入試頻出平清盛と源頼朝、武士初の「幕府」を開いたのはどっち?
    源頼朝(清盛は太政大臣として朝廷内で権力を握ったが、幕府は開いていない)
  17. hist-7-q17 入試頻出院政が、武士の台頭にどうつながったか?
    上皇が藤原氏を抑えるために武士(源氏・平氏)を直接登用したため、武士が中央政治に進出する道が開けた

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 7)

3つを声に出して。

  • 国風文化はなぜ生まれ、どんな作品がある?
  • 院政とは何で、なぜ始まった?
  • 武士はどうやって政治の表舞台に出た?(→平清盛)
① 遣唐使停止でかな文字が発達し、日本語で自由に書けるように。源氏物語(紫式部)・枕草子(清少納言)・古今和歌集・寝殿造・平等院鳳凰堂など。
② 天皇を退いた上皇が院で行う政治。藤原氏(摂関)の干渉を避けて自由に政治するため、白河上皇が1086年に始めた。
③ 貴族の争い(保元・平治の乱)を武士の武力で決着させ、勝った平清盛が武士で初の太政大臣に。武士の世への入口。
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

武士(縦糸B)の出発点。「平清盛=朝廷内で出世」「源頼朝=幕府を開く」の違いが、次の鎌倉理解のカギです。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 7 の進捗 📜 完全年表 平安へ

Unit 8 — 鎌倉① 幕府の成立

武士による初めての政府=鎌倉幕府の誕生。源頼朝が平氏を倒し、守護・地頭を置いて全国を支配。武士の主従関係「御恩と奉公」が、この後の武士社会の土台になる。

時代の見取り図

支配者は?武士(将軍と御家人)。京都の朝廷と並ぶ二重政府に。
経済の基盤武士は土地(領地)が命。御恩=土地、奉公=忠誠。
対外関係この段階では大きな外交はなし(元寇は次のUnit 9)。
前からの変化貴族の世 → 武士の世へ。政治の中心が京都から鎌倉(東国)へ。
A 土地御恩と奉公=土地と忠誠の交換。将軍が御家人の土地を守り(本領安堵)、戦功で土地を与える(新恩給与)。土地が武士をつなぐ。
B 武士武士がついに「国の支配者」に! 源頼朝が幕府を開き征夷大将軍に。武士史の頂点への第一歩。
C 権力名目は天皇・朝廷、実権は鎌倉幕府。やがて将軍の力も北条氏(執権)へ移る(Unit 9)。
D 対外大きな動きなし(次のUnit 9で元寇)。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 源頼朝はなぜ、京都ではなく「鎌倉」に拠点を置いたと思う?
    考えるヒントと答え
    鎌倉は東国(関東)の武士の本拠地で、頼朝の味方が多かった。三方を山、一方を海に囲まれ守りやすい地形。貴族の都・京都から離れ、武士だけの政権を作るのに適していた(縦糸B+地理)。
  2. 「御恩と奉公」とは、将軍と武士のどんな関係だと思う?
    考えるヒントと答え
    御恩=将軍が武士(御家人)の土地を守り、手柄に土地を与える奉公=武士は将軍に忠誠を誓い、戦いのときは命がけで戦う。「土地」と「忠誠」を交換する関係(縦糸A・B)。
  3. 「守護」と「地頭」、それぞれどんな役割だと思う?
    考えるヒントと答え
    守護=国ごとに置かれ、軍事・警察を担当。地頭=荘園・公領ごとに置かれ、税の取り立て・土地の管理。この2つを全国に置いたことで、幕府の支配が地方の隅々まで届いた。
平氏の独裁 源平合戦 壇ノ浦(1185) 守護・地頭設置 頼朝 征夷大将軍(1192)
6Wでみる「鎌倉幕府の成立」
背景平清盛が独裁を強め「平家にあらずんば人にあらず」と言われるほど。他の武士や上皇が反発。
誰が・何を伊豆に流されていた源頼朝が1180年に挙兵。弟源義経が一の谷・屋島・壇ノ浦で平氏を破った。
結果1185年に平氏滅亡。同年、頼朝は守護・地頭を置く権利を獲得(実質的な幕府成立)。1192年に征夷大将軍に。
影響鎌倉(東国)を本拠とする武士の政権が誕生。京都の朝廷と並ぶ「二重政府」に。武士の世が始まる。
封建制度の核 =「御恩と奉公」
御恩将軍 → 御家人へ。本領安堵(先祖の土地を守る)+新恩給与(手柄に新しい土地を与える)。
奉公御家人 → 将軍へ。忠誠を誓い、戦いのときは命がけで戦う(いざ鎌倉)。
注意この関係は「土地」で成り立つ。土地を与えられないと崩れる → 元寇後の幕府衰退の伏線(Unit 9)。

重要事件と年号

1180源頼朝ら挙兵
1185壇ノ浦で平氏滅亡/守護・地頭設置いいやごく(1185)平氏滅亡
1192源頼朝 征夷大将軍にいいくに(1192)つくろう鎌倉幕府
1199源頼朝の死→北条氏台頭
1203北条時政 初代執権に

「いい国(1192)」と「いい箱(1185)」— 2つの年号の意味

1185=「いいやごく(平氏滅亡・守護地頭)」/ 1192=「いい国つくろう(征夷大将軍)」

なぜ2つ年号があるのか👉 1185年に平氏が滅び、頼朝が守護・地頭を全国に置いた=実質的に支配開始。1192年に正式な称号征夷大将軍を得た。
👉 入試ではどちらも幕府成立年として認められる。「実質支配=1185」「正式な肩書き=1192」と区別して、両方覚えておくと並び替え問題に強い。

重要人物

源頼朝1147-1199伊豆で挙兵→鎌倉を本拠に→平氏討伐→征夷大将軍。鎌倉幕府を開く
源義経1159-1189頼朝の弟。一の谷・屋島・壇ノ浦で平氏を破る天才的武将。のち頼朝と対立し奥州で討たれる。
北条政子1157-1225頼朝の妻。「尼将軍」。頼朝の死後、北条氏の実権を支える。
北条時政1138-1215政子の父。初代執権。将軍を補佐する形で実権を握り始める。

なぜ幕府は「鎌倉」に? 守りに強い地形

鎌倉は三方を山に囲まれ、一方が海。敵が攻め込みにくく、出入口は「切通し」という狭い道だけ。守りに最適な「天然の要塞」だった。さらに東国(関東)は頼朝に従う武士の本拠地。貴族の都・京都から離れ、武士だけの政権を作るのにうってつけだった。

同時期の世界

鎌倉幕府ができたころ、ユーラシアではチンギス=ハンがモンゴル帝国を築き始め(1206〜)、史上最大の帝国へ拡大していく(この脅威が次のUnit 9の元寇に)。イギリスではマグナ=カルタ(1215)で王の権力が制限され、のちの議会政治の出発点になった。

1187サラディン エルサレム奪回
1206チンギス=ハン即位
1215マグナ=カルタ(英)

📖 史料 — 『平家物語』冒頭

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
出典:『平家物語』巻一・冒頭(琵琶法師が語り歩いた軍記物語)
  1. hist-8-s1 「盛者必衰」が表す、滅びていく一族は?
    平氏(壇ノ浦で滅亡)
  2. hist-8-s2 この物語を語り広めたのはどんな人々?
    琵琶法師(盲目の僧が琵琶を弾きながら語った)

よくある間違い

  • 「鎌倉幕府は1192年に成立」→ 入試では1185年説(守護・地頭設置)も正解。両方覚える。
  • 「守護=税の取り立て、地頭=軍事警察」→ ✗ 逆。守護=軍事警察(国ごと)、地頭=税・管理(荘園ごと)
  • 「平清盛が鎌倉幕府を開いた」→ ✗。鎌倉幕府は源頼朝
想起トレーニング:「御恩と奉公とは、どんな関係か」を説明してみよう
ヒント① 御恩は、誰が誰に何をする?
将軍が御家人に。先祖の土地を守り(本領安堵)、手柄に新しい土地を与える(新恩給与)。…奉公は?
ヒント② 奉公は、誰が誰に何をする?
御家人が将軍に。忠誠を誓い、いざというとき命がけで戦う。…この関係は何で成り立つ?
答え
御恩=将軍が御家人の土地を守り、手柄に土地を与える。奉公=御家人が将軍に忠誠を誓い、戦いのとき命がけで戦う。「土地」と「忠誠」を交換する主従関係(封建制度)。だから土地が与えられなくなると関係は崩れる(→元寇後の伏線)。

練習問題 — Unit 8

  1. hist-8-q1 鎌倉幕府を開いた人物は?
    源頼朝
  2. hist-8-q2 1185年、源平合戦最後の戦いの地は?
    壇ノ浦(山口県)
  3. hist-8-q3 壇ノ浦などで平氏を破った頼朝の弟は?
    源義経
  4. hist-8-q4 1185年に頼朝が国ごとに置いた、軍事・警察の役は?
    守護
  5. hist-8-q5 同じく荘園・公領ごとに置かれた、税の取り立て役は?
    地頭
  6. hist-8-q6 源頼朝が征夷大将軍に任命されたのは何年?
    1192年(幕府成立は1185年説も)
  7. hist-8-q7 入試頻出将軍と御家人の主従関係を何と何という?
    御恩と奉公
  8. hist-8-q8 「御恩」の2つの内容は?
    本領安堵(先祖の土地を守る)と新恩給与(手柄に土地を与える)
  9. hist-8-q9 御恩と奉公で結ばれた、土地を仲立ちとする社会のしくみを何という?
    封建制度
  10. hist-8-q10 鎌倉幕府で将軍に従った武士を何という?
    御家人
  11. hist-8-q11 源頼朝の死後、政治の実権を握り始めた妻の一族は?
    北条氏
  12. hist-8-q12 将軍を補佐する形で北条氏が握った役職は?
    執権
  13. hist-8-q13 「尼将軍」と呼ばれた頼朝の妻は?
    北条政子
  14. hist-8-q14 平氏の興亡を描いた軍記物語は?
    平家物語(琵琶法師が語った)
  15. hist-8-q15 入試頻出源頼朝が政治の拠点を鎌倉に置いた理由は?
    三方を山・一方を海に囲まれ守りやすく、東国(関東)は頼朝に従う武士の本拠地だったから
  16. hist-8-q16 入試頻出守護と地頭を全国に置いたことの意味は?
    幕府の支配が地方の隅々まで届くようになった(軍事・警察と徴税・土地管理を全国に配置)

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 8)

3つを声に出して。

  • 鎌倉幕府はどうやって成立した?(源平合戦→守護地頭→将軍)
  • 御恩と奉公とは、どんな関係?
  • 守護と地頭は、それぞれ何をする役?
① 源頼朝が挙兵し、弟義経が壇ノ浦で平氏を滅ぼした(1185)。同年守護・地頭を置き、1192年征夷大将軍に。鎌倉を拠点とする武士の政権ができた。
御恩=将軍が御家人の土地を守り手柄に土地を与える/奉公=御家人が忠誠を誓い命がけで戦う。土地と忠誠を交換する主従関係(封建制度)。
守護=国ごとの軍事・警察/地頭=荘園ごとの徴税・土地管理
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

「御恩と奉公=土地で成り立つ」をしっかり押さえると、次のUnit 9で「元寇後になぜ幕府が傾いたか」が一発で分かります。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 8 の進捗 📜 完全年表 鎌倉へ

Unit 9 — 鎌倉② 執権政治・元寇・文化

将軍の力が北条氏(執権)に移り、承久の乱で朝廷に勝つ。だが元寇で「勝ったのに恩賞が出せず」幕府は傾く。民衆にやさしい鎌倉新仏教も生まれる。

時代の見取り図

支配者は?将軍は名ばかり、実権は北条氏(執権政治)
経済の基盤御恩(土地)。だが元寇で土地を与えられず御家人が困窮。
対外関係元寇(モンゴル襲来)を2度撃退。だが恩賞なしで幕府衰退の原因に。
前からの変化承久の乱で武家政権>朝廷が確定。新しい仏教が民衆に広がる。
A 土地御恩=土地が前提。元寇は防衛戦で新しい土地が得られず、恩賞を出せない→御家人困窮→幕府不信。
B 武士武士の世が確立。承久の乱で朝廷に勝ち、武家政権が朝廷を上回る。御成敗式目で武士独自の法も。
C 権力将軍 → 北条氏(執権)へ実権が移る。承久の乱で「武家>朝廷」が決定的に
D 対外元寇(1274・1281)。フビライの元が2度襲来。撃退するが、これが幕府滅亡の遠因に。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 承久の乱で、後鳥羽上皇(朝廷)と幕府、勝ったのはどっちだと思う? その結果は?
    考えるヒントと答え
    幕府が圧勝。北条政子の演説で結束した御家人が上皇軍を破った。上皇は隠岐へ流され、京都に六波羅探題を置いて朝廷を監視。「武家政権>朝廷」が決定的になった(縦糸C)。
  2. 元寇で日本は勝ったのに、なぜ幕府は弱くなったと思う?
    考えるヒントと答え
    元寇は防衛戦争なので、勝っても新しい土地(恩賞)が手に入らない。命がけで戦った御家人に「御恩」を返せず、不満が爆発。借金も増え、幕府への信頼が崩れた(縦糸A・B)。
  3. 鎌倉時代に「念仏を唱えるだけ」「座るだけ」の新しい仏教が次々生まれた。なぜ広まったと思う?
    考えるヒントと答え
    それまでの仏教は難しい修行や学問が必要で、貴族のものだった。新しい仏教は簡単な方法(念仏・題目・座禅)で誰でも救われると説いたので、武士や民衆に広まった。
執権政治 承久の乱(1221) 御成敗式目(1232) 元寇(1274・1281) 御家人の不満→幕府衰退
6Wでみる「承久の乱」(1221)
背景3代将軍源実朝が暗殺され源氏将軍が断絶。後鳥羽上皇は「今こそ倒幕の好機」と考えた。
何を上皇が執権北条義時の討伐を命じる院宣を出す。北条政子の名演説で御家人が結束。
結果幕府が圧勝。後鳥羽上皇は隠岐へ流される。京都に六波羅探題を置き朝廷を監視。
影響朝廷の力が決定的に弱まり、「武家政権>朝廷」が確定。幕府は西日本にも勢力を広げた。
6Wでみる「元寇」(1274 文永・1281 弘安)
背景モンゴルのフビライ=ハンが中国に元を建国し、日本に服属を要求。執権北条時宗が拒否。
何が元軍が2度襲来。集団戦法・「てつはう」(火薬兵器)に苦戦するが、防塁・武士の奮戦・暴風雨(神風)で撃退。
結果2度とも撃退に成功。しかし防衛戦のため新しい土地は得られなかった
影響命がけで戦った御家人に恩賞(土地)を与えられず、不満が爆発。借金も増え、徳政令(1297)も効果薄。幕府滅亡の引き金に。
元寇の前後 — 勝ったのに弱くなった幕府
強くなった(一時)
  • 北条氏(執権の権力)
  • 「武家>朝廷」の体制
弱くなった
  • 御家人(恩賞なし・借金・生活苦)
  • 御恩と奉公の信頼関係
  • 鎌倉幕府そのもの(→1333年滅亡)

重要事件と年号

1221承久の乱人にふい(1221)打ち承久
1232御成敗式目(北条泰時)一文に(1232)まとめる式目
1274文永の役(元寇1)人になし(1274)文永
1281弘安の役(元寇2)
1297永仁の徳政令
1333鎌倉幕府滅亡一味さんざん(1333)

「勝ったのに恩賞ゼロ」を1枚の絵に

元寇 = 防衛戦 = 取った土地がない = 御恩を返せない

映像にしよう👉 御家人が命がけで元軍を追い返した。だが戦いの後、幕府に恩賞を求めても「今回は外国を追い払っただけ。新しい土地がない」と言われ手ぶらで帰る。借金だけが残る——。
👉 武士は「土地(御恩)」で動く(Unit 8)。その土地が出せない=御恩と奉公が壊れる。これが「勝ったのに幕府が滅んだ」理由。因果でつなげば丸暗記不要。

重要人物

北条泰時1183-12423代執権。御成敗式目(1232)制定。
北条時宗1251-12848代執権。元寇を退ける。
後鳥羽上皇1180-1239承久の乱を起こすが敗北、隠岐へ流される。
フビライ=ハン1215-1294モンゴル帝国第5代。元を建国。日本に2度遠征。
法然1133-1212浄土宗。「南無阿弥陀仏」(専修念仏)。
親鸞1173-1262浄土真宗。「悪人正機」。法然の弟子。
日蓮1222-1282日蓮宗。「南無妙法蓮華経」。
栄西・道元12-13c禅宗。栄西=臨済宗、道元=曹洞宗。座禅で悟る。

鎌倉新仏教 ① 念仏・題目(民衆向け)

  • 浄土宗—法然—「南無阿弥陀仏」
  • 浄土真宗—親鸞—「悪人正機」
  • 時宗—一遍—踊念仏
  • 日蓮宗—日蓮—「南無妙法蓮華経」

鎌倉新仏教 ② 禅宗(武士向け)

  • 臨済宗—栄西—公案禅(謎問答)
  • 曹洞宗—道元—只管打坐(ただ座る)
  • 禅は武士の精神に合い広まった

この時代の文化(鎌倉文化)— 力強く写実的

建築・彫刻
  • 東大寺南大門金剛力士像(運慶・快慶)— 力強い写実彫刻
文学
  • 軍記物語:平家物語(琵琶法師)
  • 随筆:方丈記(鴨長明)・徒然草(吉田兼好)
  • 和歌集:新古今和歌集(藤原定家ら・後鳥羽上皇の命)
仏教
  • 鎌倉新仏教6宗派(上の比較表)— 簡単な方法で誰でも救われると説き、民衆に広がる

同時期の世界

鎌倉時代後半の世界はモンゴル帝国の最盛期。フビライが元を建国し中国全土を支配、ユーラシアの東西をつないだ(元寇もこの拡大の一部)。マルコ=ポーロが元を訪れ、日本を「黄金の国ジパング」とヨーロッパに紹介した。

1271フビライ 元を建国
1271-95マルコ=ポーロ東方旅行
1279元が南宋を滅ぼし中国統一
1299オスマン帝国 成立

📖 史料 — 御成敗式目(1232・北条泰時)

一、諸国の守護人奉行の事  右、大番催促・謀叛・殺害人…等の事なり。 一、…廿ケ年を過ぐれば…理非を論ぜず改替に能はず
出典:『御成敗式目』(貞永式目)51か条より
  1. hist-9-s1 この法を定めた執権は?
    北条泰時
  2. hist-9-s2 この御成敗式目はどんな人々のための法か?
    武士(御家人)のための法。武士の慣習をまとめた最初の本格的な武家法
  3. hist-9-s3 「廿ケ年を過ぐれば理非を論ぜず改替に能はず」が表す原則は?
    20年以上実際に支配した土地は、正当性に関係なく現状を認める(時効による土地の安堵)

よくある間違い

  • 「元寇で日本は領土を獲得した」→ ✗。防衛戦争なので新しい土地はなし。これが御家人不満の原因。
  • 「法然=浄土真宗、親鸞=浄土宗」→ ✗ 逆。法然=浄土宗、親鸞=浄土真宗(親鸞は法然の弟子)。
  • 「承久の乱で朝廷が勝った」→ ✗。幕府が圧勝し、上皇は隠岐へ流された。
想起トレーニング:「元寇に勝ったのに、なぜ鎌倉幕府は傾いたのか」を説明してみよう
ヒント① 武士は何で動く?(Unit 8の復習)
武士は「御恩(土地)」で動く。手柄を立てれば土地がもらえるから命がけで戦う。…元寇では土地がもらえた?
ヒント② 元寇は何戦争?
防衛戦争。外国を追い払っただけなので、新しい土地が手に入らない。だから恩賞を出せない。…御家人はどうなる?
答え
元寇は防衛戦争で新しい土地が得られず、命がけで戦った御家人に恩賞(御恩=土地)を与えられなかった。御家人は借金が増えて生活が苦しくなり、幕府への不満が高まった。徳政令も効果が薄く、これが幕府滅亡の引き金になった。

練習問題 — Unit 9

  1. hist-9-q1 北条氏が握った、将軍を補佐する役職は?
    執権(執権政治)
  2. hist-9-q2 1221年、後鳥羽上皇が倒幕を企てた事件は?
    承久の乱
  3. hist-9-q3 承久の乱で御家人を結束させた、頼朝の妻は?
    北条政子
  4. hist-9-q4 承久の乱の結果、京都に置かれた朝廷監視の機関は?
    六波羅探題
  5. hist-9-q5 承久の乱で隠岐へ流された上皇は?
    後鳥羽上皇
  6. hist-9-q6 1232年、北条泰時が定めた武士のための法は?
    御成敗式目(貞永式目)
  7. hist-9-q7 1274・1281年のモンゴル襲来をまとめて何という?
    元寇(文永の役・弘安の役)
  8. hist-9-q8 元寇のときの執権は?
    北条時宗
  9. hist-9-q9 元寇のときの元(モンゴル)の指導者は?
    フビライ=ハン
  10. hist-9-q10 元軍が使った火薬の武器は?
    てつはう
  11. hist-9-q11 1297年、御家人救済のため幕府が出した法は?
    永仁の徳政令
  12. hist-9-q12 「南無阿弥陀仏」を唱える浄土宗の開祖は?
    法然
  13. hist-9-q13 「悪人正機」を説いた浄土真宗の開祖は?
    親鸞
  14. hist-9-q14 「南無妙法蓮華経」を唱える日蓮宗の開祖は?
    日蓮
  15. hist-9-q15 臨済宗・曹洞宗の開祖をそれぞれ答えよ。
    臨済宗=栄西/曹洞宗=道元
  16. hist-9-q16 東大寺南大門の金剛力士像を作った仏師2人は?
    運慶・快慶
  17. hist-9-q17 鴨長明・吉田兼好の随筆をそれぞれ答えよ。
    鴨長明=方丈記/吉田兼好=徒然草
  18. hist-9-q18 鎌倉幕府が滅亡したのは何年?
    1333年
  19. hist-9-q19 入試頻出承久の乱の歴史的意義は?
    朝廷の力が決定的に弱まり、「武家政権>朝廷」が確定した
  20. hist-9-q20 入試頻出元寇に勝ったのに鎌倉幕府が傾いた理由は?
    防衛戦争で新しい土地が得られず、御家人に恩賞を与えられなかったから。御家人は生活が苦しくなり幕府への不満が高まった

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 9)

3つを声に出して。

  • 承久の乱で何が決まった?
  • 元寇に勝ったのに、なぜ幕府が傾いた?
  • 鎌倉新仏教はなぜ民衆に広まった?
① 幕府が後鳥羽上皇に圧勝し、「武家政権>朝廷」が確定。六波羅探題で朝廷を監視。
② 元寇は防衛戦争で新しい土地が得られず、命がけで戦った御家人に恩賞(土地)を出せなかった。御家人が困窮・不満を募らせ、幕府滅亡の引き金に。
念仏・題目・座禅という簡単な方法で誰でも救われると説いたから。難しい修行が要らず、武士や民衆に広まった。
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

「御恩と奉公(Unit 8)→元寇で土地が出せない(Unit 9)→幕府滅亡」の因果は入試頻出。1本の線でつなぎましょう。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 9 の進捗 📜 完全年表 鎌倉へ

Unit 10 — 室町① 幕府・南北朝・勘合貿易

鎌倉滅亡→建武の新政の失敗→南北朝の動乱→足利氏の室町幕府。3代足利義満が南北朝を統一し、勘合貿易で巨利を得て全盛期を築く。

時代の見取り図

支配者は?室町幕府の将軍(足利氏)と、各地の守護大名
経済の基盤勘合貿易(日明貿易)の利益。明銭が流通。
対外関係明と勘合貿易、倭寇の取締。琉球は中継貿易で繁栄。
前からの変化鎌倉の質素な武家政権 → 守護大名が国を支配する分権的な体制へ。
A 土地守護が国の土地・武士を支配し守護大名へ成長。荘園は守護に侵食されていく。
B 武士守護が一国を治める守護大名に成長。武士の支配がさらに広く深くなる。
C 権力将軍(足利義満)が全盛だが、地方の守護大名が強く、中央集権が弱い。これが後の戦乱の種に。
D 対外勘合貿易(日明貿易)。義満が「日本国王」として明と貿易。倭寇と正規船を勘合で区別。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 後醍醐天皇の「建武の新政」は2〜3年で失敗した。なぜだと思う?
    考えるヒントと答え
    天皇は公家(貴族)を重視し、武士を冷遇した。鎌倉幕府を倒すのに活躍した武士たちが「恩賞が少ない」と不満を持ち離反。足利尊氏が背いて新政は崩れた(縦糸C=武士を無視した政治は続かない)。
  2. 足利義満はなぜ「勘合」という合い札を使って貿易したと思う?
    考えるヒントと答え
    当時、倭寇という海賊が暴れていた。明は「正規の貿易船」と「倭寇」を区別したかった。そこで勘合(割符)を持つ船だけを正式な貿易船と認めた(縦糸D)。
  3. 室町幕府は、鎌倉幕府と比べて将軍の力が強い?弱い?
    考えるヒントと答え
    弱い。地方の守護大名が一国を実効支配して力をつけたため、将軍が全国を抑えきれなかった。この「中央の弱さ」が、のちの応仁の乱・戦国時代につながる(縦糸C)。
鎌倉滅亡(1333) 建武の新政(失敗) 南北朝の動乱 室町幕府(1338) 義満:南北朝合一・勘合貿易
6Wでみる「建武の新政の失敗」(1334-36)
背景元寇後の不満で鎌倉幕府が滅亡(1333)。後醍醐天皇が天皇親政(建武の新政)を始めた。
なぜ失敗公家を重視し武士を冷遇。倒幕に活躍した武士の不満が爆発。
結果足利尊氏が離反し、1336年に新政は崩壊。京都に北朝(尊氏が立てた)、吉野に南朝(後醍醐)が並ぶ南北朝の動乱へ。
影響尊氏が1338年室町幕府を開く。約60年の南北朝は1392年に義満が統一。

重要事件と年号

1333鎌倉幕府滅亡一味さんざん(1333)
1334建武の新政(後醍醐天皇)
1338室町幕府成立(足利尊氏)いざ都(13)へ三八(38)
1392南北朝の合一(足利義満)
1404勘合貿易(日明貿易)開始
1429琉球王国の成立(尚巴志)

「勘合=海賊と区別する合い札」を映像で

勘合貿易 = 正規船は「割り札(勘合)」を持つ/ 持たない船=倭寇(海賊)

映像にしよう👉 明の港で役人が、来た船に「割り札(勘合)を見せろ」と言う。札がピタリと合えば「正規の貿易船、通ってよし」。札がなければ「倭寇(海賊)だ、追い返せ」。
👉「勘合=海賊と本物を見分けるための合い札」。だから別名日明貿易(相手は明)。義満は明から「日本国王」と認められて貿易した。

重要人物

後醍醐天皇1288-1339鎌倉幕府を倒し建武の新政。武士を冷遇して失敗、吉野の南朝へ。
足利尊氏1305-1358後醍醐に背き北朝を立て、1338年室町幕府を開く。
足利義満1358-14083代将軍。南北朝合一(1392)・金閣勘合貿易。室町幕府の全盛期。
尚巴志1372-1439琉球王国を統一(1429)。中継貿易で繁栄。

なぜ琉球(沖縄)は「中継貿易」で栄えた?

琉球(沖縄)は、日本・中国・朝鮮・東南アジアのちょうど真ん中に位置する。自国の産物は少なくても、各地の品を「買って別の国に売る(中継貿易)」ことで栄えた。地理的な位置がそのまま経済の強みになった例。アイヌは蝦夷地(北海道)で交易を行った。

この時代の文化(北山文化=足利義満期)

  • 建築:金閣(鹿苑寺・公家風+武家風+禅宗様の融合)
  • 芸能:能・狂言(観阿弥・世阿弥。世阿弥『風姿花伝』)
  • 特徴:公家文化と武家文化の融合+禅宗の影響
  • ※民衆文化や東山文化は次のUnit 11で

同時期の世界

室町時代の初め、中国では元が倒れ明(1368)が成立、朝鮮では李氏朝鮮(1392)が建国された。義満の勘合貿易の相手はこの明。ヨーロッパではルネサンスが始まり、英仏は百年戦争を戦っていた。

1339英仏百年戦争 開始
1368明 建国(朱元璋)
1392李氏朝鮮 成立
14c-ルネサンス(イタリア)

📖 史料 — 足利義満への明の国書(勘合貿易)

爾(なんじ)日本国王 源道義(足利義満)、…遠く朝貢を脩(おさ)む。… 今、使を遣はして…大統暦を班示し、正朔を奉ぜしむ
出典:明から義満への国書(『善隣国宝記』)。義満は「日本国王」として明に朝貢する形をとった
  1. hist-10-s1 明は足利義満を何と呼んでいるか?
    日本国王
  2. hist-10-s2 義満はなぜ、明に「朝貢」する形をとってまで貿易したのか?
    明との貿易で巨大な利益(幕府の財源)が得られたから。へりくだっても経済的利益を優先した

よくある間違い

  • 「足利尊氏が南朝」→ ✗。尊氏は北朝を立てた。後醍醐天皇が南朝
  • 「室町幕府は鎌倉幕府より将軍が強い」→ ✗。守護大名が強く、将軍の力は弱め
  • 「勘合貿易の相手は宋」→ ✗。相手は(日明貿易)。宋は平清盛の日宋貿易(Unit 7)。
想起トレーニング:「建武の新政はなぜ失敗したか」を説明してみよう
ヒント① 誰を重視し、誰を冷遇した?
後醍醐天皇は公家を重視し、武士を冷遇した。…倒幕で活躍したのは誰だった?
ヒント② 不満を持った武士は?
倒幕に活躍した武士が「恩賞が少ない」と不満。代表格の足利尊氏が離反した。
答え
後醍醐天皇が公家を重視して武士を冷遇したため、倒幕に活躍した武士の不満が高まり、足利尊氏が離反して2〜3年で崩壊した。武士を無視した政治は続かない、という教訓。

練習問題 — Unit 10

  1. hist-10-q1 1333年に鎌倉幕府を倒した中心人物(天皇)は?
    後醍醐天皇
  2. hist-10-q2 後醍醐天皇による天皇親政を何という?
    建武の新政
  3. hist-10-q3 建武の新政が失敗した理由は?
    公家を重視し武士を冷遇したため、武士が離反した
  4. hist-10-q4 建武の新政から離反し、1338年に室町幕府を開いた武将は?
    足利尊氏
  5. hist-10-q5 京都と吉野に2人の天皇が並んだ時代を何という?
    南北朝時代
  6. hist-10-q6 1392年に南北朝を統一した3代将軍は?
    足利義満
  7. hist-10-q7 足利義満が建てた金箔の建物は?
    金閣(鹿苑寺)
  8. hist-10-q8 将軍を補佐する室町幕府の役職は?
    管領
  9. hist-10-q9 一国を支配するようになった守護を何という?
    守護大名
  10. hist-10-q10 1404年に始まった、合い札を使う明との貿易は?
    勘合貿易(日明貿易)
  11. hist-10-q11 勘合を使った理由は?
    正規の貿易船と倭寇を区別するため
  12. hist-10-q12 朝鮮や中国沿岸を荒らした日本人主体の海賊は?
    倭寇
  13. hist-10-q13 1429年に沖縄を統一した王国は?
    琉球王国(尚巴志が統一)
  14. hist-10-q14 琉球王国の経済の中心は?
    中継貿易
  15. hist-10-q15 能を大成させた親子は?
    観阿弥・世阿弥
  16. hist-10-q16 入試頻出室町幕府で将軍の力が弱かった理由は?
    地方の守護大名が一国を実効支配して力をつけたため、将軍が全国を抑えきれなかった

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 10)

3つを声に出して。

  • 建武の新政はなぜ失敗した?
  • 勘合貿易はなぜ勘合を使った?相手はどこ?
  • 室町幕府の将軍の力が弱かったのはなぜ?
① 後醍醐天皇が公家を重視し武士を冷遇したため、武士の不満が高まり足利尊氏が離反、2〜3年で崩壊。
② 相手は倭寇(海賊)と正規の貿易船を区別するため勘合(合い札)を使った。
③ 地方の守護大名が一国を実効支配して強くなったため、将軍が全国を統制できなかった(→応仁の乱・戦国の種)。
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この単元には「3回」会いに来よう

「将軍が弱く守護大名が強い」という室町の特徴が、次のUnit 11・12(一揆・応仁の乱・戦国)の前提です。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

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Unit 11 — 室町② 社会と文化

農民がで団結し、一揆で支配者に立ち向かう。経済も発達。文化は東山文化で「わび・さび」=今の和風の原型が生まれる。

時代の見取り図

支配者は?守護大名。だが農民も惣・一揆で力をつけ、自治を実現する所も。
経済の基盤農業の進歩(二毛作・水車)、商業・金融(馬借・土倉・酒屋・座)。
対外関係勘合貿易は継続(Unit 10)。
前からの変化民衆が歴史の表に登場。文化も貴族中心から庶民・禅へ。
A 土地農民がで団結し、年貢の軽減や徳政(借金帳消し)を要求。土地・年貢をめぐる民衆の抵抗。
B 武士守護大名が支配を強めるが、一揆や下克上で下から突き上げられ始める(次のUnit 12へ)。
C 権力民衆(惣・一揆)が新たな力に。山城国一揆・加賀一向一揆では守護を追放して自治。
D 対外大きな動きなし。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 農民たちはなぜ「惣」という組織を作って団結したと思う?
    考えるヒントと答え
    1人では守護や領主に年貢の軽減や用水の管理を要求できない。村ごとにまとまれば(惣)、交渉したり、ときには一揆で集団で立ち向かえるから(縦糸A・C=民衆の力)。
  2. 東山文化(銀閣・書院造)は、今の私たちの暮らしと関係がある?
    考えるヒントと答え
    おおいにある。書院造は畳・障子・床の間をもち、現代の和室の原型。茶の湯・生け花・水墨画も今に続く。「わび・さび(簡素な美)」という日本の美意識がこの時期に確立した。
  3. 「下克上」とはどういう意味だと思う?
    考えるヒントと答え
    下の者が上の者を実力で倒して、その地位を奪うこと。守護大名の家臣が主君を倒して戦国大名になったり、農民が一揆で守護を追い出したり。室町後期〜戦国の世を表すキーワード(縦糸C)。
農業・商業の発達 惣(村の自治) 土一揆・一向一揆 下克上の風潮
6Wでみる「民衆の成長(惣と一揆)」
背景農業(二毛作・牛馬・水車)や商業が発達し、農民・町人が豊かに・力をつけた。
何を村ごとにという自治組織を作り、団結。年貢軽減や徳政(借金帳消し)を求めて一揆を起こした。
結果1428年正長の土一揆(最初の本格的土一揆)。1485年山城国一揆(守護を追放し8年間自治)。1488年加賀の一向一揆(約100年間自治)。
影響「身分が下の者でも、団結すれば支配者を倒せる」=下克上の風潮が広がり、戦国時代へつながる。

重要事件と年号

1428正長の土一揆一夜に(1428)借金帳消し
1467応仁の乱(→Unit 12)
1485山城国一揆(守護を追放・自治)
1488加賀の一向一揆
1489銀閣(足利義政・東山文化)

「金閣=義満・北山/銀閣=義政・東山」を映像で

金(きん)閣=義満(よしみつ)/ 銀(ぎん)閣=義政(よしまさ)— どちらも「みつ・まさ」

混ざりやすい2つを映像で👉 ピカ豪華な金閣は、全盛期の3代義満(はなやかな北山文化)。色(実際は銀箔なし)の落ち着いた銀閣は、応仁の乱のころの8代義政(しぶい東山文化)。
👉「金=義満=はなやか」「銀=義政=わび・さび」と、建物の派手さ=将軍の時代の雰囲気でセット化。銀閣の隣の書院造が和室の原型。

重要人物・経済用語

足利義政1436-14908代将軍。応仁の乱の一因。銀閣・書院造・東山文化。
雪舟1420-1506水墨画を大成。明に渡って学ぶ。「秋冬山水図」。
蓮如1415-1499浄土真宗(本願寺)を再興。御文で布教。加賀一向一揆の母体。
馬借・問(問丸)馬借=陸の運送業者、問=港の運送・倉庫業者。土一揆の中心にも。
土倉・酒屋高利貸し(金融業者)。一揆の襲撃対象になった。

この時代の文化(東山文化=足利義政期)

建築・庭園
  • 銀閣(慈照寺)/書院造(東求堂同仁斎・畳・障子・床の間=和室の原型)
  • 枯山水(龍安寺石庭・水を使わず石と砂で表現)
芸術・芸能
  • 水墨画:雪舟/茶の湯:村田珠光(わび茶の祖)/生け花/連歌
民衆文化
  • 御伽草子(一寸法師・浦島太郎など絵入りの物語)
  • 盆踊り・祇園祭(応仁の乱で中断後、京都の町衆が復興)

同時期の世界

室町後期、ヨーロッパでは大航海時代が始まり(コロンブス1492)、ルネサンスが花開いた。東ローマ帝国が滅亡(1453)し、オスマン帝国が地中海東部を支配。日本の民衆が一揆で立ち上がっていたころ、世界も大きく動いていた。

1453東ローマ帝国 滅亡
1492コロンブス アメリカ到達
1498バスコ=ダ=ガマ インド航路

📖 史料 — 正長の土一揆(1428)

正長元年九月 日、一天下の土民蜂起す徳政と号し、酒屋・土倉・寺院等を破却せしめ、…借銭等悉くこれを破る。日本開白以来、土民蜂起是れ初めなり
出典:『大乗院日記目録』(尋尊)
  1. hist-11-s1 「土民」が要求した「徳政」とは?
    借金の帳消し
  2. hist-11-s2 「日本開白以来…初めなり」が示すこの一揆の意義は?
    日本史上初の本格的な民衆(農民)の一揆。以後、土一揆が頻発する時代に

よくある間違い

  • 「金閣=義政、銀閣=義満」→ ✗ 逆。金閣=義満(北山)、銀閣=義政(東山)
  • 「書院造は江戸時代の様式」→ ✗。室町の東山文化。現代の和室の原型。
  • 「惣は武士の組織」→ ✗。農民(村)の自治組織
想起トレーニング:「室町時代に民衆(農民)はどう力をつけたか」を説明してみよう
ヒント① 何を作って団結した?
村ごとにという自治組織を作った。…団結して何を要求した?
ヒント② 何を要求し、何を起こした?
年貢軽減や徳政(借金帳消し)を求めて一揆を起こした。山城国一揆や加賀一向一揆では守護を追放して自治も。
答え
農業・商業の発達で力をつけた農民が、村ごとに惣という自治組織を作って団結し、年貢軽減や徳政を求めて一揆を起こした。山城国一揆・加賀一向一揆では守護を追放し自治を実現。これが下克上の風潮を生んだ。

練習問題 — Unit 11

  1. hist-11-q1 室町時代の村の自治組織を何という?
    (そう)
  2. hist-11-q2 1428年に起きた最初の本格的な土一揆は?
    正長の土一揆
  3. hist-11-q3 一揆が要求した「徳政」とは何か?
    借金の帳消し
  4. hist-11-q4 1485年、農民・武士が守護を追放し8年間自治した一揆は?
    山城国一揆
  5. hist-11-q5 1488年、本願寺門徒が守護を倒し約100年自治した一揆は?
    加賀の一向一揆
  6. hist-11-q6 浄土真宗(一向宗)を再興した人物は?
    蓮如
  7. hist-11-q7 銀閣を建てた8代将軍は?
    足利義政
  8. hist-11-q8 銀閣に代表される文化を何という?
    東山文化
  9. hist-11-q9 畳・障子・床の間をもつ、現代の和室の原型の建築様式は?
    書院造
  10. hist-11-q10 石と砂で自然を表現する庭園を何という?
    枯山水(龍安寺石庭など)
  11. hist-11-q11 水墨画を大成した僧は?
    雪舟
  12. hist-11-q12 一寸法師・浦島太郎などの絵入りの物語を何という?
    御伽草子
  13. hist-11-q13 陸上で馬を使って物を運んだ運送業者は?
    馬借
  14. hist-11-q14 室町時代の高利貸し(金融業者)を2つ。
    土倉・酒屋
  15. hist-11-q15 下の者が実力で上の者を倒す風潮を何という?
    下克上
  16. hist-11-q16 入試頻出東山文化が「現代の和の暮らしの原型」と言われる理由は?
    書院造(畳・障子・床の間)・茶の湯・生け花・水墨画など、今に続く和風文化の基礎がこの時期に生まれたから

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 11)

3つを声に出して。

  • 惣と一揆とは何で、農民は何を要求した?
  • 東山文化が現代とつながる点は?
  • 下克上とはどういう意味?
惣=村の自治組織。農民は団結して年貢軽減や徳政(借金帳消し)を求め、一揆を起こした。山城国一揆・加賀一向一揆では守護を追放し自治も。
書院造(畳・障子・床の間)=和室の原型。茶の湯・生け花・水墨画など今に続く和風文化の基礎。
下の者が実力で上の者を倒し、その地位を奪うこと。戦国の世を表すキーワード。
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

「下克上」「惣・一揆」をつかむと、次のUnit 12(応仁の乱→戦国大名)がスッと入ります。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 11 の進捗 📜 完全年表 室町へ

Unit 12 — 戦国(応仁の乱〜鉄砲・キリスト教)

応仁の乱で幕府の権威が崩れ、各地で戦国大名が実力で領国を支配する乱世へ。そこへ鉄砲・キリスト教が伝来し、戦い方も社会も変わる。天下統一の前夜。

時代の見取り図

支配者は?戦国大名(実力で領国を支配)。将軍・幕府は形だけに。
経済の基盤領国経営(治水・鉱山・城下町・楽市)。南蛮貿易も。
対外関係鉄砲(1543)・キリスト教(1549)伝来。南蛮貿易が始まる。
前からの変化中央集権が完全崩壊。「実力がすべて」の下克上の世へ。
A 土地戦国大名が領国(分国)を一円支配。検地で土地と農民を把握し始める(→秀吉の太閤検地へ)。
B 武士下克上で守護代・国人が戦国大名に成長。武士が完全に主役。鉄砲で戦い方も激変。
C 権力将軍の権威が完全に失墜。実力ある者が上に立つ世。誰が天下を取るか実力勝負へ。
D 対外鉄砲・キリスト教・南蛮貿易でヨーロッパとつながる。世界が日本に入ってくる転換点。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 応仁の乱(11年も続いた大戦乱)の後、なぜ「戦国時代」になったと思う?
    考えるヒントと答え
    応仁の乱で幕府の権威が地に落ちた。守護大名が領国に帰った隙に、家臣(守護代・国人)が下克上で主君を倒し、実力で領国を支配する戦国大名になった。中央が抑えられず各地が独立的に(縦糸C)。
  2. 鉄砲が伝わると、戦い方はどう変わったと思う?
    考えるヒントと答え
    それまでの一騎打ち・弓矢中心から、足軽の鉄砲隊による集団戦へ。長篠の戦い(次のUnit 13)が代表。城も鉄砲に備えて石垣・天守をもつ城に変わった。天下統一を早めた(縦糸D)。
  3. 戦国大名はなぜ「楽市・楽座」をしたと思う?
    考えるヒントと答え
    商人を自分の城下町に集めて商業を活発にし、税収(軍資金)を増やすため。座(同業組合)の特権をなくして自由に商売させた。経済力=戦争の力だった(縦糸A)。
応仁の乱(1467) 幕府権威の失墜 下克上→戦国大名 鉄砲・キリスト教伝来 天下統一へ
6Wでみる「応仁の乱」(1467-77)
背景8代将軍足利義政の後継問題(弟義視 vs 子義尚)+管領家の家督争いが重なった。
何が守護大名が東軍(細川勝元)と西軍(山名宗全)に分かれて、京都で11年も戦った。
結果京都は焼け野原。勝負はつかず、幕府の権威は地に落ちた。
影響守護大名が領国へ帰った隙に家臣が下克上→各地に戦国大名が乱立。戦国時代が始まった。
6Wでみる「鉄砲・キリスト教の伝来」
背景大航海時代でポルトガル・スペインがアジアに進出していた。
何が・いつ1543年、種子島に漂着したポルトガル人が鉄砲を伝来。1549年、ザビエルが鹿児島でキリスト教を伝えた。
影響鉄砲は堺・国友で量産され、戦い方が集団戦に激変。城も石垣・天守へ。キリスト教は南蛮貿易とともに広まり、キリシタン大名も現れた。

重要事件と年号

1467応仁の乱(〜1477)人の世むなしい(1467)応仁
1543鉄砲伝来(種子島)以後よさん(1543)鉄砲
1549キリスト教伝来(ザビエル)以後よく(1549)広まる
1560桶狭間の戦い(信長→Unit 13)

「鉄砲1543/キリスト教1549」を区別する

鉄砲=以後よさん(1543)種子島/ キリスト教=以後よく(1549)ザビエル

混ざりやすい2つを映像で👉 1543年、種子島の浜に流れ着いたポルトガル人が鉄砲を見せる(モノ=鉄砲が先)。1549年、宣教師ザビエルが鹿児島でキリスト教を説く(人=ザビエルが後)。
👉「先にモノ(鉄砲・1543)、後でココロ(宗教・1549)」。6年差。種子島→鉄砲、ザビエル→キリスト教、と地名・人名でセット化。

重要人物

足利義政1436-14908代将軍。後継問題が応仁の乱の一因。
北条早雲1432-1519「最初の戦国大名」。小田原を本拠に。
武田信玄1521-1573甲斐の戦国大名。「風林火山」。分国法(甲州法度之次第)。川中島で上杉謙信と戦う。
上杉謙信1530-1578越後の戦国大名。武田信玄の好敵手。
フランシスコ=ザビエル1506-1552イエズス会士。1549年鹿児島でキリスト教を伝える。

なぜ鉄砲は「種子島」、キリスト教は「鹿児島」=九州から?

どちらも九州(南西部)から。理由はUnit 2と同じ=大陸・南方の海に近い玄関口だから。大航海時代のヨーロッパ船は、東南アジア経由で九州にやって来た。「新しいもの(稲作・仏教・鉄砲・キリスト教)はみな西から」というパターンがここでも。

この時代の文化・社会

  • 分国法(戦国大名が領国に定めた独自の法・甲州法度之次第など)
  • 城下町(大名の城のまわりに家臣・商工業者を集める)
  • 楽市・楽座(座の特権を廃止し商業を自由に)
  • 南蛮文化のさきがけ(鉄砲・キリスト教・南蛮貿易)
  • ※華やかな桃山文化は次のUnit 13で

同時期の世界

戦国時代の世界は大航海時代+宗教改革。ポルトガル・スペインが世界に進出(鉄砲・キリスト教はこの一環)。ヨーロッパではルター(1517)の宗教改革でカトリックとプロテスタントが対立、対抗してイエズス会が海外布教を強化した(ザビエルもその一人)。

1517ルター 宗教改革
1519-22マゼラン一行 世界周航
1534イエズス会 結成
1543コペルニクス 地動説

📖 史料 — 甲州法度之次第(武田信玄の分国法・1547)

一、喧嘩の事、是非に及ばず成敗を加ふべし。但し、取り懸ると雖も、堪忍せしむるの輩に於ては、罪科に処すべからず。 一、許可なくして他国へ音信・文通の事、堅く停止せしむる事。
出典:『甲州法度之次第』
  1. hist-12-s1 戦国大名が領国に定めた独自の法を何という?
    分国法
  2. hist-12-s2 「喧嘩の事、是非に及ばず成敗を加ふべし」の原則の名は?
    喧嘩両成敗(理由に関係なく両方処罰し、家中の私闘を抑える)

よくある間違い

  • 「鉄砲伝来=ザビエル」→ ✗。鉄砲は1543年ポルトガル人(種子島)、ザビエルは1549年キリスト教
  • 「応仁の乱で勝った側が天下を取った」→ ✗。勝負はつかず、幕府の権威だけが失墜して戦国時代に。
  • 「楽市・楽座は座を保護する政策」→ ✗。逆で、座の特権をなくして商業を自由にする政策。
想起トレーニング:「応仁の乱がなぜ戦国時代の始まりになったか」を説明してみよう
ヒント① 乱で何が崩れた?
11年の戦乱で幕府の権威が地に落ちた。…守護大名はその後どうした?
ヒント② 守護大名が領国に帰ると…
留守の間に家臣(守護代・国人)が下克上で主君を倒し、実力で領国を支配する戦国大名になった。
答え
応仁の乱で幕府の権威が失墜し、守護大名が領国へ帰った隙に、家臣が下克上で主君を倒して戦国大名になった。中央が地方を抑えられず、各地が実力で争う戦国時代が始まった。

練習問題 — Unit 12

  1. hist-12-q1 1467年に始まり戦国時代のきっかけとなった戦乱は?
    応仁の乱
  2. hist-12-q2 応仁の乱のときの将軍は?
    足利義政(8代)
  3. hist-12-q3 下の者が実力で上の者を倒す風潮を何という?
    下克上
  4. hist-12-q4 実力で領国を支配した大名を何という?
    戦国大名
  5. hist-12-q5 「最初の戦国大名」と呼ばれ小田原を本拠にしたのは?
    北条早雲
  6. hist-12-q6 上杉謙信と川中島で戦った甲斐の戦国大名は?
    武田信玄
  7. hist-12-q7 戦国大名が領国に定めた独自の法は?
    分国法
  8. hist-12-q8 戦国大名が城のまわりに家臣や商人を集めた町は?
    城下町
  9. hist-12-q9 座の特権を廃止して商業を自由にした政策は?
    楽市・楽座
  10. hist-12-q10 1543年、鉄砲が伝来した場所は?
    種子島(鹿児島県)
  11. hist-12-q11 鉄砲を伝えたのはどこの国の人?
    ポルトガル人
  12. hist-12-q12 鉄砲の主な生産地を2つ。
    堺(大阪)・国友(滋賀)
  13. hist-12-q13 1549年にキリスト教を伝えた宣教師は?
    フランシスコ=ザビエル
  14. hist-12-q14 ポルトガル・スペインとの貿易を何という?
    南蛮貿易
  15. hist-12-q15 キリスト教を信仰した大名を何という?
    キリシタン大名
  16. hist-12-q16 入試頻出鉄砲の伝来は戦い方をどう変えたか?
    一騎打ちから足軽の鉄砲隊による集団戦へ。城も石垣・天守をもつ形に変わり、天下統一を早めた

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 12)

3つを声に出して。

  • 応仁の乱はなぜ戦国時代の始まりになった?
  • 鉄砲とキリスト教は、いつ・どこに・誰が伝えた?
  • 鉄砲は戦い方をどう変えた?
幕府の権威が失墜し、守護大名が領国へ帰った隙に家臣が下克上で戦国大名になり、各地が実力で争う世になった。
② 鉄砲=1543年・種子島・ポルトガル人。キリスト教=1549年・鹿児島・ザビエル
③ 一騎打ちから足軽の鉄砲隊による集団戦へ。城も石垣・天守をもつ形に変わった。
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

鉄砲伝来は次のUnit 13(長篠の戦い・信長)に直結。「応仁の乱→戦国→統一」の大きな流れを意識しましょう。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 12 の進捗 📜 完全年表 戦国へ

Unit 13 — 安土桃山(信長・秀吉)

織田信長が古い権威を壊し、豊臣秀吉が全国を統一して仕組みを作る。太閤検地と刀狩で武士と農民を分ける(兵農分離)=江戸の身分社会の土台。豪華な桃山文化。

時代の見取り図

支配者は?信長 → 秀吉。実力で天下統一を進める天下人。
経済の基盤太閤検地で全国の石高を把握。楽市楽座・鉱山・貿易。
対外関係南蛮貿易は継続。秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)。
前からの変化バラバラの戦国 → 全国統一。検地・刀狩で身分が固定される。
A 土地太閤検地で全国の田畑を測り石高で表記、耕作者を1人に固定。荘園制が完全消滅。土地制度史の大転換。
B 武士刀狩で農民から武器を取り上げ、兵農分離。武士=支配者、農民=生産者と固定。武士史の到達点が見えてくる。
C 権力信長が古い権威(幕府・寺)を破壊、秀吉が全国統一。実力者が天下を取る時代の頂点。
D 対外秀吉が朝鮮出兵(明征服を狙う)。失敗するが、陶工が連れて来られ有田焼の起源に。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 秀吉はなぜ「刀狩」で農民から武器を取り上げたと思う?
    考えるヒントと答え
    農民が武器を持つと一揆を起こすから。武器を取り上げ、農民は耕作だけ・武士は戦いだけと分ける(兵農分離)と、反乱を防ぎ、身分を固定でき、年貢も確実に取れる(縦糸A・B)。
  2. 太閤検地をすると、誰が困って誰が得をしたと思う?
    考えるヒントと答え
    困った=荘園領主(公家・寺)。土地の権利が耕作者1人に定められ、間に立って取り分を得ていた中間搾取が消えた。得をした=秀吉(幕府)。全国の生産量を正確に把握し、年貢を確実に取れるようになった(縦糸A)。
  3. 信長と秀吉と家康、3人の役割を一言で予想すると?
    考えるヒントと答え
    信長=古い権威を壊す(幕府・寺を倒す)。秀吉=全国を統一し仕組みを作る(検地・刀狩)。家康=長く続く体制を作る(江戸幕府)。「壊す→まとめる→固める」の分担(縦糸C・次のUnit 14へ)。
信長(古い権威を破壊) 本能寺の変(1582) 秀吉(全国統一・検地刀狩) 朝鮮出兵→秀吉の死
6Wでみる「織田信長の革命」
何を桶狭間で今川を破り(1560)、室町幕府を滅ぼし(1573)、長篠で鉄砲を使い武田を破った(1575)。比叡山焼き討ちで寺の力も削いだ。
経済楽市・楽座・関所撤廃で商業を活発化し軍資金を確保。安土城を築く。
最期1582年、家臣の明智光秀本能寺の変で討たれた。「古い権威の破壊」を担ったが統一は未完。
6Wでみる「秀吉の天下統一と兵農分離」
背景信長の死後、山崎・賤ヶ岳の戦いを経て秀吉が後継者に。
何を太閤検地(全国の田畑を測り石高で表記)と刀狩(1588・農民から武器没収)で兵農分離。1590年に小田原の北条氏を倒し天下統一
結果武士=城下町、農民=村と身分が固定。荘園制が完全に消滅し、年貢の徴収が確実に。
影響江戸時代の身分社会の土台が完成。だが晩年の朝鮮出兵は失敗し、大名の対立を深め、関ヶ原の遠因に。

重要事件と年号

1560桶狭間の戦い(信長 vs 今川)
1573室町幕府滅亡(信長)以後涙(1573)室町終
1575長篠の戦い(鉄砲)以後なご(1575)長篠
1582本能寺の変/太閤検地開始いちごパンツ(1582)信長散る
1588刀狩令(秀吉)いちごパパ(1588)刀狩
1590秀吉の天下統一(小田原征伐)
1592文禄の役(朝鮮出兵1)
1597慶長の役(朝鮮出兵2)

「検地+刀狩=兵農分離」を1枚の絵に

太閤検地=土地を測る/ 刀狩=武器を取る/ 合わせて「武士と農民を切り離す」

映像にしよう👉 秀吉の役人が、村に来て田んぼをものさしで測り(検地)、続いて農民の刀・槍を集めて持ち去る(刀狩)。残された農民は「もう戦えない、耕すだけだ」。武士は城下町で戦いの専門家に。
👉「測る+取り上げる=武士と農民を分ける(兵農分離)」。この2つはいつもセット。江戸の身分社会はここから。

重要人物

織田信長1534-1582桶狭間→室町幕府滅亡→長篠で鉄砲→比叡山焼き討ち→本能寺の変で死。古い権威の破壊者。
明智光秀1528-1582信長の重臣。本能寺で信長を討つ→山崎の戦いで秀吉に敗北。
豊臣秀吉1537-1598信長の家臣→天下統一→太閤検地・刀狩→朝鮮出兵→死。
狩野永徳1543-1590桃山美術。「唐獅子図屏風」。豪壮な障壁画。
千利休1522-1591堺の商人。わび茶を大成。秀吉に仕えるが切腹を命じられる。

なぜ信長は「安土」、秀吉は「大坂」に拠点を?

信長の安土城(滋賀・琵琶湖畔)は、京都に近く東西の交通の要。秀吉の大坂城は、淀川・瀬戸内海の水運の中心で商業に有利。どちらも「都・京都を押さえつつ、交通と経済の要を握る」立地。地理を制する者が天下を制した。

この時代の文化(桃山文化)— 豪華で力強い

建築・絵画
  • 城:安土城・大坂城・姫路城(天守をもつ豪壮な城)
  • 絵画:狩野永徳「唐獅子図屏風」(金地に大きく力強く)
芸能・南蛮文化
  • 茶の湯:千利休のわび茶
  • かぶき踊り:出雲の阿国(歌舞伎の祖)
  • 南蛮文化:パン・カステラ・カルタ・時計・地球儀。天正遣欧使節

同時期の世界

安土桃山のころ、スペインは「太陽の沈まぬ帝国」として世界に植民地を広げ、1588年に無敵艦隊がイギリスに敗れた。秀吉の朝鮮出兵は、こうした世界の動きの中で起きた東アジアの大戦争で、明も援軍を送って国力を消耗した。

1571レパントの海戦
1581オランダ独立宣言
1588英 スペイン無敵艦隊撃破
1600英 東インド会社設立

📖 史料 — 刀狩令(1588・豊臣秀吉)

一、諸国の百姓、刀・脇指・弓・やり・てつはう、其外武具のたぐひ所持候事、堅く御停止候。… 右取をかるべき刀・脇指、…大仏御建立の釘・かすがひに仰せ付けらるべし
出典:『小早川家文書』刀狩令
  1. hist-13-s1 この令で農民から取り上げたものは?
    刀・槍・鉄砲などの武器
  2. hist-13-s2 入試頻出刀狩の目的は?
    農民の一揆を防ぎ、武士と農民の身分を分ける(兵農分離)ため。集めた武器は大仏建立に使うと説明した

よくある間違い

  • 「織田信長が天下を統一した」→ ✗。信長は統一の途中で本能寺の変で死亡。統一したのは秀吉(1590)
  • 「太閤検地で農民は土地を失った」→ ✗。逆で、耕作者として土地の権利が保証された(中間の荘園領主が消えた)。
  • 「秀吉が江戸幕府を開いた」→ ✗。江戸幕府は徳川家康(1603)(次のUnit 14)。
想起トレーニング:「太閤検地と刀狩で社会はどう変わったか」を説明してみよう
ヒント① 2つの政策は何をした?
太閤検地=全国の田畑を測り石高で表記刀狩=農民から武器を没収。…合わせると何が分けられた?
ヒント② 何と何が分けられた?
武士(支配・戦い)と農民(耕作)がはっきり分けられた=兵農分離。…結果どんな社会に?
答え
太閤検地で全国の生産量を把握し、刀狩で農民の武器を取り上げて、武士は城下町で戦い・農民は村で耕作と身分を固定した(兵農分離)。荘園制が消え年貢が確実になり、江戸時代の身分社会の土台ができた。

練習問題 — Unit 13

  1. hist-13-q1 1560年、信長が今川義元を破った戦いは?
    桶狭間の戦い
  2. hist-13-q2 1573年に信長が滅ぼしたのは?
    室町幕府
  3. hist-13-q3 1575年、信長・家康が鉄砲で武田を破った戦いは?
    長篠の戦い
  4. hist-13-q4 信長が座を廃止し商業を自由にした政策は?
    楽市・楽座
  5. hist-13-q5 信長が築いた、琵琶湖畔の城は?
    安土城
  6. hist-13-q6 1582年、本能寺で信長を討った重臣は?
    明智光秀
  7. hist-13-q7 信長の後を継いで天下統一したのは?
    豊臣秀吉
  8. hist-13-q8 秀吉が全国の田畑を測った政策は?
    太閤検地
  9. hist-13-q9 太閤検地で土地の生産量を表す単位は?
    石高
  10. hist-13-q10 1588年、秀吉が農民から武器を取り上げた政策は?
    刀狩
  11. hist-13-q11 検地と刀狩で武士と農民を分けたことを何という?
    兵農分離
  12. hist-13-q12 秀吉が天下統一を達成した1590年に倒した大名は?
    北条氏(小田原)
  13. hist-13-q13 秀吉が2度行った朝鮮への出兵を2つ。
    文禄の役(1592)・慶長の役(1597)
  14. hist-13-q14 桃山文化の代表的な絵師は?
    狩野永徳
  15. hist-13-q15 わび茶を大成させた堺の商人は?
    千利休
  16. hist-13-q16 朝鮮出兵で連れて来られた陶工が始めた焼き物は?
    有田焼(伊万里焼)
  17. hist-13-q17 入試頻出太閤検地と刀狩がもたらした社会の変化は?
    兵農分離が完成し、武士=支配層・農民=生産者と身分が固定された。江戸の身分社会の土台に
  18. hist-13-q18 入試頻出信長・秀吉・家康の役割を一言ずつ。
    信長=古い権威の破壊/秀吉=全国統一と仕組み作り/家康=長く続く体制の確立

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 13)

3つを声に出して。

  • 信長は何を壊した?(幕府・寺・古い経済)
  • 太閤検地と刀狩で社会はどう変わった?
  • 朝鮮出兵はなぜ起き、どうなった?
室町幕府を滅ぼし、比叡山を焼き、楽市楽座で座を壊した。鉄砲を使い古い戦い方も変えた(古い権威の破壊者)。
太閤検地+刀狩で兵農分離が完成。武士=支配層、農民=生産者と身分が固定され、江戸の身分社会の土台に。
③ 統一後に大名へ与える土地が尽き、明征服を掲げて出兵。李舜臣の水軍・明の援軍に苦戦し、秀吉の死で撤退(失敗)。大名の対立を深め関ヶ原の遠因に。
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

「信長=壊す/秀吉=まとめる/家康=固める」の3点セットは入試頻出。次のUnit 14(江戸)への橋です。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 14 — 江戸① 成立と支配のしくみ

家康が関ヶ原に勝ち、260年続く江戸幕府を開く。大名を抑える武家諸法度・参勤交代、身分を固定する士農工商。「なぜ江戸幕府はこんなに長く続いたのか」がテーマ。

時代の見取り図

支配者は?将軍(徳川氏)と大名。幕府が強い力で全国を統制(幕藩体制)。
経済の基盤年貢(米)。大名は石高に応じて軍役・参勤交代を負担。
対外関係この段階では貿易あり。やがて鎖国へ(次のUnit 15)。
前からの変化戦乱の世 → 250年以上の平和。武士が戦う者から役人へ。
A 土地大名は石高に応じて領地を与えられ年貢を取る。幕府は大名を改易・転封で統制。年貢が武士の生活を支える。
B 武士武士が支配者の頂点(士農工商)。だが戦いがなくなり、武士は役人・行政官へ変わっていく。
C 権力幕府が強い力で大名・朝廷を統制(幕府の専制)。武家諸法度・参勤交代・禁中並公家諸法度。
D 対外大きな動きはこの単元では少なめ(鎖国は次のUnit 15)。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 参勤交代(大名が1年おきに江戸と国元を往復)は、何のための制度だと思う?
    考えるヒントと答え
    大名に多額の費用を使わせて力を弱めること、妻子を江戸に住まわせて人質にすること。反乱の余力をなくし、幕府への忠誠を保たせるしくみ(縦糸C)。おまけに街道や宿場町が発展した。
  2. 外様大名(関ヶ原で敵だった大名)は、なぜ江戸から遠い場所に配置されたと思う?
    考えるヒントと答え
    信用できないから。江戸の近くには信用できる親藩・譜代を置き、外様は遠くに置いて反乱しにくくした。薩摩(鹿児島)・長州(山口)が遠いのはこのため(→幕末に倒幕の中心になる伏線)。
  3. なぜ江戸幕府は260年も続いたと思う?
    考えるヒントと答え
    大名を厳しく統制(武家諸法度・参勤交代)、身分を固定(士農工商)、貿易を制限(鎖国)して、変化や反乱の芽を徹底的に抑えたから。「動かない=安定」を選んだ体制(縦糸C)。
関ヶ原(1600) 江戸幕府(1603) 大坂の陣(豊臣滅亡) 武家諸法度・参勤交代 260年の安定
6Wでみる「江戸幕府の成立」
背景秀吉の死後、幼い秀頼を守る石田三成と、覇権を狙う徳川家康が対立。
何が1600年関ヶ原の戦いで家康(東軍)が三成(西軍)を破る。1603年征夷大将軍に。1614-15年大坂の陣で豊臣氏を滅ぼす。
結果江戸幕府が成立。幕藩体制(幕府+藩で全国を支配)が確立。
影響大名を厳しく統制し、約260年の平和(パックス・トクガワーナ)が続いた。

大名と統制のしくみ

大名の3分類

  • 親藩:徳川一族(御三家:尾張・紀伊・水戸)
  • 譜代:関ヶ原以前からの家臣 — 江戸近く・幕府役職に就ける
  • 外様:関ヶ原以後に従った大名 — 江戸から遠く・幕政から排除(薩摩・長州など)

統制の道具

  • 武家諸法度(1615) — 城の修理・婚姻を許可制に
  • 参勤交代(1635 家光) — 1年おきに江戸と国元を往復、妻子は江戸常住
  • 禁中並公家諸法度(1615) — 天皇・公家も統制
  • 改易・転封 — 従わない大名を取り潰し・国替え

重要事件と年号

1600関ヶ原の戦いヒーロー(1600)家康
1603江戸幕府成立(家康)人群れさわぐ(1603)江戸
1615大坂夏の陣(豊臣滅亡)/武家諸法度
1635参勤交代の制度化(家光)

「参勤交代=大名を弱らせる引っ越し地獄」を映像で

参勤交代 = 1年ごとに大名行列で江戸⇄国元/ 妻子は江戸に置きっぱなし(人質)

映像にしよう👉 何百人もの大名行列が、はるばる国元から江戸へ。宿代・人件費でお金がどんどん飛んでいく。江戸の屋敷には妻子(人質)が住む。これを生涯くり返す——大名は反乱する金も体力も残らない。
👉「参勤交代=お金と人質で大名を縛る」。副産物として街道・宿場町・貨幣経済が発達した。

重要人物

徳川家康1542-1616関ヶ原で勝利→江戸幕府開府(1603)→大坂の陣で豊臣を滅ぼす。260年の体制を築く。
石田三成1560-1600秀吉の家臣。関ヶ原で西軍を率い家康に敗れ処刑。
徳川家光1604-16513代将軍。参勤交代を制度化(1635)。鎖国を完成(Unit 15)。

なぜ家康は「江戸(東京)」を本拠に? なぜ薩摩・長州は遠い?

江戸(東京)は関東平野という広い平地をもち、家康の地盤(東国)。当時は田舎だったが、家康が大規模に開発し人口100万の大都市へ。一方、外様の薩摩(鹿児島)・長州(山口)は江戸から最も遠い九州・本州西端に置かれた=信用できない大名を遠ざける配置。この「遠さ」が幕末、両藩が独自に力を蓄え倒幕の中心になる伏線に。

江戸の身分制度

  • 士農工商:武士(支配層)/百姓(農民・人口の約85%)/町人(商人・職人)
  • 百姓は五人組で連帯責任(年貢納入・犯罪防止)
  • 武士は名字・帯刀を許され、城下町に住む
  • 身分は固定され、原則として変えられない(秀吉の兵農分離を引き継ぐ)

同時期の世界

江戸幕府ができたころ、ヨーロッパでは絶対王政(フランスのルイ14世)と、それに対抗する市民革命(イギリスのピューリタン革命・名誉革命)が進んだ。中国では明が滅び清(1644)に。日本が「安定(鎖国)」を選んだのに対し、ヨーロッパは「変化(革命・海外進出)」へ進み、この差が幕末の力の差になる。

1618-48三十年戦争
1640-60英 ピューリタン革命
1644清 が中国支配
1688英 名誉革命→権利の章典

📖 史料 — 武家諸法度(元和令・1615)

一、文武弓馬の道、専ら相嗜むべき事。 一、諸国の居城、修補をなすと雖も、必ず言上すべし。況んや新儀の構営、堅く停止せしむる事。 一、私に婚姻を締ぶべからざる事
出典:『武家諸法度』元和令(徳川秀忠の名で発布・起草は金地院崇伝)
  1. hist-14-s1 「諸国の居城…新儀の構営、堅く停止」は何を禁じたか?
    大名が無断で城を修理・新築すること(軍事力を制限)
  2. hist-14-s2 「私に婚姻を締ぶべからず」が禁じたのは?
    大名同士が幕府に無断で結婚関係を結ぶこと(同盟による反乱を防ぐ)

よくある間違い

  • 「参勤交代を始めたのは家康」→ ✗。3代家光が1635年に制度化
  • 「武家諸法度は朝廷を統制する法」→ ✗。武家諸法度は大名を統制。朝廷統制は禁中並公家諸法度
  • 「外様大名は幕府の役職に就けた」→ ✗。役職に就けたのは譜代。外様は幕政から排除された。
想起トレーニング:「江戸幕府はなぜ260年も続いたのか」を説明してみよう
ヒント① 大名をどう抑えた?
武家諸法度・参勤交代で大名の力とお金を削り、反乱の余力を奪った。…身分や貿易は?
ヒント② 身分・貿易は?
身分を士農工商で固定し、貿易を鎖国で制限(Unit 15)。変化の芽を抑えた。
答え
武家諸法度・参勤交代で大名を厳しく統制し、士農工商で身分を固定し、鎖国で外との交流を制限して、変化や反乱の芽を徹底的に抑えたから。「動かないこと=安定」を選んだ体制だった。

練習問題 — Unit 14

  1. hist-14-q1 1600年、家康が勝った天下分け目の戦いは?
    関ヶ原の戦い
  2. hist-14-q2 関ヶ原で家康に敗れた西軍の中心人物は?
    石田三成
  3. hist-14-q3 江戸幕府が成立した年は?
    1603年(家康が征夷大将軍に)
  4. hist-14-q4 1614-15年に豊臣氏を滅ぼした戦いは?
    大坂の陣(冬の陣・夏の陣)
  5. hist-14-q5 幕府と藩で全国を支配する体制を何という?
    幕藩体制
  6. hist-14-q6 徳川一族の大名を何という?
    親藩(御三家:尾張・紀伊・水戸)
  7. hist-14-q7 関ヶ原以前から徳川に仕えた大名は?
    譜代大名
  8. hist-14-q8 関ヶ原以後に従い、遠くに配置された大名は?
    外様大名
  9. hist-14-q9 1615年に大名を統制するために出された法は?
    武家諸法度
  10. hist-14-q10 1635年に家光が制度化した、大名の江戸往復の制度は?
    参勤交代
  11. hist-14-q11 参勤交代の目的は?
    大名に費用を使わせて力を弱め、妻子を人質にすること
  12. hist-14-q12 天皇・公家を統制した法は?
    禁中並公家諸法度
  13. hist-14-q13 江戸時代の身分制度を表す言葉は?
    士農工商
  14. hist-14-q14 百姓に年貢納入や犯罪防止の連帯責任を負わせた組織は?
    五人組
  15. hist-14-q15 入試頻出外様大名が江戸から遠くに配置されたことが、幕末にどうつながったか?
    幕府の監視が届きにくく独自に力を蓄えられたため、薩摩・長州が倒幕の中心になった
  16. hist-14-q16 入試頻出江戸幕府が長く続いた理由を一言で。
    大名統制(武家諸法度・参勤交代)・身分固定(士農工商)・鎖国で、変化と反乱の芽を徹底的に抑えたから

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 14)

3つを声に出して。

  • 幕藩体制とは、どんな支配のしくみ?
  • 参勤交代の目的は?
  • 大名の3分類と、その配置の意味は?
幕府(将軍)と藩(大名)が全国を分担して支配するしくみ。幕府が大名を武家諸法度・参勤交代で強く統制した。
② 大名に多額の費用を使わせて力を弱め、妻子を江戸に置いて人質にするため。
親藩(徳川一族)・譜代(古参の家臣・要地)・外様(関ヶ原後・遠地)。信用できる順に江戸の近くへ、外様は遠くへ配置した。
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

「外様を遠くに置いた→薩摩長州が倒幕の中心に」という伏線は、Unit 18(幕末)で回収されます。覚えておいて。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 14 の進捗 📜 完全年表 江戸へ

Unit 15 — 江戸② 鎖国と対外関係

幕府はなぜ国を閉じたのか(鎖国)。キリスト教禁止→島原・天草一揆→鎖国完成という流れと、完全には閉じていなかった「4つの口」を押さえる。

時代の見取り図

支配者は?幕府が貿易と宗教を独占・統制
経済の基盤幕府が貿易の利益を独占。生糸・銀・俵物の取引。
対外関係鎖国。ただし4つの口(長崎・対馬・薩摩・松前)で交流は継続。
前からの変化南蛮貿易の自由 → 幕府が独占する管理貿易へ。
A 土地大きな動きなし(前のUnit 14の幕藩体制が続く)。
B 武士島原・天草一揆を最後に大きな戦乱が消え、武士は戦う者から役人へ
C 権力幕府が宗教(キリスト教禁止)と貿易を独占。外様大名の海外交流も断ち、力を削ぐ。
D 対外鎖国の完成。だが完全な孤立ではなく「4つの口」で世界とつながり続けた。この制限が幕末の開国で一気に崩れる。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 幕府はなぜキリスト教を禁止したのだと思う?
    考えるヒントと答え
    キリスト教は「神>将軍」と教えるので、幕府の支配のじゃまになる。また背後にスペイン・ポルトガルがいて侵略・植民地化の心配もあった。信者の団結(一揆)も恐れた(縦糸C・D)。
  2. 「鎖国」というけど、外国と全く交流しなかったの?
    考えるヒントと答え
    いいえ。4つの口で交流は続いた。長崎(オランダ・中国)、対馬(朝鮮)、薩摩(琉球)、松前(アイヌ)。完全な孤立ではなく、幕府が貿易を独占・管理する形だった(縦糸D)。
  3. なぜ貿易相手の西洋の国がオランダだけ残ったと思う?
    考えるヒントと答え
    オランダはプロテスタントで、布教より貿易の利益が目的だったから。カトリックのスペイン・ポルトガルのようにキリスト教を広めようとしなかったので、幕府にとって安全だった(縦糸D)。
キリスト教禁止(1612) 島原・天草一揆(1637) ポルトガル船禁止(1639) 出島にオランダ(1641)=鎖国完成
6Wでみる「鎖国の完成」
背景キリスト教信者が約30万人に。背後のスペイン・ポルトガルによる侵略を幕府が警戒。
なぜ①宗教統制(神>将軍はダメ)②貿易の独占 ③外様大名の海外交流を断ち力を削ぐ。
流れ1612禁教→1637島原・天草一揆(天草四郎・キリシタン農民の大反乱)を鎮圧→1639ポルトガル船禁止→1641オランダ商館を出島に移し鎖国完成
影響国内は安定したが、世界の急速な変化(産業革命・列強の進出)から取り残された。これが幕末の危機につながる。

4つの口(鎖国でも開いていた窓口)

窓口担当の藩相手
長崎幕府直轄オランダ・中国(出島)
対馬対馬藩(宗氏)朝鮮(朝鮮通信使)
薩摩薩摩藩(島津氏)琉球王国
松前松前藩蝦夷地(アイヌ)

重要事件と年号

1612幕領でキリスト教禁止
1637島原・天草一揆(〜1638)人々みんな(1637)立つ
1639ポルトガル船の来航禁止人々さく(1639)鎖国
1641オランダ商館を出島へ(鎖国完成)

「4つの口」を地図でセット化

長崎=蘭・中/ 対馬=朝鮮/ 薩摩=琉球/ 松前=アイヌ

日本地図で4点を結ぼう👉 西の長崎に出島(オランダ・中国)、その近くの対馬から朝鮮へ、南の薩摩から琉球(沖縄)へ、北の松前からアイヌ(北海道)へ。
👉「鎖国=完全に閉じた」ではなく「4つの窓だけ開けて、幕府が管理した」。地理的に外に近い4か所、と位置で覚えると忘れない。

重要人物

徳川家光1604-16513代将軍。鎖国を完成(1639-41)。
天草四郎1621?-1638島原・天草一揆の総大将(16歳ほど)。原城に立てこもり戦死。

なぜ「長崎の出島」が西洋への唯一の窓口に?

長崎は西日本の港町で、もともと南蛮貿易の中心だった。幕府は長崎を直轄地にして貿易を独占。扇形の人工島「出島」にオランダ商館を置き、オランダ人を島の外に出さず厳しく管理した。日本は出島を通じて、わずかに西洋の情報(蘭学)も得ていた。

キリスト教を取り締まるしくみ

  • 絵踏(キリストやマリアの像を踏ませて信者を見つける)
  • 宗門改(人々がどの寺の檀家かを登録させる=寺請制度)
  • これにより仏教の寺が戸籍の役割も果たした

同時期の世界

日本が鎖国していた17〜18世紀、ヨーロッパは大航海・植民地競争・科学革命で急速に発展。オランダ・イギリスが東インド会社でアジア貿易を拡大した。日本が「閉じて安定」を選んだ間に、世界は「開いて競争」で力をつけ、この差が幕末(黒船)に表面化する。

1602オランダ東インド会社
1643仏 ルイ14世(絶対王政)
1687ニュートン 万有引力
1689英 権利の章典

📖 史料 — 鎖国令(1639・ポルトガル船禁止)

一、かれうた(ガレオン船=ポルトガル船)の渡海の儀、これを停止せられおわんぬ。 一、自今以後、たとひいかようの事ありとも、かれうた来り候はば、その船を破却し、…
出典:寛永16年の鎖国令
  1. hist-15-s1 この令で来航を禁止された国は?
    ポルトガル
  2. hist-15-s2 鎖国後も長崎で貿易を許された西洋の国は?その理由は?
    オランダ。プロテスタントで布教より貿易が目的だったため、幕府に安全と判断された

よくある間違い

  • 「鎖国で外国と完全に交流が断たれた」→ ✗。4つの口(長崎・対馬・薩摩・松前)で続いた。
  • 「鎖国中の西洋の貿易相手はイギリス」→ ✗。オランダ
  • 「鎖国を始めたのは家康」→ ✗。完成させたのは3代家光
想起トレーニング:「幕府はなぜ鎖国をしたのか」を説明してみよう
ヒント① 宗教の問題は?
キリスト教は「神>将軍」と教え、信者が団結(一揆)し、背後に侵略の心配もあった。…経済・大名の面では?
ヒント② 経済・大名の面は?
幕府が貿易の利益を独占し、外様大名の海外交流を断って力を削ぐ狙いもあった。
答え
①キリスト教を禁じて幕府支配を守る(神>将軍を防ぐ・一揆や侵略を恐れた)②貿易の利益を独占する ③外様大名の海外交流を断ち力を削ぐ、の3つが目的。ただし4つの口で交流は続け、完全な孤立ではなかった。

練習問題 — Unit 15

  1. hist-15-q1 江戸幕府が外国との交流を制限したことを何という?
    鎖国(1639年完成)
  2. hist-15-q2 1637年、キリスト教徒と農民が起こした九州の一揆は?
    島原・天草一揆
  3. hist-15-q3 島原・天草一揆の総大将は?
    天草四郎
  4. hist-15-q4 鎖国を完成させた3代将軍は?
    徳川家光
  5. hist-15-q5 鎖国中も長崎で貿易した西洋の国は?
    オランダ
  6. hist-15-q6 長崎でオランダ商館が置かれた人工島は?
    出島
  7. hist-15-q7 対馬藩を窓口に交流した国は?
    朝鮮(朝鮮通信使)
  8. hist-15-q8 薩摩藩が支配下に置いた王国は?
    琉球王国
  9. hist-15-q9 松前藩が交易した北方の人々は?
    アイヌ(蝦夷地)
  10. hist-15-q10 キリスト教信者を見つけるため像を踏ませた方法は?
    絵踏
  11. hist-15-q11 人々を寺に登録させてキリシタンでないことを証明させた制度は?
    宗門改(寺請制度)
  12. hist-15-q12 幕府がキリスト教を禁止した理由を1つ。
    「神>将軍」で幕府支配のさまたげになる/侵略の心配/信者の団結(一揆)を恐れた、など
  13. hist-15-q13 朝鮮から将軍の代がわりごとに来た使節は?
    朝鮮通信使
  14. hist-15-q14 鎖国中も中国(清)と長崎で貿易していた?
    していた(オランダとともに長崎で)
  15. hist-15-q15 入試頻出「鎖国」は完全な孤立だったか?4つの口を挙げて説明せよ。
    完全な孤立ではない。長崎(オランダ・中国)・対馬(朝鮮)・薩摩(琉球)・松前(アイヌ)の4つの口で、幕府の管理のもと交流が続いた

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 15)

3つを声に出して。

  • 幕府はなぜキリスト教を禁止し、鎖国した?
  • 「4つの口」をすべて挙げ、相手も言える?
  • なぜ西洋でオランダだけ残った?
① キリスト教の「神>将軍」が支配のじゃま・侵略の心配・一揆を恐れた。さらに貿易の独占外様大名の力を削ぐため。
長崎(オランダ・中国)/対馬(朝鮮)/薩摩(琉球)/松前(アイヌ)
③ オランダはプロテスタントで布教より貿易が目的で、キリスト教を広めなかったから幕府に安全だった。
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

「鎖国で世界の変化に取り残された」という点が、Unit 18(黒船・開国)で効いてきます。4つの口は白地図とセットで。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

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Unit 16 — 江戸③ 産業の発達と元禄文化

平和な世で農業・商業・交通が発達し、力をつけた町人(商人)が文化の担い手に。上方(大坂・京都)中心の元禄文化。「武士の世なのに、お金は商人に集まる」というねじれが始まる。

時代の見取り図

支配者は?建前は武士。だが経済の実権は商人へ移り始める。
経済の基盤米中心から貨幣・商業経済へ。三都・五街道・株仲間。
対外関係鎖国継続(Unit 15)。国内市場が発達。
前からの変化戦いの文化 → 町人の経済力が生む明るい元禄文化へ。
A 土地新田開発で耕地が大幅増。農具の改良で生産力アップ。だが年貢は米なので、米価が下がると武士は苦しむ。
B 武士武士が経済的に困り始める。給料(米)を換金するたび損をし、商人から借金する武士も。武士の地位が経済面で揺らぐ。
C 権力政治は幕府。だが「お金の力=商人」が無視できない存在に。この矛盾が次のUnit 17(改革)の背景。
D 対外大きな動きなし。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 武士は支配者なのに、なぜお金に困るようになったと思う?
    考えるヒントと答え
    武士の給料は。それを売ってお金に換える。でも商業が発達して欲しい物は増えるのに、米の値段は上がりにくい。米経済の武士が、貨幣経済の商人に取り残されていった(縦糸B)。
  2. なぜ大坂は「天下の台所」と呼ばれたと思う?
    考えるヒントと答え
    全国の大名が年貢米や特産物を大坂に集めて売った(蔵屋敷)。大坂は商業・流通の中心で、全国の物産が集まる「食料・物資の集散地」だったから(縦糸A)。
  3. 元禄文化の担い手は、貴族・武士・町人のどれだと思う?
    考えるヒントと答え
    町人(商人)。経済力をつけた上方(大坂・京都)の町人が、井原西鶴の小説や近松の人形浄瑠璃を楽しんだ。「お金を持った庶民の文化」(縦糸C)。
平和な世 農業・商業・交通の発達 町人が経済力をつける 元禄文化(町人文化)
6Wでみる「産業と経済の発達」
背景戦乱がなくなり、人々が生産に専念できるようになった。
何が農業:新田開発・農具改良(備中ぐわ・千歯こき)。交通:五街道・海運(菱垣廻船・北前船)。商業:三都・株仲間・両替商。
結果全国が市場でつながり、貨幣・商業経済が発達。町人(商人)が富を蓄えた。
影響米経済の武士が貨幣経済の商人に取り残され困窮。この矛盾が、次の三大改革の背景になる。

三都とその役割

都市呼び名役割
江戸「将軍のおひざもと」政治の中心・人口100万の大消費地
大坂「天下の台所」商業・流通の中心。蔵屋敷に年貢米が集まる
京都古都・文化と手工業(西陣織など)の中心

重要事項

農業新田開発・備中ぐわ・千歯こき
交通五街道・菱垣廻船・北前船
商業株仲間・両替商(三井)・蔵屋敷
17c末元禄文化(上方・町人)

「江戸=おひざもと/大坂=台所」を映像で

江戸=将軍の「おひざもと」(政治)/ 大坂=「天下の台所」(経済・米)

映像にしよう👉 江戸は将軍のひざ元=政治の町、武士と人がぎっしりの大消費地。大坂は全国の年貢米が集まる台所(キッチン)=経済の町、蔵屋敷に米俵が山積み。
👉「政治の江戸・経済の大坂」。元禄文化は経済の中心=上方(大坂・京都)の町人から生まれた、とセットで。

重要人物(元禄文化)

井原西鶴1642-1693浮世草子(町人の生活を描く小説)。『日本永代蔵』。
松尾芭蕉1644-1694俳諧を芸術に。紀行文『おくのほそ道』。
近松門左衛門1653-1724人形浄瑠璃・歌舞伎の脚本。『曽根崎心中』。
菱川師宣1618-1694浮世絵の祖。「見返り美人図」。
尾形光琳1658-1716琳派の画家。「燕子花図屏風」。

なぜ大坂に物が集まり、海運(北前船)が発達した?

大坂は淀川と瀬戸内海が結ぶ水運の要。陸路より船のほうが大量の米を安く運べたため、全国の年貢米が大坂に集まった。日本海側を回って大坂・江戸へ物資を運ぶ「北前船」など、海の道が日本を一つの市場に結んだ。地理(海と川)が経済を作った好例。

この時代の文化(元禄文化=上方・町人)

文学
  • 浮世草子:井原西鶴『日本永代蔵』
  • 俳諧:松尾芭蕉『おくのほそ道』
  • 人形浄瑠璃・歌舞伎脚本:近松門左衛門『曽根崎心中』
美術
  • 浮世絵:菱川師宣「見返り美人図」
  • 装飾画(琳派):尾形光琳「燕子花図屏風」/俵屋宗達「風神雷神図屏風」
特徴
  • 経済力をつけた上方(大坂・京都)の町人が担い手。明るく活気がある

同時期の世界

元禄のころ(17世紀末〜18世紀初め)、ヨーロッパは科学革命と啓蒙思想の時代。ニュートンが物理法則を発見し、イギリスは名誉革命で議会政治を確立。中国の清は最盛期。日本が町人文化を楽しんでいた間に、ヨーロッパは近代科学と市民社会への歩みを進めていた。

1688英 名誉革命
1689権利の章典
1701プロイセン王国
18c啓蒙思想(ロック・モンテスキュー)

よくある間違い

  • 「元禄文化は江戸の町人文化」→ ✗。元禄文化は上方(大坂・京都)中心。江戸中心は次の化政文化(Unit 17)。
  • 「松尾芭蕉は浮世絵師」→ ✗。俳諧(俳句)の人。浮世絵の祖は菱川師宣。
  • 「天下の台所=江戸」→ ✗。大坂。江戸は「将軍のおひざもと」。
想起トレーニング:「武士は支配者なのに、なぜ経済的に困ったのか」を説明してみよう
ヒント① 武士の給料は何?
武士の給料は。それを売ってお金にする。…一方で社会の経済はどう変わった?
ヒント② 経済はどう変わった?
商業が発達して貨幣経済に。欲しい物は増えるのに米の値段は上がりにくい。…結果、武士は?
答え
武士の収入は米だが、商業の発達で世の中は貨幣経済になった。米価は上がりにくいのに生活費は増え、武士は米を換金するたびに損をして困窮し、商人に借金する者も出た。富が商人に集まる「ねじれ」が生じた。

練習問題 — Unit 16

  1. hist-16-q1 江戸時代に耕地を増やすために行われたことは?
    新田開発
  2. hist-16-q2 脱穀に使われた江戸時代の農具は?
    千歯こき
  3. hist-16-q3 深く耕すために使われた農具は?
    備中ぐわ
  4. hist-16-q4 江戸を起点とする主要な5つの街道をまとめて何という?
    五街道(東海道・中山道など)
  5. hist-16-q5 「将軍のおひざもと」と呼ばれた都市は?
    江戸
  6. hist-16-q6 「天下の台所」と呼ばれた都市は?
    大坂
  7. hist-16-q7 大坂で年貢米を売るために大名が置いた施設は?
    蔵屋敷
  8. hist-16-q8 商人が作った同業組合は?
    株仲間
  9. hist-16-q9 17世紀末、上方の町人を中心に栄えた文化は?
    元禄文化
  10. hist-16-q10 『日本永代蔵』を書いた浮世草子の作家は?
    井原西鶴
  11. hist-16-q11 『おくのほそ道』を書いた俳人は?
    松尾芭蕉
  12. hist-16-q12 『曽根崎心中』など人形浄瑠璃の脚本家は?
    近松門左衛門
  13. hist-16-q13 「見返り美人図」を描いた浮世絵の祖は?
    菱川師宣
  14. hist-16-q14 「燕子花図屏風」を描いた琳派の画家は?
    尾形光琳
  15. hist-16-q15 入試頻出江戸時代に「武士が貧しく商人が富む」ねじれが起きた理由は?
    武士の収入はだが、社会は貨幣・商業経済に発達したため、米価が上がらず武士は困窮し、富が商人に集まった

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 16)

3つを声に出して。

  • 三都の役割(江戸・大坂・京都)は?
  • なぜ武士は困り、商人は富んだ?
  • 元禄文化の担い手と代表的な作家は?
江戸=政治の中心(おひざもと)/大坂=商業の中心(天下の台所)/京都=文化・手工業の中心
② 武士の収入はだが社会は貨幣経済に。米価が上がらず生活費は増え、武士は困窮、富は商人へ。
③ 上方(大坂・京都)の町人。井原西鶴・松尾芭蕉・近松門左衛門・菱川師宣・尾形光琳。
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

「武士が困る・商人が富む」という矛盾が、次のUnit 17(三大改革)が必要になった根本原因です。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 16 の進捗 📜 完全年表 江戸へ

Unit 17 — 江戸④ 三大改革と化政文化

財政が苦しくなった幕府が三大改革(享保・寛政・天保)を繰り返すが、米経済の限界で立て直せない。一方、町人文化は化政文化(江戸中心)で円熟。蘭学・国学も発達。

時代の見取り図

支配者は?将軍・老中。だが財政難で改革に追われる
経済の基盤米中心の財政が限界。商業を取り込もうとする(田沼)動きも。
対外関係鎖国継続だが、ロシアなど外国船が接近し始める(→Unit 18)。
前からの変化安定した幕府 → 財政難と社会の動揺(一揆・打ちこわし増加)へ。
A 土地年貢(米)に頼る財政が限界。飢饉で年貢が取れず、改革も倹約や新田に頼るが効果薄。
B 武士武士(幕府)の財政が悪化し続ける。改革を繰り返しても米経済の限界は越えられず、武士の世が静かに揺らぐ。
C 権力幕府の威信が改革失敗で低下。百姓一揆・打ちこわしが増え、大塩の乱(元幕臣の反乱)まで起きる。
D 対外蘭学で西洋の知識が入る。外国船の接近で危機感が芽生え始める(→Unit 18)。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 幕府はなぜ改革を3回も繰り返したのに、立て直せなかったと思う?
    考えるヒントと答え
    幕府の収入は米(年貢)中心。改革の多くは「倹約・新田開発・米の管理」で、米経済の枠を出なかった。社会はすでに商業・貨幣経済なのに、そこから税を取るのが下手だった(縦糸A・B)。田沼だけは商業重視を試みたが賄賂で失脚。
  2. 田沼意次と松平定信の政策は、正反対だった。どう違うと思う?
    考えるヒントと答え
    田沼=商業重視(株仲間を公認して税を取る・積極策)。定信=倹約重視(ぜいたく禁止・厳しい引き締め)。田沼の後、その反動で定信が厳しく締めたが、厳しすぎて不評だった(縦糸C)。
  3. 化政文化(北斎・広重)は、元禄文化とどう違うと思う?
    考えるヒントと答え
    元禄文化は上方(大坂・京都)中心、化政文化は江戸中心。江戸が日本一の大都市に育ち、町人文化の中心が東へ移った。北斎・広重の浮世絵(風景画)が代表(縦糸C)。
幕府の財政難 享保→田沼→寛政→天保 改革が次々失敗 幕府の威信低下

三大改革+田沼の比較(最重要)

改革実施者主な政策結果
享保の改革1716-458代将軍徳川吉宗目安箱・公事方御定書・新田開発・上米の制○ 一定の成功(「米将軍」)
田沼時代1767-86老中田沼意次株仲間公認・専売制(商業重視)賄賂横行+天明の飢饉で失脚
寛政の改革1787-93老中松平定信倹約・棄捐令・寛政異学の禁・囲米✗ 厳しすぎて失脚
天保の改革1841-43老中水野忠邦株仲間解散・人返し令・上知令✗ 大名の反発で失敗

三大改革を「人物+キーワード」でセット化

享保=吉宗「目安箱」/ 寛政=定信「倹約きびしい」/ 天保=水野「株仲間つぶす」

3人の役人を顔で覚えよう👉 吉宗(享保)は庶民の声を聞く目安箱を設置した「米将軍」。定信(寛政)は「白河の清き…」と歌われた倹約きびしいまじめ役人。水野(天保)は物価を下げようと株仲間を解散させた(が逆効果)。間の田沼は商業重視で賄賂のイメージ。
👉「吉宗→田沼→定信→水野」の順番(享保→田沼→寛政→天保)も声に出して。

重要事件と年号

1716享保の改革(吉宗)
1772田沼意次 老中に
1787寛政の改革(松平定信)
1837大塩平八郎の乱いやみ(1837)な大塩
1841天保の改革(水野忠邦)

重要人物

徳川吉宗1684-17518代将軍。享保の改革。目安箱・公事方御定書。「米将軍」。
田沼意次1719-1788老中。株仲間公認など商業重視。賄賂で失脚。
松平定信1759-1829老中。寛政の改革。倹約・棄捐令・寛政異学の禁。厳しすぎ短命。
水野忠邦1794-1851老中。天保の改革。株仲間解散・上知令で失脚。
大塩平八郎1793-1837元大坂町奉行所の与力。飢饉に苦しむ民の救済を求め乱を起こす(元幕臣の反乱に衝撃)。
杉田玄白1733-1817蘭医。前野良沢らと『解体新書』(1774)。蘭学の象徴。
本居宣長1730-1801国学を大成。『古事記伝』。日本古来の心を研究。
伊能忠敬1745-181855歳から全国を測量し正確な日本地図を作成。
葛飾北斎1760-1849浮世絵「富嶽三十六景」(化政文化)。
歌川広重1797-1858浮世絵「東海道五十三次」(化政文化)。

この時代の文化(化政文化=江戸町人)+学問

化政文化(19世紀前半・江戸中心)
  • 浮世絵:葛飾北斎「富嶽三十六景」/歌川広重「東海道五十三次」/喜多川歌麿(美人画)
  • 小説:十返舎一九「東海道中膝栗毛」/滝沢馬琴「南総里見八犬伝」
  • 俳諧:与謝蕪村・小林一茶
学問
  • 蘭学杉田玄白・前野良沢『解体新書』(オランダ語の解剖書を翻訳)
  • 国学本居宣長『古事記伝』
  • 地図:伊能忠敬の正確な日本地図
  • 教育:寺子屋(庶民の読み書きそろばん)・藩校・私塾

同時期の世界

三大改革のころ、世界は市民革命と産業革命の大転換期。アメリカ独立(1776)、フランス革命(1789)、イギリスの産業革命。欧米が「近代国家」「機械工業」で急成長する一方、日本は鎖国のまま米経済の改革に追われていた。この差が、まもなくの開国で突きつけられる。

1760頃英 産業革命 始まる
1776アメリカ独立宣言
1789フランス革命
1804ナポレオン皇帝即位

📖 史料 — 寛政の改革への庶民の落首(狂歌)

白河の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼こひしき (松平定信〔白河藩主〕の改革は清廉だが厳しすぎて住みにくい。あの濁った田沼〔意次〕の時代がかえって恋しい)
出典:寛政期の狂歌(庶民の風刺)
  1. hist-17-s1 「白河」は誰の改革を指すか?
    松平定信(白河藩主)の寛政の改革
  2. hist-17-s2 この狂歌から読み取れる、庶民の本音は?
    定信の改革は厳しすぎて窮屈で、賄賂はあっても活気のあった田沼時代の方がましだったという不満

よくある間違い

  • 「享保の改革は松平定信」→ ✗。享保は徳川吉宗。寛政が松平定信。
  • 「化政文化は上方中心」→ ✗。化政文化は江戸中心。上方中心は元禄文化(Unit 16)。
  • 「天保の改革で株仲間を公認」→ ✗。天保は株仲間を解散。公認したのは田沼
想起トレーニング:「三大改革がどれも根本的に成功しなかった理由」を説明してみよう
ヒント① 幕府の収入は何だった?
幕府の収入は米(年貢)中心。改革の多くは倹約・新田・米の管理だった。…社会の経済は?
ヒント② 社会の経済とのズレは?
社会はすでに商業・貨幣経済。なのに幕府は商業から税を取るのが下手で、米の枠から出られなかった。
答え
幕府の財政は米(年貢)中心なのに、社会はすでに商業・貨幣経済に発達していた。改革の多くは倹約や新田開発など米経済の枠内にとどまり、発達した商業から十分に税を取れなかったため、根本的な立て直しはできなかった。

練習問題 — Unit 17

  1. hist-17-q1 享保の改革を行った8代将軍は?
    徳川吉宗
  2. hist-17-q2 享保の改革で庶民の意見を集めた設備は?
    目安箱
  3. hist-17-q3 享保の改革で定められた裁判の基準は?
    公事方御定書
  4. hist-17-q4 商業重視の政策をとり、株仲間を公認した老中は?
    田沼意次
  5. hist-17-q5 田沼が失脚する原因となった飢饉は?
    天明の飢饉
  6. hist-17-q6 寛政の改革を行った老中は?
    松平定信
  7. hist-17-q7 寛政の改革で朱子学以外の学問を禁じた政策は?
    寛政異学の禁
  8. hist-17-q8 天保の改革を行った老中は?
    水野忠邦
  9. hist-17-q9 天保の改革で物価対策として行われたことは?
    株仲間の解散
  10. hist-17-q10 1837年、大坂で乱を起こした元町奉行所の与力は?
    大塩平八郎
  11. hist-17-q11 杉田玄白らがオランダの解剖書を訳した本は?
    解体新書
  12. hist-17-q12 『古事記伝』を著し国学を大成した人物は?
    本居宣長
  13. hist-17-q13 全国を測量し正確な日本地図を作ったのは?
    伊能忠敬
  14. hist-17-q14 「富嶽三十六景」を描いた化政文化の浮世絵師は?
    葛飾北斎
  15. hist-17-q15 「東海道五十三次」を描いた浮世絵師は?
    歌川広重
  16. hist-17-q16 庶民が読み書きそろばんを学んだ場は?
    寺子屋
  17. hist-17-q17 享保→田沼→寛政→天保。寛政の改革の評判を表す狂歌の一節は?
    白河の清きに魚も住みかねて…田沼こひしき」(厳しすぎて田沼時代が恋しい)
  18. hist-17-q18 入試頻出三大改革が根本的に成功しなかった理由は?
    幕府の財政が米中心なのに社会は商業・貨幣経済に発達しており、改革が米経済の枠を出ず、発達した商業から十分に税を取れなかったから

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 17)

3つを声に出して。

  • 三大改革を、実施者とキーワードで言える?
  • 田沼と松平定信の政策の違いは?
  • 元禄文化と化政文化の違いは?
享保=徳川吉宗(目安箱・公事方御定書)/寛政=松平定信(倹約・寛政異学の禁)/天保=水野忠邦(株仲間解散)。間に田沼意次(商業重視)。
田沼=商業重視(株仲間公認で税を取る・積極策)/定信=倹約重視(ぜいたく禁止の引き締め)。正反対。
元禄=上方(大坂・京都)中心/化政=江戸中心。化政は北斎・広重の浮世絵が代表。
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

三大改革の表(実施者×政策×結果)は入試頻出。表を見ずに言えるまで。次のUnit 18で幕府はついに終わります。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。年表の「💼江戸の三大改革」比較表も必見。

Unit 17 の進捗 📜 完全年表 江戸へ

Unit 18 — 江戸⑤ 開国と幕末

黒船(ペリー)が鎖国を破り、不平等条約で開国。攘夷から倒幕へ流れが変わり、薩長同盟→大政奉還で260年の江戸幕府が終わる。明治維新の入口。

時代の見取り図

支配者は?幕府の権威が崩れ、薩摩・長州・朝廷が力を増す。
経済の基盤開国で貿易が始まるが、物価高騰で庶民は苦しむ。
対外関係開国・不平等条約。欧米列強の圧力が一気に押し寄せる。
前からの変化鎖国の安定 → 外圧で崩壊。武士の世そのものが終わりへ。
A 土地幕藩体制(土地と年貢)が動揺。次の明治で地租改正へと大転換する直前(→Unit 19)。
B 武士武士の世の終わりが見えてくる。下級武士(志士)が時代を動かし、まもなく武士という身分自体が消える。
C 権力幕府の権威が完全失墜→大政奉還で政権が天皇へ。「武家>朝廷」が逆転し、天皇中心の世へ戻る大転換。
D 対外黒船・開国・不平等条約。鎖国で遅れた日本に欧米の圧力。「このままでは植民地に」の危機感が倒幕の原動力に。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 日米修好通商条約の「不平等」な点は何だと思う?
    考えるヒントと答え
    2つ。①領事裁判権(治外法権)=外国人の犯罪を日本が裁けない。②関税自主権がない=輸入品の税率を日本が自由に決められない。日本に一方的に不利な条約だった(縦糸D)。
  2. 薩摩・長州は最初「攘夷(外国を追い払え)」だったのに、なぜ「倒幕」に変わったと思う?
    考えるヒントと答え
    薩英戦争・下関砲撃で西洋の軍事力に全くかなわないと痛感したから。「攘夷は無理。むしろ西洋に学んで国を強くするしかない。それを邪魔する弱腰の幕府を倒そう」と方針転換した(縦糸D→C)。
  3. 徳川慶喜はなぜ、戦わずに政権を朝廷へ返した(大政奉還)と思う?
    考えるヒントと答え
    薩長との武力衝突を避け、新政府の中でも徳川家を有力な立場で残そうと考えたから。だが王政復古で官位・領地を取り上げられ、結局戊辰戦争に(縦糸C)。
ペリー来航(1853) 不平等条約(1858) 尊王攘夷 薩長同盟(1866) 大政奉還(1867)→戊辰戦争
6Wでみる「開国と不平等条約」
背景19世紀、欧米列強がアジアに進出。アヘン戦争(1840)で清が英に大敗した知らせも届いていた。
何が・いつ1853年ペリーが軍艦4隻で浦賀に来航。1854年日米和親条約(下田・函館を開港)。1858年日米修好通商条約(大老井伊直弼が勅許なく締結)。
結果条約は領事裁判権を認め・関税自主権がない不平等なもの。井伊は反対派を弾圧(安政の大獄)→1860年桜田門外の変で暗殺される。
影響尊王攘夷運動が高まり、幕府の権威が失墜。倒幕への流れが加速する。
6Wでみる「攘夷から倒幕へ」(薩長同盟→大政奉還)
背景薩英戦争(1863)・四国艦隊下関砲撃(1864)で、薩摩・長州が「攘夷は不可能」と悟った。
何が反目していた両藩を坂本龍馬が仲介し、1866年薩長同盟(西郷隆盛・木戸孝允)。倒幕でまとまる。
結果15代将軍徳川慶喜が1867年大政奉還(政権を朝廷に返す)。続く王政復古の大号令で新政府成立。1868-69年戊辰戦争で旧幕府軍を制圧。
影響260年の江戸幕府が終わり、天皇中心の明治新政府へ。倒幕の中心、薩長土肥が新政府を主導する。

重要事件と年号

1825異国船打払令
1853ペリー来航(浦賀)いやでござれ(1853)ペリー
1854日米和親条約(下田・函館)
1858日米修好通商条約(井伊直弼)いやでもやる(1858)通商
1860桜田門外の変
1866薩長同盟(坂本龍馬の仲介)
1867大政奉還/王政復古の大号令いやむな(1867)幕府終
1868戊辰戦争はじまる(〜1869)

「ペリー=和親/ハリス=通商」を区別する

1854 ペリー=日米和親条約(港を開くだけ)/ 1858 ハリス=日米修好通商条約(貿易・不平等)

混ざりやすい2条約を映像で👉 1853年に黒船で来たペリーが翌1854年に結んだのが和親条約(仲よくしよう=2港を開く入口だけ)。その後やって来た総領事ハリスが1858年に井伊直弼と結んだのが修好通商条約(本格的な貿易=でも不平等)
👉「先に和親(ペリー・港)、後で通商(ハリス・貿易・不平等)」。不平等2点は「領事裁判権あり・関税自主権なし」。

重要人物

ペリー1794-1858アメリカ艦隊司令長官。1853年浦賀に来航し開国を迫る。1854年和親条約。
井伊直弼1815-1860大老。勅許なく通商条約を結ぶ。安政の大獄→桜田門外で暗殺。
吉田松陰1830-1859松下村塾で高杉晋作・伊藤博文らを育てる。安政の大獄で処刑。
坂本龍馬1836-1867土佐脱藩。薩長同盟を仲介。京都で暗殺。
西郷隆盛1828-1877薩摩。薩長同盟・倒幕の中心。江戸無血開城。
木戸孝允1833-1877長州(桂小五郎)。薩長同盟を締結。
徳川慶喜1837-191315代将軍。1867年大政奉還。江戸城を明け渡す。

なぜ薩摩・長州が倒幕の中心になれた?(Unit 14の伏線回収)

Unit 14で見たとおり、薩摩(鹿児島)・長州(山口)は外様大名で江戸から最も遠くに置かれていた。だから幕府の監視が届きにくく、独自に財政改革や軍備(西洋式)を蓄えられた。「遠ざけられた藩」が力を蓄え、幕末に幕府を倒す中心になる——配置の意図が180度裏目に出た。

開国がもたらした社会の混乱

  • 貿易開始で生糸・茶などが輸出され、国内で品不足・物価高騰
  • 金銀の交換比率の違いで金が大量に海外流出
  • 生活苦から世直し一揆・打ちこわしが頻発。「ええじゃないか」の騒ぎも

同時期の世界

幕末の世界は欧米列強のアジア進出がピーク。清はアヘン戦争(1840)・アロー戦争で半植民地化、インドはイギリス領に。アメリカは南北戦争(1861-65)中。日本は「次は自分たちが植民地にされる」という危機感のなか、開国と倒幕を進めた。

1840-42アヘン戦争(清 vs 英)
1857インド大反乱
1861-65アメリカ南北戦争
1861イタリア王国 成立

📖 史料 — 大政奉還の上表(1867・徳川慶喜)

臣慶喜謹みて皇国時運の沿革を考え候に、…政権を朝廷に帰し奉り、広く天下の公議を尽くし、…茲に従来の旧習を改め、政権を朝廷に奉帰し
出典:大政奉還上表文(慶応3年10月)
  1. hist-18-s1 「政権を朝廷に帰し奉り」とは何を意味するか?
    江戸幕府の政権を朝廷(天皇)に返上すること=大政奉還
  2. hist-18-s2 なぜ慶喜は戦わずに政権を返したのか?
    薩長との武力衝突を避け、新政府でも徳川家を有力な立場で残そうとしたから

よくある間違い

  • 「ペリーが通商条約を結んだ」→ ✗。ペリー=和親条約(1854)。通商条約はハリス=井伊直弼(1858)
  • 「鎖国は1867年に終わった」→ ✗。実質的には1854年の和親条約で終了。1867年は大政奉還の年。
  • 「大政奉還で戦争なく明治になった」→ ✗。その後戊辰戦争(旧幕府軍 vs 新政府軍)が起きた。
想起トレーニング:「薩摩・長州はなぜ攘夷から倒幕へ転換したか」を説明してみよう
ヒント① 何を経験して何を悟った?
薩英戦争・下関砲撃で西洋の軍事力に全くかなわないと痛感した。…そこからどう考えた?
ヒント② どう方針転換した?
「攘夷は無理。西洋に学んで国を強くするしかない。それを邪魔する弱腰の幕府を倒そう」と倒幕へ。
答え
薩英戦争・四国艦隊下関砲撃で西洋の軍事力にかなわないと痛感し、「攘夷は不可能、西洋に学んで近代国家を作るしかない」と悟った。そして開国を渋る弱腰の幕府を倒すしかないと考え、薩長同盟を結んで倒幕へ転換した。

練習問題 — Unit 18

  1. hist-18-q1 1853年に浦賀に来航したアメリカの軍人は?
    ペリー
  2. hist-18-q2 1854年、下田・函館を開港した条約は?
    日米和親条約
  3. hist-18-q3 1858年に結ばれた不平等条約は?
    日米修好通商条約
  4. hist-18-q4 通商条約を勅許なく結んだ大老は?
    井伊直弼
  5. hist-18-q5 日米修好通商条約の不平等な2点は?
    領事裁判権(治外法権)を認める/関税自主権がない
  6. hist-18-q6 井伊直弼が反対派を弾圧した事件は?
    安政の大獄
  7. hist-18-q7 1860年、井伊直弼が暗殺された事件は?
    桜田門外の変
  8. hist-18-q8 松下村塾で多くの志士を育てた人物は?
    吉田松陰
  9. hist-18-q9 1866年、薩摩と長州を結ばせた土佐脱藩の志士は?
    坂本龍馬
  10. hist-18-q10 薩長同盟の薩摩・長州の中心人物は?
    薩摩=西郷隆盛/長州=木戸孝允
  11. hist-18-q11 1867年に徳川慶喜が政権を朝廷に返したことは?
    大政奉還
  12. hist-18-q12 大政奉還を行った15代将軍は?
    徳川慶喜
  13. hist-18-q13 大政奉還の後に出された、新政府樹立の宣言は?
    王政復古の大号令
  14. hist-18-q14 1868-69年の新政府軍 vs 旧幕府軍の戦いは?
    戊辰戦争
  15. hist-18-q15 開国後、貿易で輸出された主な品は?
    生糸・茶
  16. hist-18-q16 入試頻出薩摩・長州が攘夷から倒幕に転換した理由は?
    薩英戦争・下関砲撃で西洋の軍事力にかなわないと痛感し、西洋に学んで国を強くするしかないと悟り、それを邪魔する幕府を倒そうとした
  17. hist-18-q17 入試頻出外様大名だった薩摩・長州が倒幕の中心になれたのはなぜ(Unit 14と関連づけて)?
    江戸から遠くに配置され幕府の監視が届きにくく、独自に財政改革や西洋式軍備を蓄えられたから

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 18)

3つを声に出して。

  • 開国の流れ(ペリー→2つの条約)と不平等の2点は?
  • 攘夷から倒幕への転換はなぜ起きた?
  • 大政奉還とは何で、なぜ慶喜は戦わなかった?
1853ペリー来航→1854和親条約(下田・函館)→1858修好通商条約(井伊直弼)。不平等2点=領事裁判権を認める・関税自主権がない
② 薩英戦争・下関砲撃で西洋の軍事力にかなわないと痛感し、「西洋に学んで国を強くするしかない、それを邪魔する幕府を倒そう」と転換。
政権を朝廷に返すこと。慶喜は薩長との武力衝突を避け、新政府でも徳川家を有力な立場で残そうとした(だが王政復古で領地を奪われ戊辰戦争に)。
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

ここで江戸時代が終わり、次のUnit 19から近代(明治)。「鎖国で遅れた→開国→近代化を急ぐ」という大きな流れを意識して。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 18 の進捗 📜 完全年表 幕末へ

Unit 19 — 明治① 維新と新政府

新政府が「富国強兵」を掲げ、欧米に追いつくため一気に近代化(明治維新)。廃藩置県・学制・徴兵令・地租改正で国の形を作り替える。武士という身分が消える大転換。

時代の見取り図

支配者は?天皇を中心とする新政府(実権は薩長土肥の藩閥)。
経済の基盤地租改正で税を米→お金(地価の3%)に。殖産興業で工業化。
対外関係岩倉使節団で欧米を視察し、制度・技術を学ぶ。
前からの変化幕藩体制 → 中央集権の近代国家へ。武士の身分が廃止。
A 土地地租改正=土地制度史のゴール。土地に地券を発行し、所有者が地価の3%を現金で納税。米中心の税が終わる大転換。
B 武士武士の終わり! 四民平等・徴兵令で「戦いは武士」でなくなり、秩禄処分・廃刀令で特権を失う。武士史の終着点。
C 権力廃藩置県で藩をなくし天皇中心の中央集権を完成。約700年ぶりに天皇のもとに権力が戻る。
D 対外岩倉使節団で欧米に学ぶ。不平等条約改正を目指すが断られ、まず国力をつけることに。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 新政府はなぜ「廃藩置県」で藩をなくしたと思う?
    考えるヒントと答え
    藩がバラバラに領地を治めていては強い国(中央集権)が作れない。藩を廃止して県を置き、中央から知事を派遣すれば、税も軍も命令ひとつで動かせる。欧米に対抗する近代国家にはこれが必要だった(縦糸C)。
  2. 地租改正で、税の取り方はどう変わったと思う?
    考えるヒントと答え
    江戸時代はで納めていた(豊作・凶作で収入が不安定)。地租改正で土地の値段(地価)の3%を現金で納めさせた。これで政府の収入が毎年安定し、近代化の財源になった(縦糸A)。
  3. 明治維新で、武士はどうなったと思う?
    考えるヒントと答え
    身分としての武士は消えた。四民平等で平民と同じに、徴兵令で「戦いは武士」でなくなり、給料(秩禄)も廃止、刀も差せなくなった。不満をもつ士族が西南戦争などを起こす(→Unit 20)(縦糸B)。
五箇条の御誓文 廃藩置県(1871) 学制・徴兵令・地租改正 富国強兵・殖産興業 文明開化
6Wでみる「明治維新の国づくり」
背景不平等条約を結ばされ、欧米に「追いつかなければ植民地にされる」という危機感。
何を(スローガン)富国強兵(豊かで強い国に)。そのため殖産興業(官営工場で産業育成・富岡製糸場)と近代的な軍隊・教育・税制を整えた。
三大改革学制(1872 全国民に教育)・徴兵令(1873 満20歳男子に兵役)・地租改正(1873 地価の3%を現金で納税)。
影響わずか数十年で近代国家の骨組みができた。だが負担増(兵役・税)への反対一揆も起きた。

明治政府の3大改革

改革内容目的(縦糸)
学制1872満6歳以上のすべての子に小学校教育国民の能力を高める(富国強兵)
徴兵令1873満20歳以上の男子に3年の兵役近代的な軍隊(強兵)/武士の特権を解体(縦糸B)
地租改正1873土地の所有者が地価の3%を現金で納税政府収入の安定(縦糸A)

重要事件と年号

1868五箇条の御誓文/明治改元いやろうや(1868)明治
1869版籍奉還
1871廃藩置県/岩倉使節団出発嫌内意(1871)廃藩
1872学制/富岡製糸場/鉄道開通
1873徴兵令/地租改正嫌な三(1873)つの改革

「版籍奉還→廃藩置県」の2段ロケットを映像で

1869 版籍奉還=大名が「土地と人民」を天皇に返す/ 1871 廃藩置県=藩そのものを廃止し県に

2段階で覚えよう👉 まず版籍奉還(1869)で大名に「土地(版)と人民(籍)を天皇にお返しします」と形だけ返させる。でも大名はまだ知事として残った。そこで廃藩置県(1871)で藩を完全に廃止し、中央から県令(知事)を派遣。これで本当の中央集権が完成。
👉「版籍奉還=予告編、廃藩置県=本番」。2段ロケットで中央集権へ。

重要人物

明治天皇1852-1912五箇条の御誓文。近代国家の象徴。
大久保利通1830-1878薩摩。新政府の中心。殖産興業を主導。
木戸孝允1833-1877長州。版籍奉還・廃藩置県を主導。
岩倉具視1825-1883公家出身。岩倉使節団の全権大使として欧米を視察。
福沢諭吉1835-1901『学問のすゝめ』。「天は人の上に人を造らず」。慶應義塾。文明開化の思想家。
渋沢栄一1840-1931「日本資本主義の父」。多くの会社・銀行の設立に関わる。

なぜ富岡製糸場は群馬に? なぜ北海道・沖縄を組み込んだ?

富岡製糸場(群馬)は、周辺が古くからの養蚕(蚕を飼い生糸を作る)地帯で原料が手に入り、水も豊富だったから。生糸は明治日本最大の輸出品。また政府は北海道を屯田兵で開拓し、琉球を沖縄県に(琉球処分)、蝦夷地を北海道として国土に組み込んだ。近代国家として「国境」を確定する動きだった。

文明開化(西洋風の暮らしへ)

  • 身なり:ざんぎり頭・洋服・帽子/暮らし:ガス灯・れんが街・鉄道・人力車
  • 制度:太陽暦の採用・郵便制度(前島密)
  • 思想:福沢諭吉『学問のすゝめ』/中江兆民(ルソーを紹介)
  • 身分:四民平等(武士・百姓・町人の区別を廃止)

同時期の世界

明治維新のころ、ヨーロッパではドイツ・イタリアが統一され国民国家が成立、各国が工業力で競った。アメリカは南北戦争後に発展。日本はこの「強い国民国家どうしが競う時代」に乗り遅れまいと、急いで近代化した。岩倉使節団はこれらの国を実地に見て回った。

1861イタリア王国 成立
1869スエズ運河 開通
1871ドイツ帝国 成立

📖 史料 — 五箇条の御誓文(1868)

一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。 一、上下心を一にして、盛んに経綸を行ふべし。 一、智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。
出典:五箇条の御誓文(明治天皇が神に誓う形で示した新政府の方針)
  1. hist-19-s1 「万機公論に決すべし」は何を示すか?
    大事なことは広く会議を開いて話し合いで決めるという方針
  2. hist-19-s2 「智識を世界に求め」が表す明治政府の姿勢は?
    世界(欧米)から進んだ知識・技術を積極的に学ぶという姿勢(→岩倉使節団・殖産興業)

よくある間違い

  • 「廃藩置県と版籍奉還は同じ」→ ✗。版籍奉還(1869)=土地と人民を返す(形だけ)/廃藩置県(1871)=藩を廃止し県を置く(本番)
  • 「地租改正で税を米で納めるようになった」→ ✗。逆。米から現金(地価の3%)に変えた。
  • 「徴兵令で武士だけが兵士になった」→ ✗。満20歳以上の男子(平民も)。武士の特権を解体する意味があった。
想起トレーニング:「地租改正は、税の取り方をどう変え、なぜ重要か」を説明してみよう
ヒント① 何で納めるようになった?
江戸時代は。地租改正で地価の3%を現金で納めるように。…現金にすると政府にとって何がいい?
ヒント② 現金の利点は?
米だと豊作・凶作で収入が不安定。現金・定率なら毎年安定した収入になり、近代化の財源にできる。
答え
地租改正で、税を米から「地価の3%を現金で納める」方式に変えた。これにより政府の収入が豊作凶作に左右されず毎年安定し、富国強兵・殖産興業の財源を確保できた。班田収授以来の「米による税」が終わる、土地制度史の大転換。

練習問題 — Unit 19

  1. hist-19-q1 1868年、新政府が示した政治方針は?
    五箇条の御誓文
  2. hist-19-q2 1869年、大名が土地と人民を天皇に返したことは?
    版籍奉還
  3. hist-19-q3 1871年、藩を廃止して県を置いた改革は?
    廃藩置県
  4. hist-19-q4 廃藩置県の目的は?
    中央集権を確立する(中央から知事を派遣し全国を統一的に支配)
  5. hist-19-q5 1872年、全国民に教育を受けさせる制度は?
    学制
  6. hist-19-q6 1873年、満20歳以上の男子に兵役を課した法は?
    徴兵令
  7. hist-19-q7 1873年、土地所有者に地価の3%を現金で納めさせた改革は?
    地租改正
  8. hist-19-q8 明治政府のスローガン(豊かで強い国に)は?
    富国強兵
  9. hist-19-q9 官営工場を作り産業を育てた政策は?
    殖産興業
  10. hist-19-q10 群馬県に作られた官営の製糸工場は?
    富岡製糸場
  11. hist-19-q11 1871年に欧米へ派遣された使節団は?
    岩倉使節団(岩倉具視が全権大使)
  12. hist-19-q12 武士・百姓・町人の身分の区別をなくしたことは?
    四民平等
  13. hist-19-q13 『学問のすゝめ』を書いた思想家は?
    福沢諭吉
  14. hist-19-q14 西洋風の暮らしが広まったことを何という?
    文明開化
  15. hist-19-q15 琉球王国を沖縄県にした明治政府の措置は?
    琉球処分
  16. hist-19-q16 入試頻出明治政府が急いで近代化(富国強兵)を進めた理由は?
    欧米列強に追いつかなければ植民地にされるという危機感から、不平等条約を改正できる国力をつけるため
  17. hist-19-q17 入試頻出地租改正が政府にもたらした最大の利点は?
    税が現金・定率になり、豊作凶作に左右されない安定した収入を得られ、近代化の財源になった

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 19)

3つを声に出して。

  • 版籍奉還と廃藩置県の違いと目的は?
  • 明治の三大改革(学制・徴兵令・地租改正)の内容は?
  • 地租改正はなぜ重要?
版籍奉還(1869)=大名が土地と人民を天皇に返す(形だけ)/廃藩置県(1871)=藩を廃止し中央から知事を派遣(中央集権の完成)
学制=全国民に教育/徴兵令=満20歳男子に兵役/地租改正=地価の3%を現金で納税
③ 税が現金・定率になり政府の収入が安定、富国強兵の財源に。米による税が終わる土地制度の大転換。
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

「地租改正=土地制度史のゴール」「武士の身分が消える=武士史の終着点」。2本の縦糸がここで完結します。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 19 の進捗 📜 完全年表 明治へ

Unit 20 — 明治② 立憲国家への歩み

特権を失った士族の反乱(西南戦争)と、「国民にも政治参加を」と求める自由民権運動。その結果、大日本帝国憲法帝国議会ができ、アジアで最初の立憲国家になる。

時代の見取り図

支配者は?藩閥政府(薩長)→ 憲法と議会のしくみが加わる。
経済の基盤殖産興業の継続。産業革命の入口(→Unit 21)。
対外関係不平等条約の改正を目指し、憲法・議会で「文明国」を示す。
前からの変化武力の反乱(西南戦争)→ 言論の運動(自由民権)へ。
A 土地地租改正後、地租の引き下げ(3%→2.5%)が一揆を受けて行われた程度。土地制度はほぼ確定。
B 武士士族の最後のあがき=西南戦争(1877)で武力反乱が終わる。以後、不満は「言論(自由民権)」で表現するように。武士史の幕引き。
C 権力藩閥政府の独占に対し国民が政治参加を要求(自由民権)憲法と議会ができ、近代的な政治のしくみが整う。
D 対外憲法・議会で「文明国」であることを示し、不平等条約の改正に近づこうとした(→Unit 21で達成)。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 西郷隆盛は維新の英雄なのに、なぜ最後は政府と戦った(西南戦争)と思う?
    考えるヒントと答え
    新政府が武士の特権を次々に奪った(廃刀令・秩禄処分)ことに士族が強く不満。征韓論で敗れて下野した西郷をかつぎ、最大の士族反乱(西南戦争)を起こした。だが近代的な政府軍(徴兵された平民の軍隊)に敗れ、武力で政府に逆らう時代は終わった(縦糸B)。
  2. 自由民権運動は、何を要求した運動だと思う?
    考えるヒントと答え
    国民が選んだ議会を開き、憲法を作れ」という要求。薩長だけで政治を独占(藩閥政治)するのはおかしい、国民にも政治参加の権利を、という運動(縦糸C)。板垣退助が中心。
  3. 大日本帝国憲法は、誰が主権を持つ憲法だったと思う?
    考えるヒントと答え
    天皇。天皇が国民に与える形(欽定憲法)で、天皇が主権をもち、軍の統帥権ももった。国民は「臣民」として、法律の範囲内で権利を認められた。プロイセン(ドイツ)憲法を参考にした(縦糸C)。
士族の不満 西南戦争(1877) 自由民権運動 大日本帝国憲法(1889) 帝国議会(1890)
6Wでみる「自由民権運動→憲法」
背景薩長中心の藩閥政治への不満。1874年板垣退助民撰議院設立建白書を提出し、国会開設を要求。
何が運動が全国に広がり、自由党(板垣)・立憲改進党(大隈重信)が結成。政府は1881年に10年後の国会開設を約束。
結果伊藤博文がプロイセン憲法を参考に起草。1889年大日本帝国憲法発布(天皇主権・欽定憲法)。1890年帝国議会開設。
影響アジアで最初の近代的立憲国家に。だが選挙権は高額納税者の男子のみと限られ、天皇の権限が強い体制だった。

重要事件と年号

1874民撰議院設立建白書(板垣退助)
1877西南戦争(西郷隆盛)いやな内(1877)戦
1881国会開設の勅諭/自由党結成
1885内閣制度(初代首相 伊藤博文)
1889大日本帝国憲法 発布いち早く(1889)憲法
1890第1回帝国議会/教育勅語

「西南戦争=武士の最後の戦い」を物語で

1877 西南戦争 = 刀の武士 vs 鉄砲の平民軍 = 武士の時代の終わり

映像にしよう👉 維新の英雄西郷隆盛が、不満をもつ士族を率いて最後の反乱。だが相手は徴兵令で集められた平民の近代的な軍隊(鉄砲)。刀の武士が、平民の鉄砲隊に敗れる——。
👉 これは「武士の時代の象徴的な終わり」。以後、政府への不満は刀ではなく言論(自由民権運動)で表現される。武士史(縦糸B)の幕引きの場面。

重要人物

西郷隆盛1828-1877維新の三傑。征韓論で敗れ下野→西南戦争で敗死。
板垣退助1837-1919自由民権運動の中心。民撰議院設立建白書・自由党。「板垣死すとも自由は死せず」。
大隈重信1838-1922立憲改進党を結成。のち首相・早稲田大学創設。
伊藤博文1841-1909長州。憲法を起草。初代内閣総理大臣

大日本帝国憲法のポイント

  • 形式:欽定憲法(天皇が国民に与える形)
  • 主権:天皇主権(天皇が統治権・軍の統帥権をもつ)
  • 国民:臣民として、法律の範囲内で権利を認められる
  • 議会:帝国議会(貴族院+衆議院)。衆議院の選挙権は高額納税の男子のみ
  • 参考:プロイセン(ドイツ)憲法(君主の権限が強い)

同時期の世界

19世紀後半、欧米列強は帝国主義でアジア・アフリカを植民地化していった。日本が憲法・議会を整えたのは、こうした列強に「日本も文明国だ」と認めさせ、不平等条約を改正するためでもあった。ドイツ(プロイセン)の強い君主政が憲法の手本になった。

1882三国同盟(独・墺・伊)
1884-85ベルリン会議(アフリカ分割)
1885インド国民会議

📖 史料 — 大日本帝国憲法(1889)

第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス。 第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス。 第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス。 第29条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス。
出典:大日本帝国憲法
  1. hist-20-s1 この憲法で主権をもつのは誰か?
    天皇(天皇主権)
  2. hist-20-s2 第29条「法律ノ範囲内ニ於テ」は、国民の権利についてどんな制限を表すか?
    国民(臣民)の自由・権利は法律で制限できる(無制限の人権ではない)ことを表す

よくある間違い

  • 「大日本帝国憲法は国民主権」→ ✗。天皇主権。国民主権は戦後の日本国憲法(Unit 24)。
  • 「憲法はアメリカ憲法が手本」→ ✗。プロイセン(ドイツ)憲法(君主の権限が強い)が手本。
  • 「最初の選挙はすべての国民が投票できた」→ ✗。選挙権は高額納税の男子のみ
想起トレーニング:「西南戦争と自由民権運動の関係」を説明してみよう
ヒント① 西南戦争は何で政府に反抗した?
特権を奪われた士族が武力(刀)で反抗した。だが平民の近代的軍隊に敗れた。…その後、不満はどう表現された?
ヒント② 武力がダメなら?
武力では勝てないと分かり、不満は言論(自由民権運動)=「国会を開け・憲法を作れ」という要求に変わった。
答え
西南戦争は士族が武力で政府に反抗した最後の反乱で、近代的な政府軍に敗れた。これで武力で政府に逆らう時代が終わり、政府への不満は「国会開設・憲法制定」を求める自由民権運動という言論の形に変わった。その結果、大日本帝国憲法と帝国議会ができた。

練習問題 — Unit 20

  1. hist-20-q1 1877年、西郷隆盛を中心に起きた最大の士族反乱は?
    西南戦争
  2. hist-20-q2 1874年、国会開設を求めて板垣退助が提出したものは?
    民撰議院設立建白書
  3. hist-20-q3 国会開設や憲法制定を求めた運動は?
    自由民権運動
  4. hist-20-q4 自由党を結成した人物は?
    板垣退助
  5. hist-20-q5 立憲改進党を結成した人物は?
    大隈重信
  6. hist-20-q6 1885年に作られた、内閣の初代総理大臣は?
    伊藤博文
  7. hist-20-q7 1889年に発布された憲法は?
    大日本帝国憲法
  8. hist-20-q8 大日本帝国憲法で主権をもつのは?
    天皇
  9. hist-20-q9 憲法は何という形で出されたか(天皇が国民に与える)?
    欽定憲法
  10. hist-20-q10 大日本帝国憲法が手本にした外国の憲法は?
    プロイセン(ドイツ)憲法
  11. hist-20-q11 1890年に開かれた議会は?
    帝国議会(貴族院+衆議院)
  12. hist-20-q12 最初の選挙権をもったのはどんな人々?
    一定額以上を納税する満25歳以上の男子
  13. hist-20-q13 1890年、忠君愛国などの道徳を示したものは?
    教育勅語
  14. hist-20-q14 板垣退助の有名な言葉は?
    板垣死すとも自由は死せず
  15. hist-20-q15 入試頻出西南戦争が「武士の時代の終わり」と言われる理由は?
    士族が武力で政府に反抗した最後の反乱で、徴兵された平民の近代的軍隊に敗れたから。以後の反政府運動は言論(自由民権)になった
  16. hist-20-q16 入試頻出明治政府が憲法・議会を整えた対外的な狙いは?
    列強に「日本も文明国だ」と示し、不平等条約の改正に近づくため

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 20)

3つを声に出して。

  • 西南戦争は何で、なぜ「武士の終わり」なのか?
  • 自由民権運動は何を要求し、何につながった?
  • 大日本帝国憲法の特徴(主権・手本・国民)は?
① 特権を失った士族が武力で起こした最後の反乱。徴兵された平民の軍隊に敗れ、武力で政府に逆らう時代が終わった。
② 「国会を開け・憲法を作れ」と要求。大日本帝国憲法と帝国議会の開設につながった。
天皇主権・欽定憲法・プロイセン憲法が手本・国民は臣民で権利は法律の範囲内
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

大日本帝国憲法(天皇主権)は、Unit 24で日本国憲法(国民主権)と対比すると一気に理解が深まります。比較表は年表にもあります。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。「📜大日本帝国憲法 vs 日本国憲法」の比較表も必見。

Unit 20 の進捗 📜 完全年表 明治へ

Unit 21 — 明治③ 日清・日露戦争

力をつけた日本が、日清・日露戦争に勝って列強の仲間入り。不平等条約も完全改正。一方で韓国併合や公害(足尾)など、近代化の影も濃くなる。

時代の見取り図

支配者は?天皇+政府(藩閥・軍)。列強の一員として帝国主義へ。
経済の基盤産業革命(軽工業→重工業)。八幡製鉄所。財閥の成長。
対外関係日清・日露に勝利。条約改正を達成。韓国併合で植民地を持つ側に。
前からの変化列強に追われる国 → 追う側(帝国主義)へ。光と影。
A 土地産業革命で工業中心の経済へ。農村から都市へ労働者が移動。公害(足尾銅山)も発生。
B 武士武士はもういない。徴兵された国民の軍隊が日清・日露を戦った(武士史は完結済み)。
C 権力天皇中心の国家が列強の一員に。軍部の発言力が増し始める(→大正・昭和の伏線)。
D 対外対外膨張のピーク。日清(下関条約)・日露(ポーツマス条約)に勝ち、条約改正達成・韓国併合。「追われる側→追う側」へ逆転。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 日清戦争・日露戦争は、何をめぐる戦いだったと思う?
    考えるヒントと答え
    どちらも朝鮮・満州(中国東北部)の支配権をめぐる争い。日清は朝鮮をめぐり清と、日露は満州・韓国をめぐりロシアと戦った。日本は大陸への進出を狙っていた(縦糸D)。
  2. 日露戦争に勝ったのに、なぜ国民は怒って暴動(日比谷焼き打ち事件)を起こしたと思う?
    考えるヒントと答え
    ポーツマス条約で賠償金が取れなかったから。国民は重税と多くの戦死者に耐えて勝ったのに、得たものが少なく「割に合わない」と怒った(縦糸D・C)。
  3. 不平等条約(領事裁判権・関税自主権)は、どうやって改正できたと思う?
    考えるヒントと答え
    日本が近代化し戦争に勝って国力を示したから。1894年(日清戦争直前)に領事裁判権を撤廃、1911年に関税自主権を回復。憲法・議会・戦争の勝利で「文明国」と認められた成果(縦糸D)。
条約改正への努力 日清戦争(1894) 三国干渉→日英同盟 日露戦争(1904) 韓国併合(1910)・条約改正完成(1911)
6Wでみる「日清・日露戦争」
日清(1894-95)朝鮮の支配をめぐり清と戦い勝利。下関条約で台湾・遼東半島・賠償金を得る。→ロシア・ドイツ・フランスの三国干渉で遼東半島を返還。
日露(1904-05)満州・韓国をめぐりロシアと戦い、辛勝。日英同盟(1902)が支えに。ポーツマス条約(小村寿太郎)で南樺太・韓国の指導権を得るが賠償金はなし→日比谷焼き打ち事件。
影響日本は列強の一員に。アジアの国がヨーロッパの大国ロシアに勝ったことは世界に衝撃。1910年韓国併合、1911年条約改正完成

不平等条約の改正(2段階)

内容担当きっかけ
1894領事裁判権の撤廃陸奥宗光日清戦争の直前
1911関税自主権の回復小村寿太郎日露戦争後

重要事件と年号

1894日清戦争/領事裁判権撤廃いやよ(1894)清と戦
1895下関条約/三国干渉
1901八幡製鉄所 操業開始
1902日英同盟
1904日露戦争(〜1905)行くわよ(1904)露と戦
1905ポーツマス条約
1910韓国併合行く十(1910)韓国併合
1911関税自主権の回復

「下関条約とポーツマス条約」を勝敗の中身で区別

日清=下関条約(賠償金あり・台湾)/ 日露=ポーツマス条約(賠償金なし→暴動)

2つの条約を結果で区別👉 日清の下関条約賠償金(巨額)+台湾をゲット、国民は満足。一方日露のポーツマス条約は、辛うじて勝ったが賠償金が取れず、重税に耐えた国民が怒って日比谷焼き打ち事件
👉「下関=もうかった(賠償金あり)/ポーツマス=割に合わない(賠償金なし)」。場所名(下関=山口、ポーツマス=アメリカ)もセットで。

重要人物

陸奥宗光1844-1897外相。1894年領事裁判権の撤廃に成功。下関条約も担当。
小村寿太郎1855-1911外相。ポーツマス条約を結ぶ。1911年関税自主権の回復を達成。
東郷平八郎1848-1934日露戦争で日本海海戦に勝利(バルチック艦隊を破る)。
田中正造1841-1913足尾銅山鉱毒事件で住民を救おうと天皇に直訴。公害反対の先駆け。
与謝野晶子1878-1942日露戦争に出征した弟を思う詩「君死にたまふことなかれ」(反戦的)。

なぜ日本は「朝鮮・満州」へ進出した? なぜ八幡製鉄所は北九州?

朝鮮・満州は大陸への入口で、資源(鉄・石炭・大豆)と市場がある。列強もここを狙い、日本も「大陸に足場を持たないと安全が保てない」と考えた(その論理が後の侵略につながる)。八幡製鉄所(福岡)は、近くに筑豊炭田(石炭)があり、清から得た賠償金で建設、中国の鉄鉱石も運びやすい立地だった。

産業革命と社会問題

  • 軽工業(製糸・紡績)→ 重工業(八幡製鉄所1901)へ
  • 財閥(三井・三菱など)の成長
  • 労働問題:低賃金・長時間労働 → 労働運動の芽生え
  • 公害:足尾銅山鉱毒事件(田中正造が告発)
  • 学問:北里柴三郎(破傷風)・野口英世(黄熱病)など世界的な研究者

同時期の世界

この時代は帝国主義の全盛期。欧米列強が世界を植民地分割していた。日本が日露戦争でロシアに勝ったことは、アジアの国が初めてヨーロッパの大国を破ったとして、アジア各地の独立運動を勇気づけた。一方、列強間の対立は高まり、まもなく第一次世界大戦へ(→Unit 22)。

1900義和団事件(中国)
1905ロシア第一革命
1911辛亥革命(中国・清が倒れる)

📖 史料 — 与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」(1904)

ああ弟よ、君を泣く、君死にたまふことなかれ、 末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも、 親は刃をにぎらせて 人を殺せと教へしや
出典:与謝野晶子(日露戦争に出征した弟を思って詠んだ詩)
  1. hist-21-s1 この詩はどの戦争を背景にしているか?
    日露戦争
  2. hist-21-s2 この詩に込められた作者の思いは?
    出征した弟への愛情と、戦争で命を落としてほしくないという反戦的な気持ち

よくある間違い

  • 「日露戦争の講和条約は下関条約」→ ✗。日露はポーツマス条約。下関条約は日清戦争
  • 「日露戦争で賠償金を得た」→ ✗。賠償金はなし(だから日比谷焼き打ち事件)。
  • 「条約改正は一度に完了した」→ ✗。1894領事裁判権撤廃→1911関税自主権回復の2段階。
想起トレーニング:「日清と日露、2つの戦争と条約の違い」を説明してみよう
ヒント① 相手と争点は?
日清=朝鮮をめぐり、日露=ロシア満州・韓国をめぐり。…講和条約の名は?
ヒント② 条約と賠償金は?
日清=下関条約(賠償金あり・台湾)、日露=ポーツマス条約(賠償金なし)。賠償金なしで暴動も。
答え
日清戦争は清と朝鮮をめぐって戦い、下関条約で台湾・遼東半島・賠償金を得た(三国干渉で遼東は返還)。日露戦争はロシアと満州・韓国をめぐって戦い、日英同盟を背景に辛勝、ポーツマス条約で南樺太などを得たが賠償金はなく、国民が日比谷焼き打ち事件を起こした。2つの勝利で日本は列強の一員になった。

練習問題 — Unit 21

  1. hist-21-q1 1894年に始まった、日本と清の戦争は?
    日清戦争
  2. hist-21-q2 日清戦争の講和条約は?
    下関条約
  3. hist-21-q3 下関条約で日本が得た領土は?
    台湾・遼東半島(+多額の賠償金)
  4. hist-21-q4 ロシア・ドイツ・フランスが遼東半島の返還を求めた出来事は?
    三国干渉
  5. hist-21-q5 1902年、ロシアに対抗して結んだ同盟は?
    日英同盟
  6. hist-21-q6 1904年に始まった、日本とロシアの戦争は?
    日露戦争
  7. hist-21-q7 日露戦争の講和条約は?
    ポーツマス条約
  8. hist-21-q8 ポーツマス条約で得られなかったものは?
    賠償金(→日比谷焼き打ち事件)
  9. hist-21-q9 ポーツマス条約を結んだ外相は?
    小村寿太郎
  10. hist-21-q10 1894年に領事裁判権の撤廃に成功した外相は?
    陸奥宗光
  11. hist-21-q11 1911年に関税自主権を回復した外相は?
    小村寿太郎
  12. hist-21-q12 1910年、日本が韓国を植民地としたことを何という?
    韓国併合
  13. hist-21-q13 1901年に操業を始めた官営の製鉄所は?
    八幡製鉄所
  14. hist-21-q14 足尾銅山の鉱毒問題で住民を救おうとした人物は?
    田中正造
  15. hist-21-q15 「君死にたまふことなかれ」を詠んだ歌人は?
    与謝野晶子
  16. hist-21-q16 入試頻出日露戦争の勝利が世界に与えた影響は?
    アジアの国が初めてヨーロッパの大国(ロシア)を破ったとして、アジア各地の独立運動を勇気づけた
  17. hist-21-q17 入試頻出不平等条約を改正できた根本的な理由は?
    憲法・議会を整え、日清・日露戦争に勝って近代国家としての国力を示し「文明国」と認められたから

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 21)

3つを声に出して。

  • 日清・日露の相手・争点・講和条約は?
  • なぜ日露戦争後に暴動(日比谷焼き打ち)が起きた?
  • 不平等条約はどう改正された?(2段階)
① 日清=朝鮮をめぐり→下関条約。日露=ロシア満州・韓国をめぐり→ポーツマス条約
賠償金が取れなかったから。重税と多くの戦死に耐えた国民が「割に合わない」と怒った。
1894年 領事裁判権の撤廃(陸奥宗光)→1911年 関税自主権の回復(小村寿太郎)の2段階。
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

「追われる側→追う側」への逆転(縦糸D)がここで完成。だが韓国併合や軍部の台頭は、次の大正・昭和の問題につながります。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 21 の進捗 📜 完全年表 明治へ

Unit 22 — 大正(第一次大戦・デモクラシー)

第一次世界大戦で好景気と国際的地位の向上。国内では「大正デモクラシー」で民主主義が広がり、ついに普通選挙が実現。だが同時に治安維持法という影も。

時代の見取り図

支配者は?藩閥→政党内閣へ。国民の政治参加が広がる。
経済の基盤大戦景気(輸出増)→戦後不況。労働運動も。
対外関係第一次大戦に参戦。二十一か条の要求で中国へ進出。国際連盟の常任理事国に。
前からの変化藩閥政治 → 民主主義(大正デモクラシー)の高まり。
A 土地小作争議(小作人 vs 地主)が増加。農村の貧富の差が社会問題に。
B 武士武士史は完結済み。代わりに労働者・農民・女性が権利を求める社会運動の主役に。
C 権力大正デモクラシー=国民の政治参加が拡大。米騒動で藩閥が倒れ政党内閣へ、普通選挙も実現。だが治安維持法で言論統制も。
D 対外第一次大戦に参戦し戦勝国に。二十一か条で中国進出を強め、のちの対立の火種をまく。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 米騒動(1918)はなぜ起き、何をもたらしたと思う?
    考えるヒントと答え
    シベリア出兵を見こした商人の買い占めで米の値段が急騰。生活に困った民衆が全国で米屋を襲った(米騒動)。これで藩閥内閣が倒れ、原敬の本格的な政党内閣が誕生した(縦糸C)。
  2. 「大正デモクラシー」とはどんな動きだと思う?
    考えるヒントと答え
    民主主義を求める風潮。吉野作造が「民本主義」(政治は民衆のために)を唱え、普通選挙や政党政治を求めた。新聞・雑誌・ラジオも広がり、民衆の声が政治を動かすようになった(縦糸C)。
  3. 普通選挙法と治安維持法が「同じ1925年」に作られたのはなぜだと思う?
    考えるヒントと答え
    普通選挙で多くの人に選挙権を与える(自由を拡大)一方、共産主義など体制を変える動きは治安維持法で取り締まる(自由を制限)。「権利は広げるが、危険な思想は抑える」という、アメとムチをセットにした(縦糸C)。
第一次大戦(1914) 大戦景気・米騒動(1918) 政党内閣(原敬) 大正デモクラシー 普通選挙法・治安維持法(1925)
6Wでみる「第一次世界大戦と日本」
背景1914年、ヨーロッパで第一次世界大戦が勃発。日本は日英同盟を理由に連合国側で参戦。
何をドイツの拠点(中国の青島)を攻め、1915年中国に二十一か条の要求を突きつけ権益を拡大。
結果日本はヨーロッパが戦場のすきに輸出を伸ばし大戦景気。戦後は国際連盟の常任理事国に。
影響国際的地位は上がったが、二十一か条で中国の反日感情が高まり、後の対立の火種になった。

重要事件と年号

1914第一次世界大戦(〜1918)行く意思(1914)で参戦
1915二十一か条の要求(中国へ)
1918米騒動/原敬の政党内閣
1920国際連盟 発足(日本は常任理事国)
1922全国水平社の結成
1923関東大震災
1925普通選挙法/治安維持法行くにGO(1925)普選

「1925=普通選挙法と治安維持法のセット」を映像で

1925 = 右手で「普通選挙(自由を広げる)」/ 左手で「治安維持法(自由を縛る)」

映像にしよう👉 政府が右手で多くの男子に選挙権を配り(普通選挙法・アメ)、同時に左手で「危険な思想は許さない」と縛る(治安維持法・ムチ)。同じ年に正反対の2つ。
👉「1925=アメ(普選)とムチ(治安維持法)のセット」。普通選挙=満25歳以上の男子(女性はまだ)という点も忘れずに。

重要人物

原敬1856-1921米騒動の後、初の本格的政党内閣を組織。「平民宰相」。
吉野作造1878-1933民本主義」を唱え、大正デモクラシーの理論的支柱に。
平塚らいてう1886-1971女性運動。「元始、女性は太陽であった」。市川房枝と新婦人協会。
芥川龍之介1892-1927小説家。「羅生門」「蜘蛛の糸」。

社会運動と大正の文化

広がる社会運動
  • 女性運動:平塚らいてう・市川房枝(女性の地位向上)
  • 部落解放:全国水平社(1922・差別からの解放)
  • 労働運動・小作争議(労働者・小作人の権利)
文化
  • 文学:白樺派(武者小路実篤・志賀直哉)/芥川龍之介
  • 大衆文化:ラジオ放送開始(1925)・新聞・雑誌の普及・活動写真(映画)

同時期の世界

大正は第一次世界大戦(1914-18)とその後。総力戦で多くの命が失われ、ロシア革命(1917)で世界初の社会主義国(ソ連)が誕生。戦後は国際連盟ができ、アメリカが台頭。日本もこの新しい国際秩序の一員になったが、同時に世界恐慌(→Unit 23)への不安定さもはらんでいた。

1917ロシア革命
1919ベルサイユ条約・五四運動(中国)
1920国際連盟 発足
1919ワイマール憲法(独)

📖 史料 — 全国水平社宣言(1922)

全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ。… 人の世に熱あれ、人間に光あれ
出典:全国水平社創立大会宣言(日本初の人権宣言とされる)
  1. hist-22-s1 この宣言を出した組織は?
    全国水平社
  2. hist-22-s2 この宣言が目指したものは?
    差別を受けてきた人々が自らの力で差別からの解放を勝ち取ること(大正デモクラシーの人権意識の高まり)

よくある間違い

  • 「1925年の普通選挙で女性も投票できた」→ ✗。満25歳以上の男子のみ。女性の参政権は戦後(1945)。
  • 「民本主義=民主主義(主権在民)」→ 厳密には違う。吉野作造の民本主義は、天皇主権の枠内で「政治は民衆のために」という考え方。
  • 「原敬は藩閥出身の首相」→ ✗。「平民宰相」と呼ばれた政党政治家。
想起トレーニング:「米騒動から政党内閣・普通選挙への流れ」を説明してみよう
ヒント① 米騒動はなぜ起き、何を倒した?
米価高騰で民衆が米屋を襲い(米騒動1918)、責任をとって藩閥内閣が倒れた。…代わりに何ができた?
ヒント② 代わりにできた内閣・制度は?
原敬の本格的政党内閣ができ、大正デモクラシーが高まり、1925年普通選挙法が実現(ただし男子のみ・治安維持法とセット)。
答え
1918年の米騒動で藩閥内閣が倒れ、原敬の本格的な政党内閣が誕生した。大正デモクラシー(吉野作造の民本主義など)が高まり、1925年に普通選挙法(満25歳以上の男子)が実現した。ただし同時に治安維持法で危険な思想を取り締まった。

練習問題 — Unit 22

  1. hist-22-q1 1914年に始まった世界規模の戦争は?
    第一次世界大戦
  2. hist-22-q2 日本が第一次大戦に参戦した口実となった同盟は?
    日英同盟
  3. hist-22-q3 1915年、日本が中国に突きつけた要求は?
    二十一か条の要求
  4. hist-22-q4 第一次大戦中の日本の好景気を何という?
    大戦景気
  5. hist-22-q5 1918年、米価の高騰で全国に広がった暴動は?
    米騒動
  6. hist-22-q6 米騒動の後、初の本格的政党内閣を作った「平民宰相」は?
    原敬
  7. hist-22-q7 民主主義を求めた大正期の風潮を何という?
    大正デモクラシー
  8. hist-22-q8 「民本主義」を唱えた人物は?
    吉野作造
  9. hist-22-q9 1920年に発足した国際平和機関は?
    国際連盟(日本は常任理事国)
  10. hist-22-q10 1925年、満25歳以上の男子に選挙権を与えた法は?
    普通選挙法
  11. hist-22-q11 普通選挙法と同じ年に作られた、思想を取り締まる法は?
    治安維持法
  12. hist-22-q12 1922年、部落差別からの解放を目指して結成された組織は?
    全国水平社
  13. hist-22-q13 女性運動の中心となった「元始、女性は太陽であった」の人物は?
    平塚らいてう
  14. hist-22-q14 1923年に関東地方を襲った大災害は?
    関東大震災
  15. hist-22-q15 1925年に始まった、家庭に普及した放送は?
    ラジオ放送
  16. hist-22-q16 入試頻出1925年の普通選挙法の限界(誰が選挙権をもたなかったか)は?
    女性に選挙権がなかった(満25歳以上の男子のみ。女性参政権は戦後)
  17. hist-22-q17 入試頻出普通選挙法と治安維持法が同時に作られた意味は?
    選挙権を広げて自由を拡大する一方、共産主義など体制を変える動きを取り締まって自由を制限する、アメとムチをセットにした

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 22)

3つを声に出して。

  • 第一次大戦で日本は何をして、何を得た?
  • 米騒動→政党内閣→普通選挙の流れは?
  • 普通選挙法と治安維持法がセットだった意味は?
① 日英同盟を口実に連合国側で参戦、二十一か条で中国へ進出。大戦景気と国際連盟常任理事国の地位を得た。
米騒動で藩閥内閣が倒れ→原敬の政党内閣→大正デモクラシー→1925年普通選挙法(男子のみ)
選挙権を広げる(自由拡大)一方、危険思想を取り締まる(自由制限)、アメとムチをセットにした。
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

大正デモクラシーで広がった民主主義が、次のUnit 23(昭和)で軍部によって押しつぶされていきます。この対比が重要。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

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Unit 23 — 昭和① 恐慌と戦争

世界恐慌の不況から、軍部が台頭して大陸へ侵略(満州事変→日中戦争→太平洋戦争)。大正の民主主義が押しつぶされ、敗戦に至るまでの「15年戦争」の流れをつかむ。

時代の見取り図

支配者は?政党政治が倒れ、軍部が政治を握る(軍国主義)。
経済の基盤恐慌で不況→戦争経済へ。国家総動員法で全てを戦争に。
対外関係満州→中国→アメリカと戦線拡大、国際的に孤立し敗戦。
前からの変化大正デモクラシー → 軍国主義・戦争へ暗転。
A 土地恐慌で農村が困窮(娘の身売りも)。これが軍部・農村出身兵の不満となり、軍の暴走を支えた。
B 武士武士はいないが、軍部(軍人)が新たな実力集団として政治を握る。国民は総動員で戦争に巻き込まれる。
C 権力政党政治が倒れ軍部が権力を握る。五・一五/二・二六事件で軍が政治を支配し、軍国主義へ。大正デモクラシーの逆行。
D 対外侵略の拡大と破滅。満州事変→国際連盟脱退(孤立)→日中戦争→太平洋戦争→敗戦。対外膨張の行き着いた先。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 世界恐慌の不況が、なぜ日本の戦争(満州事変)につながったと思う?
    考えるヒントと答え
    不況で国民の生活が苦しくなると「満州(中国東北部)を手に入れれば資源も市場も得られて景気が良くなる」という主張に軍部が動いた。経済の行き詰まりを対外侵略で打開しようとした(縦糸D)。
  2. 五・一五事件・二・二六事件で、日本の政治はどう変わったと思う?
    考えるヒントと答え
    軍人が首相らを暗殺するテロで、政党政治が終わり軍部が政治を握るようになった。「逆らうと殺される」空気で、政治家もマスコミも軍に物を言えなくなり、軍国主義が強まった(縦糸C)。
  3. なぜ日本はアメリカという大国に戦争(太平洋戦争)を仕掛けたと思う?
    考えるヒントと答え
    日中戦争が長引き、アメリカなどが石油の輸出を止めた(ABCD包囲網)。資源を断たれた日本は「このままでは戦争を続けられない、ならば南方の資源を奪う」と判断し、真珠湾を奇襲した。だが国力差は大きく敗北した(縦糸D)。
世界恐慌(1929) 満州事変(1931)→国際連盟脱退 軍部の台頭(五・一五/二・二六) 日中戦争(1937) 太平洋戦争(1941)→敗戦(1945)
6Wでみる「恐慌から戦争への道」
背景1929年世界恐慌→日本も昭和恐慌で農村が困窮。出口を求める空気。
満州事変(1931)軍が満州を占領し満州国を作る。国際連盟が認めず、日本は1933年国際連盟を脱退し孤立。
軍部の支配五・一五事件(1932・犬養毅首相暗殺→政党政治終わる)・二・二六事件(1936)で軍が政治を握る。日中戦争(1937)→国家総動員法(1938)。
太平洋戦争資源を断たれ1941年真珠湾を奇襲→緒戦は優勢もミッドウェー以降劣勢→本土空襲・沖縄戦→広島長崎の原爆→ポツダム宣言受諾(1945.8.15)で敗戦

重要事件と年号

1929世界恐慌役にいく(1929)恐慌
1931満州事変
1932五・一五事件(犬養毅暗殺)
1933国際連盟を脱退
1936二・二六事件
1937日中戦争はじまるいくみな(1937)日中戦
1938国家総動員法
1940日独伊三国同盟
1941太平洋戦争はじまる(真珠湾)行くよい(1941)真珠湾
1945広島・長崎/ポツダム宣言受諾・敗戦行くよGO(1945)終戦

「満州→日中→太平洋」を1本の坂道で

満州事変(1931)→日中戦争(1937)→太平洋戦争(1941)→敗戦(1945)=転がり落ちる坂

映像にしよう👉 1931年に満州で小さな石ころ(満州事変)が転がり始め、1937年に日中戦争という大きな岩になり、1941年にアメリカという崖(太平洋戦争)に突っ込み、1945年に谷底(敗戦)へ。一度転がり始めると止められなかった。
👉 この「15年戦争(1931〜1945)」を1本の下り坂としてイメージ。途中で軍部が政治を握り(五・一五/二・二六)、ブレーキ役の政党政治が消えたから止まらなかった。

重要人物

犬養毅1855-1932首相。五・一五事件で暗殺され、政党政治が終わる。「話せばわかる」。
東条英機1884-1948陸軍。太平洋戦争開戦時の首相。戦後A級戦犯に。
昭和天皇1901-1989在位中に戦争と敗戦。ポツダム宣言受諾を決断。

なぜ日本は「満州(中国東北部)」を狙った?

満州は鉄・石炭・大豆などの資源が豊富で、日本の重工業の原料になる。日露戦争で得た南満州鉄道の権益もあった。資源の乏しい日本にとって、満州は「生命線」と宣伝された。だが他国の領土を奪う侵略であり、国際社会の反発を招いて孤立を深めた。

戦時下の国民生活

  • 国家総動員法(1938)で人・物・お金をすべて戦争に動員
  • 生活:配給制・切符制(米・衣料が不足)/隣組で相互監視
  • 学生:学徒出陣(大学生も戦場へ)/勤労動員(工場で働く)
  • 都市の子ども:集団疎開(空襲を避け地方へ)
  • 言論:報道は統制され、戦争に協力する内容ばかりに

同時期の世界

昭和前期は世界恐慌と第二次世界大戦の時代。恐慌のなか、ドイツではヒトラーのナチス、イタリアではファシズムが台頭。1939年ドイツのポーランド侵攻で第二次大戦が始まり、日本は日独伊三国同盟で枢軸国側に。連合国(米英ソ中)との総力戦の末、1945年に枢軸国は敗北した。

1929世界恐慌(ニューヨーク)
1933ヒトラー 政権獲得
1939第二次世界大戦 開始
1945ドイツ降伏・大戦終結

📖 史料 — ポツダム宣言(1945・要旨)

日本国国民を欺瞞し、之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者の権力及び勢力は、永久に除去せられざるべからず。… 吾等は日本国軍隊の無条件降伏を宣言し
出典:ポツダム宣言(米・英・中の名で発表。日本は1945年8月14日に受諾)
  1. hist-23-s1 日本がこの宣言を受諾したのは何月何日か?
    1945年8月15日(玉音放送。受諾の決定は14日)
  2. hist-23-s2 この宣言が日本に求めたことは?
    軍隊の無条件降伏と、軍国主義勢力の除去(→戦後の民主化につながる)

よくある間違い

  • 「五・一五事件で二・二六事件の首相が暗殺」→ 混同注意。五・一五(1932)=犬養毅暗殺・政党政治の終わり。二・二六(1936)は青年将校のクーデター。
  • 「太平洋戦争は日中戦争と同じ戦争」→ 別の戦線。日中戦争(1937)の長期化のなかで太平洋戦争(1941)が始まった(あわせて15年戦争)。
  • 「原爆は長崎が先」→ ✗。広島(8月6日)→長崎(8月9日)の順。
想起トレーニング:「なぜ大正の民主主義が、昭和に軍国主義へ変わったのか」を説明してみよう
ヒント① きっかけの経済は?
世界恐慌で生活が苦しくなり、人々が政党政治に失望した。…軍はどう動いた?
ヒント② 軍の動きは?
軍は満州事変で大陸侵略を進め、五・一五・二・二六事件のテロで政党政治を倒し、政治の実権を握った。
答え
世界恐慌で国民が政党政治に失望するなか、軍部が満州事変で大陸侵略を進め、五・一五事件・二・二六事件などのテロで政党政治を倒して政治の実権を握った。ブレーキ役の政党政治が消えたため、満州→日中→太平洋と戦争が止まらず、軍国主義のまま敗戦へ向かった。

練習問題 — Unit 23

  1. hist-23-q1 1929年にアメリカから世界に広がった大不況は?
    世界恐慌
  2. hist-23-q2 1931年、日本軍が中国東北部で起こした事件は?
    満州事変
  3. hist-23-q3 満州事変の後、日本が作った国は?
    満州国
  4. hist-23-q4 満州国が認められず、1933年に日本が脱退した組織は?
    国際連盟
  5. hist-23-q5 1932年、犬養毅首相が暗殺された事件は?
    五・一五事件
  6. hist-23-q6 五・一五事件で終わったものは?
    政党政治
  7. hist-23-q7 1936年、青年将校が起こしたクーデターは?
    二・二六事件
  8. hist-23-q8 1937年に始まった、日本と中国の戦争は?
    日中戦争
  9. hist-23-q9 1938年、人や物を戦争に動員するために作られた法は?
    国家総動員法
  10. hist-23-q10 1940年、ドイツ・イタリアと結んだ同盟は?
    日独伊三国同盟
  11. hist-23-q11 1941年12月、日本が真珠湾を奇襲して始まった戦争は?
    太平洋戦争
  12. hist-23-q12 原子爆弾が落とされた2つの都市と日付は?
    広島(8月6日)・長崎(8月9日)
  13. hist-23-q13 1945年8月15日、日本が受諾した宣言は?
    ポツダム宣言
  14. hist-23-q14 大学生も戦場に送られたことを何という?
    学徒出陣
  15. hist-23-q15 都市の子どもが空襲を避け地方へ移ったことは?
    (集団)疎開
  16. hist-23-q16 1931〜1945年の一連の戦争をまとめて何というか?
    十五年戦争
  17. hist-23-q17 入試頻出世界恐慌が日本の大陸侵略につながった理由は?
    不況の出口を求めて、軍部が「満州を手に入れれば資源と市場が得られる」と対外侵略に動いたから
  18. hist-23-q18 入試頻出日本がアメリカに開戦した直接の理由は?
    日中戦争の長期化でアメリカなどに石油の輸出を止められ(ABCD包囲網)、資源を断たれたため、南方の資源を求めて開戦した

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 23)

3つを声に出して。

  • 恐慌→満州事変→戦争の流れは?
  • 五・一五/二・二六事件で政治はどう変わった?
  • 太平洋戦争の開戦理由と結末は?
① 世界恐慌の不況の出口を求めて軍部が満州事変で侵略→国際連盟脱退で孤立→日中戦争→太平洋戦争へ。
② 軍人のテロで政党政治が倒れ、軍部が政治を握った(軍国主義)。ブレーキ役が消えた。
石油を止められ資源を求めて真珠湾を奇襲したが、国力差は大きく、本土空襲・原爆を経てポツダム宣言受諾で敗戦
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

「15年戦争=1本の下り坂」のイメージで流れをつかむと、次のUnit 24(戦後の民主化)が「なぜそうしたか」までわかります。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 24 — 昭和②・現代(戦後〜令和)

敗戦後、GHQの民主化改革日本国憲法で生まれ変わる。冷戦のなか独立し、高度経済成長で経済大国に。バブル崩壊から平成・令和へ。「国民が主権者」の時代。

時代の見取り図

支配者は?国民(国民主権)。天皇は象徴に。民主主義の確立。
経済の基盤高度経済成長で世界2位の経済大国へ→バブル崩壊→低成長。
対外関係日米安保を軸に西側へ。冷戦終結後はグローバル化。
前からの変化軍国主義 → 民主主義・平和主義へ大転換。
A 土地農地改革=土地制度史の最後の大改革。地主の土地を小作人に分け、自作農を増やした。「だれが土地を持つか」の物語が完結。
B 武士武士史は完結済み。軍も解体され、平和主義(戦争放棄)の国に。実力でなく選挙で代表を選ぶ世。
C 権力権力構造の物語が完結=国民主権。天皇貴族→武士→天皇中心の近代国家を経て、ついに主権が国民へ。天皇は象徴に。
D 対外対外関係の物語の現在地=対米関係。占領→サンフランシスコ平和条約で独立→日米安保で西側陣営へ。冷戦後はグローバル化。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. GHQはなぜ「農地改革・財閥解体」を行ったと思う?
    考えるヒントと答え
    戦争を支えた地主制(貧しい小作人)と財閥(軍と結ぶ大資本)を解体し、二度と軍国主義に戻らない民主的な社会を作るため。土地を小作人に分け、財閥を分割して、富と力の集中をなくそうとした(縦糸A・C)。
  2. 大日本帝国憲法と日本国憲法、いちばん大きな違いは何だと思う?
    考えるヒントと答え
    主権者。帝国憲法は天皇主権、日本国憲法は国民主権。さらに日本国憲法は基本的人権の尊重・平和主義(9条で戦争放棄)を三大原則とする。天皇は「象徴」になった(縦糸C)。
  3. 日本はなぜ戦後すぐに高度経済成長できたと思う?
    考えるヒントと答え
    軍事費を抑え経済に集中できたこと、朝鮮戦争の特需、勤勉な労働力、技術革新、輸出の伸びなど。1955〜73年に世界2位の経済大国へ。ただし公害という代償もあった(縦糸D・A)。
敗戦・GHQ占領 戦後改革・日本国憲法 独立(1951)・国連加盟(1956) 高度経済成長 平成・令和
6Wでみる「戦後の民主化(GHQ改革)」
背景敗戦でGHQ(マッカーサー)が日本を占領。二度と戦争をしない民主国家に作り替える方針。
3つの改革農地改革(地主の土地を小作人へ=自作農を増やす)②財閥解体教育改革(教育基本法・六三制)。さらに女性参政権(1945)・労働組合法。
憲法1946年公布・1947年施行の日本国憲法。三大原則=国民主権・基本的人権の尊重・平和主義。天皇は象徴に。
影響軍国主義から民主主義へ大転換。富の集中が崩れ、国民が主権者となる新しい日本が生まれた。

大日本帝国憲法 vs 日本国憲法

大日本帝国憲法(1889)

  • 主権:天皇
  • 天皇:元首・統帥権をもつ
  • 国民:臣民(権利は法律の範囲内)
  • 軍:軍に関する規定あり

日本国憲法(1946公布/47施行)

  • 主権:国民
  • 天皇:象徴(政治的権限なし)
  • 国民:基本的人権を永久に保障
  • 戦争:第9条で戦争放棄・戦力不保持

重要事件と年号

1945敗戦・GHQ占領/女性参政権
1946日本国憲法 公布(11/3)
1947日本国憲法 施行(5/3)/教育基本法
1950朝鮮戦争(特需景気)
1951サンフランシスコ平和条約/日米安保条約行くごい(1951)独立
1956日ソ共同宣言/国際連合に加盟
1964東京オリンピック/東海道新幹線
1972沖縄返還/日中国交正常化
1973石油危機(高度経済成長の終わり)
1989昭和→平成/ベルリンの壁崩壊
1991バブル崩壊/ソ連解体
1995阪神・淡路大震災
2011東日本大震災
2019令和に改元

「日本国憲法 三大原則」を手で覚える

国民主権・基本的人権の尊重・平和主義(こく・き・へい)

3本指で覚えよう👉 ①国民主権(主役は国民)②基本的人権の尊重(一人ひとりが大切)③平和主義(戦争はしない=9条)。「こく・き・へい」と3回唱える。
👉 公布1946年11月3日(今の文化の日)、施行1947年5月3日(今の憲法記念日)。半年あけて施行、と日付もセットで。前のUnit 20の帝国憲法(天皇主権)との違いが最頻出。

重要人物

マッカーサー1880-1964GHQ最高司令官。戦後の民主化改革を指導。
吉田茂1878-1967首相。サンフランシスコ平和条約・日米安保条約を結び独立を回復。
佐藤栄作1901-1975首相。沖縄返還を実現。非核三原則。ノーベル平和賞。
田中角栄1918-1993首相。1972年に日中国交正常化を実現。

なぜ沖縄は1972年まで「アメリカ統治」だった?

沖縄は太平洋戦争末期に地上戦(沖縄戦)の舞台となり、戦後はアメリカが統治。冷戦下でアジアの軍事拠点として重要だったため、本土が1952年に独立した後も、沖縄は1972年まで返還されなかった。今も米軍基地が集中するのは、この地理的・歴史的経緯による。

高度経済成長と現代

  • 高度経済成長(1955-73):年10%前後の成長で世界2位の経済大国へ
  • くらしの変化:三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)→3C(車・クーラー・カラーテレビ)
  • 影:四大公害病(水俣病・イタイイタイ病・四日市ぜんそく・新潟水俣病)→公害対策基本法
  • 1973年石油危機で高度成長が終わる
  • 平成:バブル崩壊・長い不況・IT化・震災/令和:少子高齢化・国際化

同時期の世界

戦後は冷戦(アメリカ=西側 vs ソ連=東側)の時代。朝鮮戦争・ベトナム戦争・キューバ危機など各地で対立した。日本は西側陣営として発展。1989年ベルリンの壁崩壊、1991年ソ連解体で冷戦が終わり、世界はグローバル化へ。日本もその大きな流れの中にいる。

1945国際連合 発足
1950-53朝鮮戦争
1989ベルリンの壁 崩壊
1991ソ連 解体(冷戦終結)
2001アメリカ同時多発テロ

📖 史料 — 日本国憲法 前文・第9条

日本国民は、…ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。 第9条 日本国民は、…国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、…永久にこれを放棄する。…陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない
出典:日本国憲法(前文・第9条)
  1. hist-24-s1 前文が宣言する、主権者は誰か?
    国民(国民主権)
  2. hist-24-s2 第9条が定めている三大原則の一つは何か?
    平和主義(戦争放棄・戦力不保持)
  3. hist-24-s3 日本国憲法の三大原則を3つすべて挙げよ。
    国民主権・基本的人権の尊重・平和主義

よくある間違い

  • 「日本国憲法は1945年に制定」→ ✗。1946年公布・1947年施行
  • 「日本国憲法は天皇主権」→ ✗。国民主権。天皇は象徴。天皇主権は大日本帝国憲法。
  • 「沖縄は戦後すぐ日本に返還された」→ ✗。1972年まではアメリカ統治。
想起トレーニング:「大日本帝国憲法と日本国憲法の違い」を説明してみよう
ヒント① 主権者は?
帝国憲法は天皇主権、日本国憲法は国民主権。天皇の地位も変わった。…天皇はどうなった?
ヒント② 天皇・人権・戦争は?
天皇は象徴に。日本国憲法は基本的人権の尊重・平和主義(9条で戦争放棄)を三大原則とする。
答え
大日本帝国憲法は天皇主権で、天皇が統治権・統帥権をもち、国民は臣民として権利が法律で制限された。日本国憲法は国民主権で、天皇は象徴、三大原則として国民主権・基本的人権の尊重・平和主義(9条で戦争放棄)を定める。

練習問題 — Unit 24

  1. hist-24-q1 敗戦後に日本を占領した連合国軍の機関は?
    GHQ(最高司令官マッカーサー)
  2. hist-24-q2 地主の土地を小作人に分けた改革は?
    農地改革
  3. hist-24-q3 三井・三菱などの大資本を分割した改革は?
    財閥解体
  4. hist-24-q4 1945年に女性に認められた政治的権利は?
    参政権(選挙権)
  5. hist-24-q5 日本国憲法が公布・施行されたのはいつ?
    公布1946年11月3日・施行1947年5月3日
  6. hist-24-q6 日本国憲法の三大原則は?
    国民主権・基本的人権の尊重・平和主義
  7. hist-24-q7 戦争放棄を定めた日本国憲法の条文は?
    第9条
  8. hist-24-q8 日本国憲法で天皇はどんな地位になったか?
    象徴
  9. hist-24-q9 1950年に始まり日本に特需をもたらした戦争は?
    朝鮮戦争
  10. hist-24-q10 1951年、日本が独立を回復した条約は?
    サンフランシスコ平和条約
  11. hist-24-q11 平和条約と同時に結ばれた、米軍駐留を認める条約は?
    日米安全保障条約
  12. hist-24-q12 1956年に日本が加盟した国際機関は?
    国際連合(日ソ共同宣言がきっかけ)
  13. hist-24-q13 1955〜1973年の急速な経済発展を何という?
    高度経済成長
  14. hist-24-q14 1964年に東京で開かれた国際大会は?
    東京オリンピック
  15. hist-24-q15 1972年にアメリカから日本へ返還された県は?
    沖縄県
  16. hist-24-q16 1972年に田中角栄が実現した中国との関係正常化は?
    日中国交正常化
  17. hist-24-q17 1973年、高度経済成長を終わらせた出来事は?
    石油危機(オイルショック)
  18. hist-24-q18 高度経済成長期に発生した四大公害病を1つ挙げよ。
    水俣病(ほかイタイイタイ病・四日市ぜんそく・新潟水俣病)
  19. hist-24-q19 入試頻出GHQが農地改革・財閥解体を行った目的は?
    戦争を支えた地主制と財閥を解体し、富と力の集中をなくして、二度と軍国主義に戻らない民主的な社会を作るため
  20. hist-24-q20 入試頻出大日本帝国憲法と日本国憲法の最大の違いは?
    主権者が天皇主権から国民主権に変わったこと(天皇は象徴に。平和主義・基本的人権の尊重も加わった)

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 24)

3つを声に出して。

  • GHQの戦後改革(3つ)とその目的は?
  • 日本国憲法の三大原則と、帝国憲法との違いは?
  • 高度経済成長はなぜ起き、何で終わった?
農地改革・財閥解体・教育改革。戦争を支えた地主制・財閥を解体し、民主的な社会を作るため。
② 三大原則=国民主権・基本的人権の尊重・平和主義。帝国憲法は天皇主権だったが、日本国憲法は国民主権で天皇は象徴に。
③ 軍事費を抑え経済に集中・朝鮮戦争の特需・技術革新・輸出の伸びで成長。1973年の石油危機で終わった。
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この単元には「3回」会いに来よう

4本の縦糸(土地・武士・権力・対外)がここで「現在」に到達して完結します。次のUnit 25で、その4本を最初から振り返ります。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。「📜大日本帝国憲法 vs 日本国憲法」の比較表も必見。

Unit 25 — 📜 完全年表&総合復習

全時代をひとつに見渡す総仕上げ。4本の縦糸(土地・武士・権力・対外)を最初から最後まで一気に振り返り、時代をまたぐ総合問題で力試し。完全年表の暗記カード・クイズもフル活用しよう。

統合ページ

📜 中学歴史 完全年表 — 試験対策版

全13時代を網羅。各事項に出典・よく出る・引っかけ・語呂つき。
ダークモード/🃏暗記カード/🎯クイズ/時代別カラー/比較表/人物ポップオーバー

📜 完全年表ページを開く →

🧵 4本の縦糸を「最初から最後まで」振り返る

各単元で追ってきた4つのテーマを、通史で一気に見渡そう。点が線につながると、歴史は驚くほど忘れにくくなる。

4本の縦糸・完全版(流れで言えるか確認しよう)

A. 土地制度 — だれが土地を持ち、だれが税を取るか

公地公民(大化の改新)→班田収授(奈良)→墾田永年私財法→荘園(奈良〜平安)→御恩と奉公(鎌倉)→守護大名の領国(室町)→太閤検地(秀吉)→年貢・幕藩体制(江戸)→地租改正(明治・米→現金)→農地改革(戦後・地主から小作人へ)

B. 武士の成長と終わり

武装集団(平安)→平清盛(初の太政大臣)→源頼朝・鎌倉幕府守護・地頭守護大名(室町)→戦国大名兵農分離(秀吉)→江戸幕府(武士の頂点)四民平等・徴兵令(武士の身分廃止)(明治)→西南戦争(武士最後の反乱)

C. 権力構造 — 名目のトップと実際の権力者

天皇・貴族(古代)→藤原氏(摂関)院政(上皇)幕府が実権・天皇は形式(中世)→将軍権威の動揺(室町)→幕府の専制(江戸)→天皇中心の近代国家(明治)→軍部の支配(昭和戦前)→国民主権(戦後)

D. 対外関係 — 外からの力が国内を変える

遣隋使・遣唐使白村江の敗北遣唐使停止(国風文化)元寇勘合貿易鉄砲・南蛮貿易鎖国黒船・開国日清・日露太平洋戦争・敗戦日米安保・対米関係

総仕上げ:4本の縦糸を、何も見ずに語れるか

上の4本を1本ずつ、最初から最後まで声に出して言えたら、あなたは「点」ではなく「流れ」で歴史を理解できている証拠。詰まった所が戻るべき単元。

  • 土地制度は、公地公民から農地改革まで、どう移り変わった?
  • 武士は、どう生まれ、どう国の支配者になり、どう消えた?
  • 権力は、天皇→武士→国民へとどう動いた?
  • 対外関係は、遣唐使から対米関係まで、何が国内を変えた?
上の「🧵4本の縦糸・完全版」の各行が模範解答。1本ずつ、時代名とセットで言えるようにしよう。特に「なぜその変化が起きたか」(例:墾田永年私財法で公地公民が崩れた、元寇で幕府が傾いた、地租改正で税が安定した)まで言えれば完璧。

総合問題 — Unit 25(時代をまたぐ力試し)

  1. hist-25-q1 次を古い順に:①応仁の乱 ②大化の改新 ③関ヶ原の戦い ④承久の乱
    ②大化の改新(645) → ④承久の乱(1221) → ①応仁の乱(1467) → ③関ヶ原(1600)
  2. hist-25-q2 次を古い順に:①日清戦争 ②明治維新 ③太平洋戦争 ④日露戦争
    ②明治維新(1868) → ①日清戦争(1894) → ④日露戦争(1904) → ③太平洋戦争(1941)
  3. hist-25-q3 平清盛・源頼朝・足利尊氏・徳川家康を、政権を握った順に。
    平清盛 → 源頼朝 → 足利尊氏 → 徳川家康
  4. hist-25-q4 「公地公民」「荘園」「太閤検地」「地租改正」を古い順に。
    公地公民(645) → 荘園(奈良〜) → 太閤検地(1582〜) → 地租改正(1873)
  5. hist-25-q5 鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府を開いた人物をそれぞれ。
    鎌倉=源頼朝/室町=足利尊氏/江戸=徳川家康
  6. hist-25-q6 縄文・弥生・古墳のうち、稲作が始まり身分の差が生まれたのは?
    弥生時代
  7. hist-25-q7 「鳴くよ(794)うぐいす」「いい国(1192)つくろう」は何の年?
    794=平安京遷都/1192=源頼朝が征夷大将軍(鎌倉幕府)
  8. hist-25-q8 1603年・1868年・1945年は、それぞれ何があった年?
    1603=江戸幕府成立/1868=明治維新/1945=終戦
  9. hist-25-q9 元寇のころ、世界を支配していた帝国は?
    モンゴル帝国(元)
  10. hist-25-q10 鉄砲・キリスト教が伝来したころ、ヨーロッパで起きていたことは?
    大航海時代・宗教改革(ルター)
  11. hist-25-q11 江戸幕府が長く続いた理由を、3つの政策で。
    大名統制(武家諸法度・参勤交代)・身分固定(士農工商)・鎖国
  12. hist-25-q12 明治・大正・昭和のうち、最も長かったのは?
    昭和(1926〜1989、約64年)
  13. hist-25-q13 源氏物語(紫式部)が書かれたのは何時代?
    平安時代(国風文化)
  14. hist-25-q14 鎌倉・室町・桃山・元禄・化政の各文化を代表する人物を1人ずつ。
    鎌倉=運慶/室町=雪舟/桃山=狩野永徳/元禄=松尾芭蕉/化政=葛飾北斎(など)
  15. hist-25-q15 大日本帝国憲法と日本国憲法、主権者はそれぞれ?
    帝国憲法=天皇/日本国憲法=国民
  16. hist-25-q16 「御恩と奉公」が崩れて鎌倉幕府が傾いたきっかけは?
    元寇(防衛戦で恩賞の土地を与えられなかった)
  17. hist-25-q17 遣唐使停止が生んだ文化と、鎖国が生んだ文化は?
    遣唐使停止→国風文化/鎖国期→元禄・化政文化(日本独自の町人文化)
  18. hist-25-q18 「武士の世」は、だれの政権に始まり、何で終わったか?
    始まり=平清盛/源頼朝の鎌倉幕府。終わり=明治維新(四民平等・徴兵令)と西南戦争
  19. hist-25-q19 税が「米から現金」に変わった明治の改革は?それ以前の税制は?
    地租改正(地価の3%を現金)。以前は江戸の年貢・古代の租など米中心
  20. hist-25-q20 入試頻出令和は何年から、平成は何年から始まった?
    令和=2019年/平成=1989年
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総仕上げのおすすめ

① この総合問題で「時代をまたぐ並び替え」に強くなる ② 完全年表の🃏暗記カード・🎯クイズで年号を固める ③ 総合復習テストで本番形式に挑戦。3つを「忘れたころに」くり返せば、入試の歴史は得点源になります。

1周目:4本の縦糸を音読 2周目:総合問題+年表クイズ 3周目:総合復習テスト

年表で深掘り — 全時代の暗記カード・クイズ・比較表

完全年表には、全時代の暗記カード・クイズ・人物事典・比較表(憲法・元寇・三大改革など)がそろっています。総仕上げにフル活用しよう。

Unit 25 の進捗 📝 総合復習テストへ